神奈川県会議員滝田孝徳オフィシャルブログ「ノーブレス・オブリージュ」Powered by Ameba -326ページ目
<< 前のページへ最新 | 322 | 323 | 324 | 325 | 326

(2)鳩山由紀夫代議士

一本の電話が時として人生を大きく変える事がある。


季節は秋、肌寒い日だった。

毎月恒例となっていた月前半での出張で長崎に来ていた。

異国情緒が色濃く残る趣ある街並み、ゆったりと穏やかに進む路面電車、そして、柔らかで優しいブラウンの日射しと黄金色に輝く街路樹。


次は『仕事抜きで』来てみたいなどと勝手な事を考えていると携帯が鳴った。


当時、携帯は高価なもので毎月の維持に非常にお金がかかる時代だった。そのため、『土・日並びに夜』しか使えない『ドニーチョ』なるプランで契約をしていた記憶があるので、多分仕事が終わった深夜に近い時間帯だったのだろう。


番号を見ると大学時代に出会い、以来お世話になっている先輩からであり慌てて電話を取った。


『ハロー 小沢一郎です。』

普通冗談を言うにしてもせめて話題となっているタレントを名乗るだろう。小沢一郎を名乗るとは政界関係者らしい。


『お世話になっています~ 何かありましたか?』笑いながら答えた。基本的には用件がなければ電話をかけてこない人だ。


『いやぁ、遅くなったけどリクルート株をあげようと思って・・・・というのは冗談で鳩山由紀夫さんが秘書を探しているけどどう?』


鳩山由紀夫・・・

自分自身社内でもトップクラスの営業マンとしてそれなりの実績を出してきたころだった。一方で結果を出した以上、そろそろ政治の場に転身する事を考えはじめていた。


鳩山由紀夫・・・

当時、民主党は管・鳩山の2人代表を終え、管代表・鳩山幹事長で党運営がされていた。


鳩山由紀夫・・・

『秘書から議員へ』と考えていたものの、自分なりに仕える代議士の条件を持っていた。

まず、保守系の議員である事、もう一つは自民党以外の政党である事。

これは、自民党を否定しているのではなく、政権交代可能な政党(保守の流れを持つ)が日本で必要であり、できればそちら側から応援をして行きたかった。


鳩山由紀夫・・・

当時、『アメリカの基地がない日本』を所々で訴えていた。これは誤解を招きがちだが、単なる『反米・反基地』ではない。日本の国に他国の軍隊が未来に渡って永遠に存在するのを前提とするのは、独立した一国のあり方として見ればおかしい、要は『自分の国は自分で守るべき』であり、そのためには憲法改正だって必要だろうという事だ。また、実際にそういう主張をしていた。

でなければ、田久保忠衛先生の門下生としては秘書として仕える選択肢はない。


鳩山由紀夫・・・

その点で見れば秘書として仕える事に全く申し分はない。むしろ、こちらからお願いをしたいぐらいだ。


『御連絡ありがとうございます。是非お願いいたします。』と即決で答えた。


『わかりました。先方に伝え詳細は追って連絡します。』といつになく真面目な口調で電話をお切りになった。


なぜ、突然そんな話がきたのか補足を加えた方がいいかもしれない。


先日のブログで『静かにチャンスを掴むべく水面下で努力を続ける大学時代を送った』と書いた。

しかし、いくら自分の中で『秘書から議員』という事を描いたとしても、多くの方がそうであるようにどうやって『秘書』になるのかが全くわからない。


調べてみると紹介者を通じて入っていく人が多いらしい事は解ったが、自分の生まれ育った環境では秘書になるためのコネクションはまるでない。


ならば、自分で『道を拓く』しかない。

大学時代の有り余る時間を使って秘書に入り込める環境を作るべく行動をした。

それが先に書いた『水面下での努力』だ。


具体的には『選挙』の事を指す。


選挙の際に履歴書を持って『信条が合う』候補者の事務所に伺いボランティアで働きたい旨を申しでる。もちろん、飛び込みでいくわけだから怪しまれたり断られたりする事も多々ある。

また、議員の事務所をアポなしで訪ねボランティアで使ってほしい旨を伝える。


そして、運よくチャンスを得たら、誰よりも早く朝一番で出勤し夜最後までいる。

とにかく、一生懸命・真面目に働く

若い人がボランティアで文句も言わず一生懸命働いているのを見れば、何を考えているかはわかってくれる。別にこちらから話すまでもない『暗黙の了解』ってやつだ。


そうなれば、『選挙』が終わってもたまには遊びにおいでって事になる。そうやって少しづづ自分を引っ張ってくれる人を増やしていく。

今回声をかけて下さった方もそのつながりで出会った。



電話を切ると大きく深呼吸しバルコニーの外に出た。

眼下には長崎の夜景が大きく広がっていた


ひょっとしたらチャンスが巡ってきたのかもしれない。


未来に続く扉の開く音がかすかに聞こえた気がした。


続く・・・


神奈川県議会議員 滝田孝徳

(1)鳩山由紀夫代議士

ご覧になられている方々の中には将来『議会に立ちたい』と思っていらっしゃる方もいると思う。

しかし、一般的には議会に立つどころか『政治の世界』で働く事ですら扉が閉ざされていると言わざる負えないのが現実だ。


その中で、『議会に立つ事』を希望するならどう動き、どこのボタンを押せばいいのかは素人にはまるでわからない。おそらく、雲を掴むような話になってしまう。


それが証拠に学校の卒業時、進路を決める際『政治家になりたい』と考え教職者等に『そのための方法』を聞いたとしても的確な答えができる方は誰もいないだろう。


そこで、自分の経験をここに書く事によって『志』を持つ方へ応援と参考に少しでもなればと思っている。


まず、最初に政治家志望であれば必ず持たなければならないものがある。それは決して難しいものではなく


『国・地域・国民生活を良くしたいと言う強い意志』だ。


これが無く『政治家になりたい』など考える方はいないと信じたいが、最近はそうとも言い切れない状況が見受けられるのが非常に残念だ。

もし、そのような方がいるとするなら政治は遊びではない、適性がないので即刻進路変更をすべきと指摘をせざる負えない。


ちなみに、私がなぜ『政治を志したのか』は当ブログにリンクしてあるホームページのご閲覧をお願いするとしてこの場では割愛をさせて頂く事を何卒ご容赦頂きたい。


話を戻す。

では、そこをクリアーしたとしたら次にどうすればいいのか。


その前に政治家、例えば国会議員になるためにはどのようなコースがあるのだろうか?

当時、色々考えたがコースは限られており大きくは3つぐらいしかない。


1つ目は学者・スポーツ選手・タレント・アナウンサー等の各界で活躍する有名人に自分がなる事だ。


2つ目は東大法学部を出て官僚になり転身をする事。


3つ目は親などの親族が国会議員の家に生まれる事。(これが一番早道だ。)

書くのは簡単だが、この3つに当てはまる方はほとんどいないだろう。私なんか、当てはまらないどころかかすりもしない。


しかし、よーく考えると4つ目ともいうべく努力によって道が拓ける、狭いものの普通の人にも可能性が閉ざされていなさそうなコースが1つあった。

それは、『代議士秘書→地方議員→国会議員』のコースだ。


『よし、これなら可能性がゼロではない』と思いチャンスを掴むべく静かに水面下で努力を続ける大学時代を送った。

そして、大学を卒業し『政治の世界への転身』を視野にいれつつサラリーマン生活を送っていたある日扉が少し開く日が来た・・・


次回に続く・・・


神奈川県議会議員 滝田孝徳


鳩山由紀夫代議士

私は『サラリーマン』から『神奈川県議会議員』になった。

『地盤・看板・かばん』がないと当選しないと言われる中、なぜこのような選択ができたのかよく聞かれる。


本日は時間がないので詳細を書く事ができないが、近々に秘書としてつかえた鳩山由紀夫代議士との『出会い』について少し触れていきたいと思う。

ご興味のあります方は次回以降の更新を御閲覧頂ければ幸いです。


皆様のご支援があるからこそ仕事ができる。その事にあらためて感謝をしつつ

神奈川県議会議員 滝田孝徳

<< 前のページへ最新 | 322 | 323 | 324 | 325 | 326