2023年 アイドルは一期一会に変わった | 君が好き

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アイドルの話でもしようず。

ヘヴィメタルは1978年、ジューダス・プリーストの「ステンド・クラス」というアルバムによって誕生した。

このアルバムが日本に紹介されたとき、ライナーノーツを書いたのが伊藤正則である。

ステンド・クラスも傑作と名高いが、このライナーノーツも傑作と名高い。

引用しよう。

 

ジューダス・プリーストよ、僕は歩兵でいい。

喜んで最前線に切り込んで行こう。

今更遠慮なんてするなよ。

かまうことはない、この僕の体を踏み越えて、さあ栄光の王冠を握ってくれ。

君たちの栄光は僕の誇りでもあるのだから。

もう僕は君たちにこの身の全てを委ねた……!

 

このライナーノーツはヘヴィメタルだけに限らず、その後の音楽シーンでオーディエンスに与えた影響は大きい。

栄光の王冠に向かって闘うアーティストを、オーディエンスは歩兵として支える。

そのような構図は今でも音楽シーンでたまに見られる。

 

空前のアイドルブームで沸き立った2010年初頭、アイドルヲタクも歩兵だった。

むしろ他の音楽ファンに比べると、身を削るという意味では最も優秀な歩兵だったのではないか。

グループ内でメンバー間の序列を決める選挙があれば推しのために投票券を集め、グループが他のアイドルとのコンペティションをやると課金をする。CDに特典が付けば、同じCDを何枚も買う。

すべては推しの夢のため。

そしてアイドル側も、ちょっとしたローカルなアイドルでも「武道館のステージに立ちたい」「東京ドームでライブをしたい」と夢を語っていた。

 

それから約10年。

現在でもそのような歩兵が闘っているアイドルもいるが、ブームが沈静化し、そのような光景は珍しいものになってきたように思う。

一番の要因は、若い少女の夢を応援するというアイドルとファンの関係が、アイドルはステージでファンを楽しませる、ファンはエンターテイメントとしてそれを楽しむという関係性に代わってきたからだと思う。

また、文化的に見ると2010年代後半からサブカルチャーの主役に君臨したYoutuberの存在も大きいだろう。

Youtuberは動画の後に「この動画が良かったら、グッドボタンとチャンネル登録をよろしくお願いします」と言うことが多い。

このグッドボタン(高評価ボタン)とチャンネル登録の数が、Youtuberの人気、すなわち実力を示す指標になっているらしく、ぼくは「15.5万」とか書いてある人気Youtuberのそれらの数字を見ると、冒頭に上げた伊藤正則よろしく、その数字が歩兵の数のように見えてしまう。関ヶ原の戦いで家康率いる東軍7万、毛利輝元率いる西軍8万、このYoutuber15万か、みたいな感じだ。

ただしである。

アイドルファンに比べるとこの歩兵はそこまで優秀ではないと思う。

それは「この動画が良かったら」と、リスナーがアクションを起こす前に一言添えているからだ。

動画が良くなければ、すぐに隊列を離れる気楽な歩兵なのである。

 

愛を分析した哲学者・エーリッヒ・フロムは「愛するということ」で、愛の類型として「母性愛」と「父性愛」というものをあげている。

これは性別的に女性は母性愛を持っていて、男性は父性愛を持っているというような話ではなく、性別に関係なく人間が抱く愛の性質を、家庭に例えて分析している。

そこでフロムは母性愛を「無限の愛」、父性愛を「条件付きの愛」と書いている。

すなわち、十か月間、自らの身体の中に命を宿し、お腹を痛めて産んだ母親は、生まれた子供には無限の愛を抱いている。なにがあっても、最後まで子供を守る。そのような無限の愛が母性愛なのだ。

対して父親は子供を社会に通用するように育てなければならない。そこで父性愛は子供に「私が望むように成長してくれれば愛してあげよう」という条件付きの愛になってしまうと。

フロムはこの愛は子供が大人になる道筋でどちらも必要だと述べ、特に幼少期は母性愛、青年期は父性愛を受けるものだと語っている。つまり、母性愛は「とてもかわいい」となにもしてなくても愛が生まれるのに対し、父性愛は「ちゃんと勉強してくれているから愛してる」といったような条件付きの愛であり、それはどちらが素晴らしいとか優劣の話ではなく、どちらも必要なことなのだと。

さてここで話を戻そう。

Youtuberは「この動画が良かったら」と条件付きの愛を求めている。Youtuberは、ファンからは条件付きの愛しか与えられないことを知っているのだ。

2010年初頭のアイドルヲタクたちは、曲がどんなに良くてもCDなんて一枚あればその機能を満たすのに、投票券のために何枚もCDを買い、無限の愛を与えてきた。

だからアイドルヲタクは優秀な歩兵だったのだが、そのトレンドはもう終わりつつあるのではないだろうか。

「コスパ」なんていうコストパフォーマンスを略した言葉も最近よく聞く。

そして2020年代に入り、アイドルもそのトレンドに気づきつつあるのだろう。

 

結果としてそのことを実感するのは、アイドル側が「武道館のステージに立ちたい」「東京ドームでライブをしたい」といった夢を語らなくなったからだ。

その代わり、一回一回のステージで目の前のファンを精一杯に楽しませようとしているように感じる。

阪神タイガースの優勝を自分のことのように喜んだファンのように、アイドルとファンが同じ夢に向かうのはもう古いのだ。むしろ寄席で落語家が御贔屓を見つけるために高座で全力を演じるように、来てくれたファンのためにアイドルが全力を尽くすように変わってきているのだ。

いつになるかわからない、叶うのかもわからない未来を追いかけるのに付き合うのはタイムパフォーマンス、すなわちタイパが悪いというのが今の時代のトレンドかもしれない。

夢を一緒に追うほどの余裕がファンにもなくなったのもあるかもしれない。

成長を見続けるというのがアイドルの魅力のひとつにあるのもたしかだが、成長する姿に付き合うぐらいなら、すでに完成したものを見たほうがコスパもタイパもいいという時代なのだ。

そこでアイドルは「楽しいステージをやるからファンになって欲しい」という方向にベクトルが進んでいる。

Youtuberが動画が良くなければチャンネル登録も高評価ももらえないように、一回一回のステージで良いと思われないとファンになってもらえないと、アイドル側も覚悟を持っている方が増えたように思う。

その結果として、歩兵として支えるファンは減り、エンターテイメントとしてステージを楽しむファンが増えたように思う。

近年、リフトや騒ぐなどヲタクの行動が過激になってきたり、何十万円もするカメラを持ってるヲタクも増えたが、それも一回一回のライブを積極的に楽しもうとしているファンが増えた結果だと思う。

そして、アイドルもそうやってこつこつと少ない人数でも目の前の人を最大限に楽しませること、せっかく来てくれた人に満足してもらうことに全力を尽くすことが、結局は栄光の王冠の近道になるようにぼくは思う。

強力な歩兵が身を削って下駄を履かせても、その下駄を脱いだら意味がない。正直、そんなアイドルもちょこちょこ見てきた。

だからこそ、条件付きの愛にこたえられるようなアイドルが結果的にホンモノになれる気がぼくはしている。

来年もそんな素敵なステージをたくさん見たい。