◉言語の順調さ
最近、何度も何度もこのことについて触れている。
何度でも言う。言語は順調なのだ。
言語は世界から理(ことわり)を抽出している。
だからこそ言語が通じるのだ。
だからこそ順調なのだ。
この順調さ、我々はなぜかあまり自覚していない。
このナイフのように尖ったまでになる順調さに。
◉病的な言語活動
翻って、我々のその言語(を使った)活動はどうだろうか。
精神分析学は
「人間の言語活動はそのトラウマが回帰してきたもの」
だと言う。
そのことは、自身の言語活動を振り返ればたちどころに観察されるに違いない。
言語活動は、人類という病における症状だとも言えるだろう。
このブログはボクの症状というわけである。
身の回りの小さな諍いから大きな戦争に至るまで、
そのほとんどが言語活動によってもたらされたものと言って過言ではない。
戦争、戦争、また戦争である。
もう一度言う。
言語が順調、かつ、
その言語活動が病的であるからこそ、
トイレットペーパーがなくなるのだ。
だから、言語が刺さるのだ。
トイレットペーパーならまだいい。
分かるだろうか。
たぶん分からないと思う。
ボク自身もよく分かっていない。
どうやら安寧は遠い。人間は、
これだけの順調な言語を手にしているのにもかかわらず、
なぜ、その活動においてはこれだけの体たらく(病的)なのか。
不思議でしょうがない。
しかし、せめて、助言めいたものがある。
前回も書いたが、
言語は順調ではあるが、方便(茶番)でもある。
だから、
逃げろ!
コロされる前に逃げろ!
スマホから!
SNSから!
Twitterから!
YouTubeから!
Instagramから!
ZOOMから!
メディアから!
GAFAから!
この場所から!
そして、遠くから見つめるんだ!
言語の順調さとその活動の病理を。
天国まで遠くに行く必要はないのだから。
*********************
ボクは自殺に興味がある。
決してネガティブなだけの意味ではない。
人間の最後の自由だからだろうか。
ちょっと今回、シャレがきかなかった。
ご勘弁を。
しかし、
実はどこに行っても逃げられない。
だから瞑想(禅)があるに違いない。
今夜、瞑想(迷走)がてら、チャリンコこいで、
出来る限り遠くの方に行ってみようか。