(金正日がタイプ1だというのではありません。
彼は恐らくタイプ6です。)
金正日と言うと時事問題のように聞こえるが、そうではない。
ボクは「時事問題」は意識的に取り上げないことにしている。
外向型が、<外側>の問題に同一化すると始末に負えないからだ。笑
だから、
金正日じゃなくてもブッシュでも安部晋三でもいい。
さて、ボクの肉体(思考・感情・本能)の傾向として、
自分を「立派に見せたい」という願望が、強い。
これは外向型の、ある性格タイプ(タイプ1)の傾向だが、
はっきり言って、
ショボい。
自分でも本当にショボい、と思うが、
受け入れなくてはならぬ肉体の傾向(性格)である。
ボクが内向的な人達に、ある関心を寄せるのは、
ある意味、うらやましい、と思えるところがあるからだ。
それは、内向的な人達は自分のクダラナイ部分を
さらけ出すことが出来る(さらけ出してしまう?)ということ。
言い換えると、
自分は他人にどう思われようと関係ない(仕方がない)、 と
根っこの部分で実感している、ということ。
(これは恐らく傷(トラウマ)である。 だからこそ、
本人は「さらけ出せてない」と
「他人を気にしている」と思っているのかもしれないが、
そう思っている、と意識していること自体が内向型の証左である。
もちろん外向型には逆の傷(トラウマ)がある。
コトバだとややこしいのでこの話はこの辺でやめるが。)
さて、人間(実存)はクダラナイのである。
たぶん、ボクの日記などを読んで、(今もそうだが)
やっぱり「立派だ」とか「ちゃんとしている」と思ってもらえると思う。
言っておくが、大間違いである。詐欺まがいなのである。
だが、問題はボクが「立派」であるか否か、ではない。
ボクが「そう思われたい」と思って書いているという、深層である。
そして、この肉体からは逃れられない、という重い重い事実である。
ほら! 深刻そうである。
騙されてはいけない、本当はそうでもないのである。
今、ボクにできることは、そのこと自体の認識とその告白。
ほら! 真面目そうである。
騙されてはいけない、「マジメ」は欠点である。
だからこそジョークね、少なくともジョークは必要だ。
さて、
なぜ、ここに「金正日」が出てくるのか?
それは、なぜボクやニュースキャスターや評論家ややくみつるなどが
「金正日」のことを話す(批判する)と、やけに深刻そうだが、
実際は「どこかお気軽」なのか、ということ。
それは、彼らが自分の「外側」のことを言う時、
とたんに自分自身のことが棚に上がるからだ。
自分を棚上げにするために「外側」のことを言うのだ。
(正確に言うと、そのことに無自覚だということ*)
金正日のことだったら、張り切って立派なことが言える、だろう。
お気軽極まりない。
いっそ、
それなら正直に、「金正日よりボクの方が立派だ」と言えばいい。
でも、そうは言わない。
そう言うと、立派じゃない、と思われるから。。
ショボい。
つまり、ボクが「立派である」か否かは、全く問題ではないのである。
なおかつ、ボクが「立派」でないことは、
何よりこのボクが一番よく知っているのだから・・・・
反省はよくするが、それが今後に生かされない、
それがこのタイプです。(苦笑)
備考*****************
>正確に言うと、そのことに無自覚だということ。
内向型にはその自覚がありすぎるのが問題となる。
つまり、外向型は自分の「外側」に意識が行き過ぎるが、
内向型は逆に自分の「内側」に意識が行き過ぎる。
外向型が「脳天気」だとすれば内向型は「自意識過剰」というべきか。
内向型は、自分の「外側」のことを一生懸命に表現するくらいが、
丁度いい気がする。
もしくは自分の「内側」を「外側」に表現する。
それはコトバであったり絵であったり音であったり踊りであったり。
又、「外側」(世界)に出ていくことそれ自体であったり。
当然ですが、実際にはニンゲンは内向性と外向性を合わせ持っており、
それが各々の傷でどちらかに偏っているということです。
(タイプ1が自分を「内向的」だと思っている場合がある。
エニアグラム的には当然(1-4のライン)だが、能天気の証拠でもある。笑)
ところで、今、
ボクは立派なことを書いている。(苦笑)
mixiより/2006年11月08日