日本と韓国の違い。
水車が作れなかった韓国。
韓国がノーベル賞が受賞できない本当の理由。
朝鮮通信使が驚いた日本の水車とその歴史。
朝鮮通信使とは、室町時代から江戸時代にかけて朝鮮から日本へ派遣された外交使節団です。
目的は、朝鮮国王からの国書や進物などの品物を献上するなどして、日本との文化的交流をするためでした。
ネットで「韓国・水車」で検索すると、韓国は水車が作れなかった、というものばかりがヒットします。
これは、江戸時代の日本と韓国(朝鮮)の発展の違いをあらわすものです。
江戸時代から日本には水車がありましたが、韓国に水車はありませんでした。
朝鮮の使節団が日本で見たことをに書きとめた「日東壮遊歌(にっとうそうゆうか)」という本に、日本の水車についてこう書いてあります。
河の中に水車を設け
河の水を汲み上げ
その水を溝へ流し込み
城内へ引き入れている
その仕組みの巧妙さ
見習って造りたいくらいだ
実際、江戸時代当時の韓国でも水車を作ってみようと試みましたが、結局うまく作ることが出来ませんでした。
しかも、室町時代15世紀に日本へ来た朝鮮通信使は日本の農村に水揚水車がある事に驚き製造法を調査し、本国に報告した事が「朝鮮王朝実録」に記述されていました。
当然15世紀の朝鮮では、日本の水車を真似て作る事など出来ませんでした。
そして、韓国が水車が作れるようになったのは、1908年日本による水車の製造技術が導入された事によってに韓国に水車が普及したのでした。
つまり、その当時の朝鮮と日本の技術力の差は、ほぼ500年開いていた事になります。
そして驚くべきは、韓国の歴史教科書では「朝鮮通信使」の目的は日本に韓国の高い技術や様々な知識を教えるために派遣されたものだそうです。
こんな捏造した歴史教育しか出来ない国ですから、ノーベル賞も取ることが出来ないわけです。
電気もエンジンもなかった江戸時代に、水の力だけで田畑に水を運ぶ装置を生み出した、日本の先人たちの英知の結晶です。
それが現代でも使われているという事は、日本の高い技術の証明です。