告白(モチベーションて、) | エニアグラムと哲学のTakkme

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◉9つの性格タイプ論としてのエニアグラム
◉神秘と哲学の両輪

ボクがつらくなるのは、立ち上がりづらくなるのは、
「モチベーション」に焦点が当たった時です。
それは簡単に言えば生きるモチベーションと言えるでしょう。
正直に告白致しますとボクには考えればかんがえるほど
生きるモチベーションがありません。

それなのになぜボクは生きているのでしょうか。

それは今の所「動物力」の残りカスであると告白せねばなりません。
動物としての自分が生きているだけなのです。
動物としての自分は幸運にも少なくとも今までは生きていられるほど

傷ついてはおらなかったのです。ありがとう。

 

子供たちにモチベーションの意味は分からないでしょう。
子供はモチベーションそのものだからです。

そして世界を知った子供たちは、、

 

 

 

 

 

 

 

さて、

しかしボクは<人間>であるはずです。
必然的にボクのモチベーションは今この一点に集約されるはずなんです。






「早く人間になりたい!」

 

 

 

 

 

 

これは妖怪人間ベムの話ではありません。

もちろんベラやベロの話でもありません。
仮にボクが妖怪人間だったとしてもボクは同じことにつらくなるでしょう。
妖怪人間は誤解しているのです。
人間であるか否かは本当は姿形の問題ではないのですから。。
古くてすいません。
えーと何の話でしたでしょうか。


ボクがなぜ2度目の誕生日を向かえなければならないのか。
それはまだ<人間>として生まれていないからです。


<人間=意志>が不在なのです。


ボクのモチベーションはその<意志>の創造に対して立ち上がるべきで、
否、もうそれしかモチベーションのアリカはないことに早く気づくべきで、
でなければこのキーボードを叩く元気ももはや失われるであろうと
そう思うわけです。






と、10年前につぶやきました。
言語は自分のトラウマが回帰してきたものです。

その自らの治療を祈りながら。





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哲学者たちが闘ってきたのは、このニヒリズムだと思う。

人間、この存在者「私」と同化して、さらに調子に乗っているときには、
このニヒリズムを忘却しているのかもしれない。
いや、忘却するための同化かもしれない。
そして再度、調子に乗るための同化の術を探そうとするが、、

ボクにはそこの暗黒から目を逸らすことが難しい。

少なくともエニアグラムは、
その暗黒から上手に目を逸らすための術なんかではないと、
むしろその逆なのではないかとボクはかんがえている。