「私は十分金持ちで、十分ぜいたくに暮らし、十分尊敬されている。
私がいつもまず心にかけるのは、
完全に信頼がおけ、私に忠実なひとたちのことである。
もちろんそうでない人々への注意を怠らないフリも完璧である。
言うなれば、私はバラの花園で暮らしている。
なんとなれば私は時間を自由に使える。
私は芸術の擁護者で、コーヒーを飲みながら世界を語ったりする。
私は人間に秘められた霊的な能力の開発にさえ関心がおありだ。
知人はみな、私を強靭な意志の持ち主だと信じており、
私の達成したことは、そうした意志のたまものだとさえ思う。
つまり、私はあらゆる意味でお手本となる、羨望に値する人物だ。
朝、私は晩に見た重苦しい夢の印象を引きずりながら目を覚ます。
重苦しい印象は、目を覚ますとともに薄れてゆくが、
それでも一定の痕跡を残している。
私の動きは、ややものうげで、ぎこちない。
私は鏡の前で髪をとかすが、不注意にもブラシを落とす。
拾い上げるがたちまちまた落とす。
三度目に落とした私は、落下の途中で手を伸ばす。
手の当りどころが悪く、ブラシは鏡の方に飛んでいく。
私はそれを止めようとするが、ガシャン。
私のご自慢のアンティーク風の鏡に蜘蛛の巣のような亀裂が入ってしまった。
畜生、この野郎!
私は何かに、または誰かに八つ当たりしたくなる。
見ると、朝のコーヒーのそばに新聞がない!
召使いが忘れたのだ!
私は我慢の限界を超え、こいつを家に置いておくのはもうやめだと思う」
どこぞの鬼嫁の話ではない。
<私>は統合失調なのである。
私は「主人のいない機械」なのだ。
その機械は複数の<私>から出来ている。
ある特定の瞬間には、どれかひとつの<私>が主導権を握り、
なにかを決意したり、他人とあれこれの約束をしたりする。
数年前の<私>を想像してみればよい。目を覆うばかりの惨状だ。
福島どころではない、かもしれない。
あらゆる突貫工事は行うが、炉心なんか見たくない。
数年たってはいるがまだまだ収束する気配など微塵もない。
数年前が想像出来るならばまだ良い、五分前の自分でさえ怪しいのだ。
五分前に<ダイエットを決意した私>は、
好物の焼き肉屋を前に<誰がダイエットなんかするか!私>と
すっかり入れ替わっているのだ。
さらに私は、この複数の<私>を持続的に見守る意識にも欠けている。
そのため、自分の分裂状態の全体像を観ることが、ない。
どの瞬間にも、
その時に主導権を握っている<私>を唯一の自分だと思っている。
だから統合失調なのだ。
それは「ゴースト(魂)」のない傀儡。
(by 攻殻機動隊)
ある瞬間にどの<私>が主導権を握るかは、その時の気分次第である。
したがって、ある<私>は、別の<私>がした約束や決意に対して、
どんな責任も取ることが出来ない。
残念ながら私はこのような分裂状態にあるため、
自分にとっても他人にとっても全くあてにならない。
したがって、私はどんな決断も下すことが出来ず、
どんな約束もすることが出来ない。
そのために、本質的な価値のあるなにごとも達成できない。
そしてなにより深刻なのは、
今、そのことを自覚していると思っている私が、
唯一の<私>だと思っていることだ!
「人間は機械だ。彼の行動、行為、言葉、思考、感情、信念、意見、習慣、
これらすべては外的な影響、印象から生ずるのだ。
人間は、自分自身では、一つの考え、一つの行為すら生み出すことはできない。
彼のいうこと、なすこと、考えること、感じること、これらはただ起こるのだ。
人間は何一つ発見することも発明することも出来ない。すべてはただ起こるのだ。
この事実を自ら確証し、理解し、それが真実だと納得するということは、
人間に関する無数の幻想、つまり自分は創造的で、自らの生を意識的に生きている
などという幻想を手放すことに他ならない。」
さらにグルジェフは言う。
「君は自分の置かれた状況を理解していない。君は牢獄にいるのだ。
もしも君に分別があるなら、
君の望むすべては、そこから脱出することのはずだ。
・・・
牢獄にいる人間に脱出するチャンスがあるとしたら、
彼はなによりもまず、自分が牢獄にいるという事実を認識しなければならない。
これを認識しない限り、つまり自分は自由だと思っている限り、
脱出する可能性はない」
さて、されど、
ニヒリズムは決して終点ではない。*
むしろ出発点なのだ。
ヨーソロ!
備考***********
>ニヒリズムは決して終点ではない
一般には絶望した人がニヒリズムに陥ると考えられがちだが、
ボクの認識は全く違う。
ニヒリズムは絶望しきれていない人が陥る地点だ。
絶望一歩手前のロマンチシズムが捨てきれないのだ。
だからボクは本当は「絶望は決して終点ではない」と言いたいのだ。
例えば世界中の信頼できるグル(例えば仏陀でもよい)は
絶望の果ての果てに針の穴を通すような光を告げているのだボクは思う。