G・I・グルジェフの厳しい言葉たち | エニアグラムと哲学のTakkme

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◉9つの性格タイプ論としてのエニアグラム
◉神秘と哲学の両輪

本ブログをパソコンで見たときのサイドバーに載せている言葉です。
当ブログの基本路線に必須のコトバ達です。



人間は機械だ。彼の行動、行為、言葉、思考、感情、信念、意見、習慣、 これらすべては外的な影響、印象から生ずるのだ。 人間は、自分自身では、一つの考え、一つの行為すら生み出すことはできない。 彼のいうこと、なすこと、考えること、感じること、これらはただ起こるのだ。 人間は何一つ発見することも発明することも出来ない。すべてはただ起こるのだ。
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人は生まれ、生き、死に、家を建て、本を書くが、 それは自分が望んでいるようにではなく、起こるにまかせているにすぎない。 すべては起こるのだ。人は愛しも、憎みも、欲しもしない。 それらはすべて起こるのだ。

この事実を自ら確証し、理解し、それが真実だと納得するということは、 人間に関する無数の幻想、つまり自分は創造的で、自らの生を意識的に生きている などという幻想を手放すことに他ならない。



まず、自分は、他人や自分自身がつくりだした 何千という取るに足りないうんざりするような法則に 必要もないのに従っているのだということを、 いかなるごまかしもなく理解しなければならない。
そしていざ法則から自由になろうとやってみると できないことに気づくだろう。 自由になろうと長い時間持続的に努力してみてやっと、 彼は自分が奴隷状態にあることを納得するのだ。 人間が従属している法則は、 それと闘うことによってのみ学ぶことができるのだ。

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君は自分の置かれた状況を理解していない。君は牢獄にいるのだ。
もしも君に分別があるなら、 君の望むすべては、そこから脱出することのはずだ。
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牢獄にいる人間に脱出するチャンスがあるとしたら、 彼はなによりもまず、自分が牢獄にいるという事実を認識しなければならない。これを認識しない限り、つまり自分は自由だと思っている限り、 脱出する可能性はない

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もし、瑣末な興味や重要でもない目的の輪の中で空廻りしている普通人の生活の恐ろしさを仮借なく見抜くことができたら、そして彼らが何を失いつつあるかを知ることができたら、自分にとって重大なことはただ一つ、この普遍的法則から逃れること、自由になることしかありえないことを得心するだろう。

それらの法則は、自己の内を観察し「それらから自由になる」ことによってのみ研究できるのだ。




グルジェフはタイプ8だと言われている。
そうかもしれない。
その言葉には激しい<怒り>を感じる。
もちろん、「怒り」に身を任せてはいない。
それが、グルのアカシだ。
それは、とてつもない反語だということもできるだろう。
「君、起きなさい」と言っているのだ。

人間は眠りの状態にある。
目覚めぬうちに彼は死ななければならないのか。

         (モハメッド格言集)