フォースと言語の順調さの話(『言葉』論2) | エニアグラムと哲学のTakkme

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◉神秘と哲学の両輪

ボクらの世代、スターウォーズのフォース「理力(りりょく)」と訳されていた。
字幕にも「理力」と表記されていたはずだ。

ボクはこの「理力」が好きだった。
もはやそれは今のスターウォーズのそれとは違っているのかもしれないが。。

それにしても最終話はまことに残念だった(笑)が、それはまた別の話。
ちなみにボクは『2001年宇宙の旅』と同じ歳だ。






理(ことわり)力

 

 

 

 

 

ボクは大袈裟に言えば、
この「理力」で宇宙(世界)とのバランスを見出したいとかんがえている。
そういう意味ではボクもジェダイだ。笑
ただ彼らと違うのは、自分と宇宙(世界)との間のバランスである。
それがボクの精一杯だ。苦笑





そしてボクは今、
言語についてかんがえている。

ボクは以前、言語というものは案外完全なものだなと思ったことがある。
ウィトゲンシュタインは「言語は順調だ」と表現した。
さすがは哲学者、言語が順調だ。

こんなことを言うと、
「言葉は不完全で、曖昧で、ウソばかりで、、
 言葉なんかでは言い表せないことだらけだ」と
反論する向きもあるかもしれない。

確かにそうだ。
災いの元だ*。笑


しかし、
「言葉なんかでは言い表せない」と

なぜ言葉で表現可能なのだろうか。
そしてなぜそのこと自体の意味が通じるのだろうか。
言葉って不思議だな、ともボクは思う。

言葉は言外へ向かって発せられる故だ。


「黙っていた方がいいのだ
 もし言葉が  言葉を超えたものに
 自らを捧げぬ位なら」
谷川俊太郎


「・・・それにもかかわらず、
 われわれは言語の限界に向かって突進するのだ」

           ウィトゲンシュタイン


なぜか?
それは「言語が順調」だからだとボクは思う。
説明は難しい。

以前、「円」の話をした。

◉言葉論1(本質の話)

我々が「円」と言う時、それは「円」の本質を直感しているのだと。
決して「一点から等距離にある点の集合」を「円」と言っている訳ではない。

まんまるなお月様が出てるね!」
「そこのまあるい座布団取って!」

仮に「丸くなんかないぜ!」と答える人がいても、
それは「円」の本質を直感していることに反してはいないだろう。
むしろ、順調さの証と言える。

これは「猫」についても「クジラ」についても
「幽霊」についても「神」についても、森羅万象、実は同じである。


言語において、
この「本質を直感している事態」とは何を意味しているのだろうか。

これは我々が人類であるということを意味してはいないだろうか。

人類=言語(が通じる)

恐らく、ここでの詳しい説明は、
「直感(直観)」自体を説明するといった、
言語を言語で説明することに等しい不可能性をボクは直観する。笑
そこは頭のいい哲学者に譲ることにして。。



しかしこのボクでも、この「言語」というものが、
世界から、ある理(ことわり)を抽出していることは分かる。
でなければ、言語は通じないだろう。

つまり、言語はすべからく順調なのだ。



これを、この順調さを支えている力を、
ボクは理力=フォースと呼びたい。



さらにボクは、
正しい直観(閃き)は理に適っているとも考えている。
理に適っていなければ閃かないはずだ。
言語はこの事態の代表とも言えるかもしれない。

(ここで「正しい」は大問題となるが、それは別の場所で)


 

 

「身振りと同様に、言語の正しい使用も、
 効果的な行為を為すのに、必須の構成要素である。
 正しい言語は単に便利な付属物ではなく、
 儀式*を執行する上での本質に関わる」
孔子



そして、ボクはこの理力を鍛えたいと思っている。
これは論理力とも少し違う。
その論理力さえ支えている力である。
(本ブログにおけるエニアグラムもそのための道具と言えるのかもしれない。
 ジェダイにおけるライトセーバーみたいなものだろうか。笑
 取り扱いにはご注意だ。笑
 最後には海に捨て去るのかもしれないがね。)






そして、

宇宙に、

世界に、

わたしに、

あなたに、

 

バランスを。




どうか安寧でいて下さい。

 

 

 

 

理力(フォース)と共に。







備考*****************************
>災いの元

言語はこれだけ順調であるのに反して、ほとんどの場合、
人間は、自我の奴隷としてしか言語を操れない。
口は災いの元、、戦争、戦争、また戦争である。

身の回りの小さな諍いから大きな(宗教)戦争に至るまで、そのほとんどが
言語活動によってもたらされたものと言っても過言じゃないだろう。

精神分析学的には、
人間の言語活動はそのトラウマが回帰してきたものだと言われる。
それは、人類という病における症状だとも言えるだろう。

なぜ、人間はこれだけの(順調な)「言語」を手にしているのに、
その言語活動に置いては、これほどの体たらくなのか。
全く不思議でならない。

カウンセリングなど、この言語の順調さを逆利用して、
人間のトラウマを解き明かそうとするのだからなんとも皮肉な話である。

 

前回の◉言葉論1(本質の話)

「世界は言葉で混乱している」と書いたのはこの言いである。

 

言語を使った言語活動の結果、生じたのが言葉だとボクはしているわけだ。

(言語→言語活動→言葉)

 

 

>儀式

 この孔子の言う「儀式」については後日文章を載せようと思っている。

 

 

 

世界にグル達がいてくれて本当に良かった。
でなければ、ボクは言語に失望していただろうし、
その順調さにも気づかなかったかもしれない。
それはルーク・スカイウォーカーにとってのヨーダや
ジェダイ達といえるかもしれない。笑

ブッダや他のグル達を始め、
命懸けで闘った哲学者たちに感謝したい。
有り難し。