二年ぶりになった藤崎みくりさんの生誕祭、#みくり26
みくりさん自身が「最後の生誕祭」と言われていたのでやな予感がしていたのだが、最後の曲を涙を拭きながら歌っているのを見てそれは確信に変わった。
そして生誕のセレモニー。
「なんか毎年泣いてるね」と自虐的につぶやいてから、「なんとなく感づいている人もいるかなと思うんですけど、藤崎みくりの活動をいったん終了しようかなと思ってます」と言われた。
アイドルがアイドルを続ける期間は永久ではないのはわかっているけど、やはり寂しいものだ。
とはいえ、「文面で伝えるよりもまずはファンの方にこの場で自分の口から伝えたかった」というみくりさんの気持ちはその場にいた者としてはうれしかったのだが……。
13歳でデビューして今月の12日に26歳になられる藤崎みくりさん。ちょうど人生の半分をアイドル活動に捧げられていたことになる。
彼女の最大の魅力は圧倒的なライブの楽しさである。
みくりさんがデビューした13年前はアイドルというジャンルがレコード大賞を取るほどのブームが起こり、サブカルチャーでもローカルアイドルがブームになっていた。その頃、九州のライブアイドルの沸き文化は宮崎と熊本でガラパコス的に発展していたと思う。
宮崎県出身で、熊本のレジェンドアイドルの大谷菜美さんやEriさんからかわいがられていたみくりさんは、その沸き文化の申し子みたいなステージを見せる子だった。
ぼく自身がみくりさんを初めて見たのも、熊本のヲタクから「最近、V4(注・熊本に当時あったアイドル劇場)で面白いステージを見せてる子が佐賀に来るから見に行って」と言われて見たのがきっかけだった。
これもまたレジェンド的な奇才・西森桃弥さんが手がけた「Sweet Devil」や「デジタルラヴ」、そして当時熊本のAiry☆SENSEもカバーしていた沸き曲を演じるライブは、ライブハウスを眩暈を起こすような非日常的な世界に変える、和服風の衣装もマッチングしてまるでお祭りのようなステージだった。
その後も、特にみくりさんが高校生になった頃は精力的に活動が福岡や熊本で見られるようになった。
カバー曲が中心だったが、誰もが知っているヒット曲を立て続けに演じる「殺人セトリ」と呼ばれるセットリストを武器に、常に会場を熱気であふれさせていた。その殺人セトリの中に、熊本のレジェンドアイドルSENSEの「それな!」も加わっていた。
この頃に、あくまでお遊びだが、くまCanの主催ライブで「ソロシンガー大集合」というイベントがあり、その企画で「アイドル歌うま王決定戦」みたいなのをやっていたことがある。そのイベントでいまやメジャー演歌歌手の堀内春菜さんを下して優勝したこともあった。ちなみにこの日の集計はネット投票と会場投票があって、ネット投票は主催のくまCanに多く入っている印象だったが、会場投票で圧勝していた記憶がある。今確認したら最終結果は、くまCan 46pt 吉田さん 35pt 堀内春菜 47pt 藤崎みくり 61ptと圧勝だった。どれだけ生で見る藤崎みくりさんのステージがすごかったかということだろう。まさに「ライブアイドル」という言葉がぴったりなアイドルだった。
そんな藤崎みくりさんの勢いに圧倒されていたぼくは、その頃、当時運営をされていたひぃかさんに「オリジナル曲を増やすとかCDを出すとかないんですか?」と訊いたことがある。
その時の返答は「いつやめるかわからないからたぶんない」だった。
結局それからでも十年は活動を続けてくれたのだが、ぼくはその割り切りを痛快に感じた。
十代の大事な時期をアイドルに捧げる少女たちは、いまよりも大きいステージを目指すことが普通である。
しかし、藤崎みくり陣営はあえてしなかった。
未来に目を向けるのではなく、会場に足を運んでくれたその日のファンのために常に全力を尽くしてくれたのだ。
ちなみに熊本のとある劇場ではPA機材をだいぶ藤崎みくりさんが持ち込んでいるという話も聞いたことがあった。極端な話、そのリソースをCD制作に注ぐこともできただろう。だけど、あえてそれをしないで、謎に覆面マスクをグッズにしたりする、わざとちょっとずらしたそのスタイルがぼくは大好きだった。
そしてだからこそ、藤崎みくりさんは、いわゆるアイドルの普通を払しょくする秩序を乱すようなステージを見せて熱狂させてくれた。
昨日の生誕祭、二十代を中盤に迎えていても終始、藤崎みくりさんはその往年のパフォーマンスを見せてくれた。
途中でゲストの岡田朱梨。さん、吉川りおさん、そしてサプライズゲストのちかこさんとのコラボもあり、びっくりするような時間も続いた。
藤崎みくりさんのステージの魅力は何度も言っているがそのライブ感で、それはつまり、「ここでこの時間しか感じられない非日常」を与えてくれることだと思う。
CDを出して予定調和的にファンが喜ぶ曲をやる、というわけではなく、なにが起こるかわからない、そしてなにが起こってもここでしか見られないものを全力で演じる。フロアもよく見られていて、MCでいじるのもお手のもの。
その藤崎みくりの活動が終了するとなると今後それもあまり見られなくなるかと考えたら、やっぱり寂しかったが、この空間を非日常に変える殺人セトリを残り少ない時間でたくさんの人に感じてほしいと思う。
ちなみにこの日は生誕祭のあとにアフターのオフ会もあった。
オフ会では「長い期間アイドルしてきたけど、ガチ恋のオタクがつかなかった」とみくりさんは愚痴られていたけど、その真偽はともかく、ぼくとしてはその距離感がある意味、みくりさんの魅力だったのかなとも感じている。
普通のアイドルならば「わたしってかわいい?」とアイドルが訊けば「かわいい」とオタクが応えるのが健全なアイドルとオタクの関係であるが、十代の頃からみくりさんが「かわいい?」と訊けば「どうかな?」と応え「おいおい」とみくりさんが突っ込むようなシニカルな関係性が築かれていた。本人は「かわいい屋さん」になっているつもりで、もちろんオタクもその「かわいい屋さん」から「かわいい」を売ってもらっているのを自覚しているのだが、そこで「かわいい」と言ってしまえば藤崎みくりさんの商品価値が「かわいいだけ」で終わってしまうので、そうじゃない部分も感じたくてそうなってしまっているのだ。かわいいだけでもだめじゃないけれど、かわいいだけのアイドルなんてたくさんいるし、オタクはかわいいにプラスアルファを求めていて、それをみくりさんはぼくらに与えてくれているのである。
そこにはみくりさんの器の大きさや、初期の運営だったひぃかさんの普通ではないアイドルに育てようという計算が生んだのだろうが、いまになってみるとぼくにとってみればその関係性が「ちょうどいい」。
殺人的な化け物のようなステージをやるのに、物販やオフ会ではアイドルを前にしたファンとの交流とはかけ離れた軽口をたたける関係性。
最近の若い女の子はかっこいいだけのイケメン俳優よりも、話も面白いお笑い芸人のほうが理想の男性と思っているという話を聞いたことあるが、おそらく男性にもそういう潜在的ニーズがあり、結果的にそれを藤崎みくりさんはうまくくすぐっていて、それをぼくは「ちょうどいい」と感じていると思う。だから、「ゆるキャラ系アイドル」と言われていたんだと思う。
いまやメジャーシーンのアイドルは「わたしはかわいいでしょ」という自己肯定を歌う曲が流行り、オタクに「かわいい」と言わせたいアイドルが量産されている時代になっている。
もちろんそれが主流になるということはそれだけ、そういうスタイルが支持されているということであり、否定するものではなく楽しめる分は楽しみたいとぼくも思っている。
だけど、そうじゃない「ちょうどいい」秩序を乱すアイドルも楽しめる方が大げさな言い方をすると文化的に豊かだし、そういうアイドルがライブで会いに行ける距離にいてくれたほうがぼくはうれしい。
そして、そんなシニカルな関係でありながらも、社会人になって回数が減ったとはいえ、オタクが悲しいときに歌声を聴かせるために戦ってきた藤崎みくりさん。
残された時間は短いかもしれないが、ぼくはいつまでも心に残していきたい。