韓国で開催されてる世界陸上ハンマー投げで、室伏選手金メダル獲得。 しかも6投がシーズンベスト。 36歳にしてのタイトル。 天晴れでしたぁ~!
燻し銀の技が光りました。
来年のロンドンオリンピックでも活躍して欲しいですよね。
今に始まったことではないが、国際的な大会での審判員の不甲斐なさが目につく
先般フランスで行われた世界柔道でも審判の不甲斐なさが散見された。
来年ロンドンにてオリンピックが開催されるが、それまでに各競技種目の審判員の資質等レベルアップを図ってもらいたいものだ。
不甲斐なさの内容であるが特に格闘技の場合判定で勝敗を決する場合がある。 この判定を審判員個人が見たまま判定を下すならいいが、会場の観客の反応やざわめきで左右されている様な場面がある 試合会場には開催国 の人種が勿論一番多く、その開催国の選手が出場すると当然 声援も多く、敵対する選手つまりアウェイの選手には、ちょっとしたことでブーイングの荒らし。
これは選手の技量とは全く関係ない。 また、僅差の場合先にガッツポーズを決めたもの勝ちという様な場面もたまにある。 これでは、折角試合をしている選手の国以外の国の審判を当てている意味もない
公平に内容しを見て 判断するのが審判だ
どうも審判が会場の雰囲気に流されている傾向があると思う
やはり審判は裁判官なんやから、雰囲気に流されるようでは審判の意味がないのである。
IOCも熟慮すべきではなかろうか! 折角、大会まで日々鍛錬を重ねる選手がそういう審判がいるが為に負けの判定を下されればその選手は殺されたも同然。 選手が可愛いそうだ 言い訳も出来ず、そういう判定を下されないように出来なかった自分のせいと言うしかない。 腹の中の思いは違うと思う。
今日は朝から民主党代表選挙が行われている。 選挙に伴い代表に名乗りを挙げた各立候補者の演説が行われていた。
候補者の演説を聞いていると、話の内容に「命を賭けて○○します」等と、常套句が散見される。 勿論、命をかける位の気持ちで臨むって事だと言うことは分かっている。

しかし、ならば全力でとか全身全霊とか言う表現の方がいいと思う。
命を賭けて○○ってのは、命って言うものを軽々しく捉えている感がある。
何故かと言うと、本当に命がけで取り組むなら、政策が失敗或いは実行出来なかった場合、就いているポストから降りるだけで、責任取って自害する者はいない 何も自害を提唱する訳ではない。 軽々しく口にするなと言いたいだけである。 政治家は、役職を降りても議員として生活は出来るから無職とはならない。
命を賭けてと言うなら責任を取る意味で役を降りるだけでなく政治家を引退し無職になるべきだ。 結局は、役を降りても生活出来るという甘さから、必死になれない。責任取るという体を成す為ポストから降りるだけで終始する。 これでは誰が牽引しても同じではないか
だから、演説の時だけに軽々しく命を云々と口に出すのは私は妥当ではないと思う。

追伸~これはあくまで私見であり政党や個人を差して批判するものでもなく、一般論として、今の時期だからこそ命というものの重みを考え、言葉一つにしろ命という言葉で形容する以上は、使い方を気をつけるか、それなりのけじめを付けるか、いずれにせよ言葉の重みというものを考えて頂きたいと思った訳である。