子供の病を通して | Holy Spirit Mana ⁂∞§∞*独学宅建主婦から祈り人マナへのヒストリー*∞§∞⁂

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祈り「至聖先天老祖様(しせいせんてんろうそさま)×3
私は良い想念だけを持ちます。良い行いだけをします。自他の霊性向上と人々の真の幸せのために生きていきます。ですから、この地上の霊的空間にある悪想念が物質化する前に、どうか無にして頂くようにお願い致します。」

子供の原因不明の病を通して、
様々な気付きが訪れました。


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今まで、誰かが「子供が入院した」って話しても、いかに自分が上っ面の「大変ですね〜」と言ってたのかが良く分かりました。
実際、子供が入院して、その大変さが良く分かるようになると、上辺だけで「大変だね」と言っている人か、心からの同情で「大変だね」って言ってくれているのか、区別が付くようになりました。

でも、私自身もそうだったから、上辺だけの人を責めるつもりは毛頭ありません。
ただ、今度から、心からの同情を持って「大変だね」と労う事が出来ると思います。


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子供の病気はかわいそうです。
でも、きっとかわいそうな子だけでは、あーちゃんは終わらないと思います。
その事を、私の好きなきっかわみきさんの物語から引用したいと思います。

───「生き物はややもすると、苦悩で別の苦悩を作り出し、迷いで別の迷いを作り、悲しみで別の悲しみを作り出す。つまり同じ次元で堂々巡りを始める。いやどうかすると、次元を下げながら、蟻地獄に陥いる。しかし、耳の花のお方よ、そなたは違う。神仏が悲しみと苦悩を光に変えるように、そなたもやがてすべてを慈愛に、光に、変えていかれることでしょう。そして、いずれ、物言わぬそなたのその立ち姿だけで、生き物に光を与えられる時がやってきましょう。その立ち姿は、厳しい時空を通り抜けたもののみに与えられる、神仏からの貴い恵みですぞ」

あーちゃんはこの病を通して得た、痛み苦しみの経験を、慈愛と光に変えていけると、母は信じています。


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今回の件は、誰も悪くないのです。
誰もが、あーちゃんに良かれと思っていたのです。
もし、誰かに非があるとしたら、それは、A薬があーちゃんにとって毒になっていると薄々気付いていながら、それを飲ませてしまった私にも非があるという事です。
誰かを憎み裁き続ける事は、自分をも憎み裁き続ける事になると、私はもう分かっています。

その件で、あーちゃんから将来責められるときが来ても
「お前がウンチ我慢してるのが悪いんだよ!」
って悪態をついて、悪びれずにいようと思っていますd(^_^o)
けっして、かわいそうな子扱いはいたしません




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私が、罪悪感から抜け出せるようになったのは、きっかわみきさんの物語のおかげです。
以下、引用です。

 ────いえ、私、阿弥陀は、決して裁くものではないのです。いつの時もあなた方と共にあるもの。あなた方が悲しみにある時は、阿弥陀もまたその悲しみと共にあり、あなた方が喜びにある時は、阿弥陀もまたその喜びと共にある。私は裁くためにあるのではなく、一切の生き物・万物のいかなる事情に関わり無く、あなた方の世界に生じた悪を呑み込み、誤りを浄(きよ)め汚濁をも抱き取り溶かし、最後の最後までを引き受けるためにこうしてあるのです。ですからあなた方はあなた方だけではありえない。と同時に、あなた方は耳を疑われるかも知れないが、実は私、阿弥陀もまた阿弥陀だけではありえないのです。あなた方あっての、阿弥陀。さらに言うなら、私は向かい合った一人ずつ、その一人一人のためにある者。このことを知ってもらえればと願っているのです。

罪を感じたなら、その時から罪は、阿弥陀様によって、浄め、溶かされている。
向かい合った一人、一人に阿弥陀様がついていてくれている。
私は私だけで存在しているわけではない。

この話に、私はとても癒されました。




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ちょっと愚痴

せっかくスピリチュアルに目覚めて、
そうか、これからは利他を目指して、地道に地域貢献、社会貢献して、あとはほどほどにパートやママサークルを楽しんで、残りの人生を消化していけばいいやって思ってたのに、、

スピリチュアルに目覚めると、今度は自分の周囲の人々の目覚めを促す、天の道具として、生きていかなくてはいけないらしいです。

天の道具になると、天から力強いサポートも得られるようになります。
だからこそ無知な私が、あーちゃんの病気の原因特定に、至る事が出来たのです。
まさに天の加護、お陰様の力によるものです。

そのかわり、周りの人々を、エゴから利他へと脱却する、きっかけとして存在する訳ですら、そりゃあ、軋轢なしにはいられないです。
覚者が山籠りして、隠遁生活したがる訳が分かりましたよ、、、、。
私も山にこもりてぇ、、、。
私の残りの人生40年位、この調子で生きていかなくてはいけないかと思うと、いささかウンザリします


小学生位のころ、学校にいても自分の家にいても「もう帰りたい」と思ってた事を思い出しました。
自分の家にいるのにどこに帰るんだよって思ってたけど、天に帰りたかったのね。
でもまだ子供も小さいし、もうしばらくは天に帰れそうもありません



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最後に、

こんだけ、きっかわみきさんの物語から引用してるのに、私はまだ本を買ってません

私の代わりに読んでみて下さい