5月6日に読んだYahooニュースのプレジデントオンラインの記事が心に残った。下にリンク張っておきます。ぜひ一読ください。
本当に偉い人間とは「人生で夢や希望をまったく叶えられなかった」のに、しぶとく生きている人である
https://news.yahoo.co.jp/articles/2a715421e9e3f24d40325b02e339c7d9dbf4476f
当たり前だが、普段生活している大人は、「夢」の形を職業とするならば、圧倒的に夢を叶えられた人よりも叶えられなかった人の方が多い。
そのため、そういう人たちにシンパシーを得られ、更にそんな大多数の普通の人たちを応援する意味をこめた記事なのだろうが、それでも「夢が破れても人は生きていくことができる。そのほうがもっと大事なことだ」と言われるとちょっと考えた。それはぼくがヲタクだからということにも多少関係がある気がする。
コピーライターでもない限り、普通に生活している大人にとって「夢」や「希望」に触れる機会は意外なほど少ない。そんなものは若気の至りの時代に忘れてきて、日々の生活を生き抜くために戦っているからだ。
しかし、アイドルヲタクはそうではない。
ヲタクたちは夢に向かって走るアイドルを支え続ける。夢に向かって努力する姿を見守り続ける。その先に何があるのか。
AKB48が登場してもう15年になる。
15年前、AKB48が登場したとき、そのコンセプトでぼくが感心したのはあくまでアイドル活動は夢への通過点というスタイルだったことだ。
どのメンバーも、夢は女優、アナウンサー、モデルなどとプロフィールに書かれていた。
そしてそれは、もちろん本人たちは本気で言っていたのだろうけど、応援するヲタクたちが夢に向かって努力する少女を応援するという図式になるような仕掛けだったのだと、個人的には思う。
それから15年。
当時の夢を叶え、女優やアナウンサーになったメンバーもいる。
ただ、やっぱり実感としては夢を叶えた人よりも、夢を叶えられなかったメンバーの方が多い。
ただしだ。
じゃあ、夢を叶えられなかったメンバーが総じて不幸になったかというとそういうわけではないはずだ。
たとえば昨年の熱海の土石流災害の時に話題になった元AKB48の若女将がいる。
この方が現役時代に語られていた夢は「バラエティタレント」だった。
しかし、この方はAKB48卒業後、引退され一般企業に就職されていたらしい。
その後、同じように夢破れた元アイドルを救いたいとお考えになったのか、アイドルのセカンドキャリアを支援する会社を起業され、今では実家である旅館の若女将をされているそうだ。
この方が災害のあと、熱海を救うためにクラウドファンティングを立ち上げられ、ネットに登場したとき、アイドル時代以上の素敵な女性になられていて驚いた。
たまたま、災害がありクラウドファンティングで募金を募るためにネットに登場されたから話題になったが、もしも熱海で災害がなかったら、この方の消息をぼくらは知ることが出来なかったかもしれない。
そしてその姿を見たとき、ネットの掲示板などでの話題になった感想は一致していた。
アイドル時代より輝いている。きれい。素敵。
ぼくも同じように思った。
このゴールデンウィークを含め、最近ロコドルもブームと呼ばれていた時代から十年ほど経過したこともあり、以前アイドルをやられていた人を見る機会が増えた気がする。
シーンからまったく消えて突然現れてレジェンドと呼ばれている方、十年前からずっと一線でアイドルを続けている方、グループを転々としながら活動を続けている方、別ジャンルで活躍してアイドルのステージに戻ってきた方、サポートメンバーとして以前のグループに参加している方。
どの方もヲタクたちと話すときには「いい年齢の取り方をしてるよね」みたいな不思議な評価をしていることが多いが、実際いわゆるアイドル全盛期の頃よりも美しくなっている方が多い。
それでこれは単純に、アイドルも十年かければ年齢を重ね、ヲタクってヲタクしてるときは精神年齢が成長しないから、その年齢差が十年分縮まって、それがアイドルとヲタクの心の距離間を縮めているから起こっているんじゃないかとぼくはずっと思っていた。
このネット記事を読むまでは。
もう一度記事を引用しよう。
「夢が破れても人は生きていくことができる。そのほうがもっと大事なことだ」
最初に話したようにこの記事は、夢や希望に触れることのない大人を元気づけようと書かれた記事だとぼくは感想を抱いている。
だからぼくはこの記事に書かれているように、夢がなくても、ただ漠然としぶとく生きる生き方がそこまで素晴らしいとは感じない。
「夢」を職業と考えるならば、ぼくは好きでもない仕事でも成果を上げようと頑張る人の方が好きだ。
たとえばこれは実際にいらっしゃる人の話だが、刑務所に入ってもただ漠然と作業をするのではなく、差し入れてもらったトヨタのカイゼンマニュアルを読んで、刑務作業を改善しようとしている方もいらっしゃるらしい。ぼくはこういう方のように、どんな状況に置かれてもベストを尽くす人の方が偉いと思う。
ただ、夢破れたあとのほうがもっと大事というのは共感できる。
そしてもっと言うならば、夢破れたあとに新しい夢を抱いている人が一番輝いているんじゃないだろうかと思ったのだ。
誰でも、子供の頃、職業としての夢を抱く。
ぼくだって子供の頃はご多分に漏れず、野球選手になりたかった。でも、ドッチボールで女子に球を余裕で受けられるほどへろへろの球しか投げられなかった。そもそも体育の授業が苦手で才能がなかった。
夢とはそうやって、現実とのギャップであきらめるものである。
だからこそ、現実を知ってから抱いた夢のほうが強いのではないだろうか。
たとえばぼくが体育の授業が苦手でスポーツはだめだと気づいたように、自分を客観視して見つけた夢のほうが、その人の才能を生かしたものに向かっているんじゃないのかと思うのだ。
ロコドルブームから十年ほどが経つ。
ロコドルブームが起こった時、そのブームに参加したアイドルはもちろん、ヲタクも大きな夢を見ていたと思う。
簡単に言えば、CDが流通に乗る形のインディーズデビューしただけで、数年後には応援しているアイドルが東京のキー局のテレビに出るようになるんじゃないかと夢を抱かなかっただろうか? まして、メジャーレーベルからCDを出し、オリコンのチャートに乗ったら、もう有名なアイドルになったんじゃないかとわくわくしなかっただろうか?
それから十年。
ブームは終焉し、橋本環奈さんみたいにロコドルからスターになったアイドルはそう多くない。
そしてヲタクがその現実に気づいてしまったから、ブームにも陰りが出たのだとぼくは思う。
でも、そんななかでもしぶとく、新たな夢を見つけ、アイドルの舞台で活動し続けている方がいる。
橋本環奈にはなれなかったけど、そのぶん挫折から立ち上がって、もう一度ステージに立ってくれた人がいる。
そんな時代だからこそ、そういう方のほうが輝いているのだと、ぼくはこの記事を見て感じた。
夢は壊れた。
でも、新しい夢がある。
そこに向かって走っている人がいる。
挫折を乗り越え、強くなった人がいる。
それを見続けられるのは、無名の若い女の子がアイドルになってステージで輝きを見せるのと同じぐらい、楽しいことなんだと感じたゴールデンウィークだった。
そこにはパンドラの箱の希望がある。