英春さんを偲ぶ | 瀧光の絵画世界

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水墨画、日本画、洋画など幅広い絵画制作活動をしています。
これまでの人生経験や美大大学院で学んだことをベースに、ブログを書いています。

 私は非社交的な性格であったが、絵を描き始めて、そして、不特定多数の人々に向けて個展を開催するようになると、真逆の社交的な人間になってしまった。
 絵画制作の進展に比例して、幾何級数的に交流する人や仲間が増えていって、現役会社生活時代を遥かに凌いでいる。
 画家仲間では、一緒に絵を描いたり、展覧会に行ったり、懇親会を共にすることが多いが、それ以上に個人的なレベルまで交流は発展しないし、われわれは、それで充分満足と感じているのだと思う。



 しかし、水墨画仲間の英春さんとは何故か違った。絵を描くだけでなく、仲間をつくり、連帯の輪を広げようという「あじさい大学」の趣旨にお互い共感していた。
 従って、展覧会や懇親会をご一緒したのは数知れず、更に、国立能楽堂に行って能を鑑賞したり、東京宝塚劇場における宝塚歌劇公演に行ったり、箱根に泊りがけ旅行にも行ったりもしたものである。



 どこの美術館か思い出せないが、英春さんと一緒に「丸山応挙」の国宝「雪松図屏風」を観たことがあり、英春さんは、これを絶賛していた。
 「雪松図屏風」は、背景は金箔で埋めているのだが、雪の部分は塗り残しのまま白であり、松は墨だけで簡潔に描いている。つまり、応挙は、金箔と墨だけで、朝日に光り輝く雪上がりの松を描いているのだ。

・・・光や色彩を物理的に追い求めた西欧絵画とは全く別の日本の美がここにある・・・

 山岳を良く知る英春さんは、その場にあって触れることができるような絵画描写を目指していたので、写実を極めようとした「丸山応挙」が理想の画家であったようだ。
 英春さんの描いた水墨画は、山水を中心として、人柄のように高雅な画風であった。

 そして、英春さんは、水墨画だけでなく、水彩画のグループにも所属しており、われわれは、その技量も並々ならぬことを知っていた。



 その英春さんが 昨年3月31日 急逝された。



 当時 英春さんは私の後任として、さがみ水墨日本画協会の運営委員メンバーとして活動されており、私は、さがみ水墨日本画協会会長の田澤伯堂先生と水墨画仲間 Kさん、Nさんを愛車シビックに載せて、英春さんの弔問に向かった。
 コロナ禍ではあったが、御遺族は私達の弔問を快諾していただいたのだ。

 われわれは、遺影と遺骨と位牌に向かって、ご焼香をさせていただいた。
 そして、その位牌の戒名にはなんと「墨」の一文字が刻まれており、われわれは、英春さんの水墨画に対する並々ならぬ想いを改めて認識したものであった。


 英春さんは、私の個展にも全力で応援していただいたものであり、もし御遺族に希望があれば、一周忌を過ぎた頃に、遺作展を開催したい旨私は申し入れをした。

 しかし、伯堂先生は違った。現在額に入っている作品がないか御遺族に尋ねた。そのうち2点を選んで、5月に予定されていた第8回さがみ水墨日本画協会展に遺作として出品させていただきますということであった。
 私は御遺族から額に入っている遺作2点を受け取って、クルマで自宅に持ち帰ることになった。



 そして、英春さんの四十九日に当たる 5月14日当日夕刻 法要が終わってから、御遺族の希望により、皆様一緒に第8回さがみ水墨日本画協会展会場に現れ、英春さんの遺作とわれわれの絵画を鑑賞することになった。

 田澤会長が御遺族に御挨拶をした後に、喪章を付された英春さんの遺作「残雪の白馬三山」と「積雪の渓流」2点が展示されているところまで御案内させていただいた。

 私から遺作の説明をさせていただいた。遺作2点はどちらも優れた作品であるが、特に後者は雪の奥入瀬渓流を描いたものであったと思うが、その渓流の表現が特に優れており、 
 水の中に手を入れたら切れるような水流の冷たさが観ただけでも判る という出来栄えであるというようなことを申し上げさせていただいた。

 そして、その後 展覧会に展示されている絵画を順次ご説明させていただいて、その対比により英春さんの画風を説明させていただいたものである。




 展覧会終了後 暫くしてから、英春さんの妹さんに展示した絵を返還しに行って、在りし日の思い出や最期の様子について、ゆっくりとお話を伺うことができた。

 英春さんは水彩画も描いていたので、そのことについて尋ねたけれども、やはり、水彩画のグループの人達も弔問に訪れたそうである。

 しかし、御遺族の人達には水墨画のことしかお話することはなかったそうである。そして、
御遺族の人達は、説明を受けて、個々の描かれた水墨画のことは良く知っていたのだけれども、「今回はじめて展覧会を観て、兄が何をしていたのかが良く判った」と、妹さんは言っていた。

 そして、妹さんは英春さんの書庫にある数十冊もの水墨画教本をみせてくれて、私達が持っていても仕方ないので、私に譲っていただけるとのことであった。

 御遺族からは、遺作展の話は聞かれなかった。




 英春さんの命日である3月31日の前に、一周忌として 先月 私は水墨画仲間のKさんとNさんと3人で「英春さんを偲ぶ会」を催して、私は妹さんから贈られた数十冊の水墨画教本を皆で分け合った。

 英春さんが描いた見事な水墨画の数々は在りし日の故人を偲ぶものとして、親族の皆様の家の中で大切に飾られており、暖かく皆さんを見守っているのではないかと思う。


 
 ここで英春さんの水墨画をご紹介したいが、それは控えることにしよう。

 或る日 「二階のベランダから空を眺めたら、月がきれいなので写真を撮った。昔は、月を見るとウサギが餅をついているとか、「竹取物語」のかぐや姫と月の話でロマンチィックだけど、今はクレーターが見えたのでは夢がないね・・・」とのメイルが写真添付で送られてきた。

 英春さんが眺めていた月の写真を掲げて、ご冥福をお祈りしたいと思う。