ゲルニカ級の修了制作 | 瀧光の絵画世界

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水墨画、日本画、洋画など幅広い絵画制作活動をしています。
これまでの人生経験や美大大学院で学んだことをベースに、ブログを書いています。


 敢えてゲルニカ級という言葉をつけさせていただいた。


 私は西洋美術史の流れの中に身を置くものではないし、人間の尊厳を芸術活動の基本理念としているので、ピカソをリスペクトしていない。従って、ゲルニカ級の意味は、絵の内容ではなく、単にサイズだけを言っている。


 「ゲルニカ」は349×777㎝であり、私の修了制作は227×727㎝である。縦では1m以上小さいが、横では僅か50㎝短いだけであり、7mを超える横幅ということで理解していただけるのであれば、ゲルニカ級の大きさと言っても差支えないであろう。



 ちなみに、敬愛する岡本太郎の「明日の神話」は縦5.5m 横30mであり、「ゲルニカ」と同じように戦争(原爆投下)への怒りを描いているのだが、私には「ゲルニカ」より遥かに素晴らしい作品に思える。



 神の如し と讃えられたミケランジェロは、システィーナ礼拝堂において天地創造を描いたが、これは 縦13m 横40mにもなり、しかもフレスコ技法による天井画である。



 私が使用していた大学院アトリエに展示した修了制作「愛と死」を次に掲げる。
 巨大な大学院アトリエ横壁を埋める作品は、私の所持するデジカメでは入らなくて、大学から借用した広角レンズ搭載カメラにより撮影したものである。




 

 


 

 私は美大学部を経ずに大学院に入ったので、それを補うために、東京の大書店をハシゴして、美術史を中心とする多くの美術書を購入して事前に目を通していた。


 その中には、ヨシムラヒロム著「美大生図鑑」というような本も混じっていた。
著者は武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科を卒業されているが、自らの経験を踏まえて、卒業制作について次のように述べている。

 「 62 卒業制作は予言する  美大生は4年生になると、卒業制作と対峙する。そんな卒制のジンクス・・・。

 教授のゼミに入り、1年じっくりと時間をかけて卒制を進める。授業のたびに教授は「コレが滑ったら、卒業後数年は滑りますよ。卒制は予言しますから。これオーバーじゃなく本当なんだから!」と口酸っぱく話す。当初は「またまた冗談を」と話半分に受け止めていた。しかし、耳にタコができるほど言うので現実味を帯びてくる。「滑りたくない」一心で制作を行うが、美術はむずかしい。努力したから評価されるわけではない。・・・」   
(91頁)



 もっと実践的な本もあった。
 藝大で油画を学んだ佐々木豊は、著書「プロ美術家になる!」において、「第一条 美術学校ではこれを学べ」のところで、卒業制作について次のように述べている。

 「 卒業制作は大作でハッタリをかませ⁉

 ・・・大作にはある種のハッタリめいたものがつきものだ。これから海千山千の美術界の荒波に乗り出そうという時に、それぐらいの気概がもてないようじゃ将来が危ぶまれるといってもいい。逆説めくが「ハッタリ心」がピカソや岡本太郎、荒川修作を生んだともいえよう。
 美術学生時代の終わりに、誰にでも最初のハッタリをかます機会がやってくる。卒業制作展である。これは並みいる同級生との競争である。とにかく目立つ必要がある。外部からやってくる数少ない美術関係者に「われに才能あり」と思わせることのできる最初で、もしかしたら最後のチャンスでもあるのだ。だから、絶対に「大作」でなければならぬ。
 大きいものが描けるとは、言い換えればそれだけの力量があることの証明でもあるからだ。その場合、完成度など二の次でよろしい。一人前の作家でもない学生に誰も完成度など求めやしないのだ。粗削りでも、ただひたすらパワーを示せればいい。そこでは熱気を、エネルギーの爆発を示せばいい。これから先もガンガン描きまくるぞ、という予兆を作品で表現するのである。

 ・・・・

 ⦁    大作に挑戦すること。
 ⦁    スケールの大きい構成であること。
 ⦁    手が込んでいること。

 これが卒業制作のみならず、これから美術界に挑戦していく美術家の必須条件だ。いずれも熱気に関わる。美大を卒業し伸びていった学生の卒業制作を振り返ってみても、この三条件は重要なポイントである。・・・」   

 (47~49頁)




 多摩美油画においては、何でも許容するという自由な校風であり、巨大な作品が評価されるという観点は、他の美大に比較して特に強いと感じていた。

 私以外の院生は、ほとんど美大出身者なので、すでに「卒業制作」を経験しているが、「修了制作」の心も同じであろう。しかし、傍からみていても、自分に置き換えて考えてみても、彼らは既に「卒業制作」で大爆発を起こしているのであり、その2年後にもう一度爆発を起こすのは、美大の精鋭であるにしても、かなり大変なのではないかと感じていた。


 しかし、これから社会に打って出ようという若い人達と違って、人生の晩年を迎えてその総決算をしようという私の場合は、まったく立場は異なっている。ライバル関係なんてありえなく、むしろ彼らに別の観点から何らかの刺戟を与えることができれば嬉しいというのが私の希望であった。

 そして、彼らとは同じ院生として大作を制作するという一点においてのみ共通しているのであったが、彼らは美大で専門に勉強してきた人達であり、彼らに対して絵の内容では敵わないとしても、作業量では遅れはとるまいという覚悟だけは決めていた。

 

 私は人生100年時代という大作連作を制作しようと大学院に入ったのだが、その頃から修了制作は文楽「曾根崎心中」を「ロミオとジュリエット」を黒子にして制作しようと構想していた。

 入学前は50号までしか描いてなかったので、入学してはじめて100号の作品を手掛けたが、その頃 修了制作は300号程度の大きさになるのかなと漠然と考えていた。
 そして、院1後期になると120号と150号の絵画2点を制作したので、その経験により、院2になると修了制作は400~500号位までは描けそうかなと考えていた。
 しかし、150号くらいまではそのキャンパスの支持体として既製品の木枠を使うことができるが、それを越えるとなると自ら支持体を作らなければならなくなる。
 支持体をどうするか終始頭の中にあり、迷っていた。


 ところが、院2になって学部授業「日本絵画史」を受けていたのだが、担当教授から「日本の襖絵は大きいけど、バラバラにできて、エレベーターでも簡単に運搬できますよ」という話を聞いて、それがヒントになった。

 支持体に既成品を使えるM150をベースに、これを5枚使って、一つの画面にしようと考えた。五曲一隻の「屛風絵」のようなイメージである。

 大きさが決まって、構図が決まれば、絵画は制作できる。

 私は、院2の夏休みに入ると、M150の木枠とキャンバスを5セット購入して、修了制作の準備に入ったのであった・・・

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 結果的には、修了制作は750号(150×5)の規模になったのであるが、ピカソの「ゲルニカ」の大きさを知ったのは、大学院修了後 余裕ができてからである。



 ゲルニカ級もハッタリで制作したのではなく、自然の成行きであった。