大好きな永遠の二推しでした 橘かえでさん | 君が好き

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アイドルの話でもしようず。

MONECCO5時代
のちの橘かえでさんに初めてお会いしたのは2015年の7月の天草アイドルフェスタだったと思う。
このときはMONECCO5も研究生合わせて10人以上いるときで、しかもぼくはMONECCO5をダブルセンターと最年長ぐらいしか知らなくて、のちの吉川りおさんを見て初見なのに光る子いるなあと思った記憶しかない。この日、正規メンバー昇格最初のステージだったかえでさんは、自己紹介も最初にしていたが、そこまで強い印象は残ってなかった。
次に見たのが熊本でのくまCan主催のイベントだった。9月の話だ。
このイベントは、ゆーまんのくまCanの推しが卒業するイベントだったが、ゆーまんは推しとの別れを切り替えるように「もねっこに○○○(熊本の昔のゆーまんの推し)に似てる子がいる」とはしゃいでいたのだ。
そこで、のちの橘かえでさんの存在をぼくは覚えた。ただ、そのレベルだった。
ところが、ゆーまんのはしゃぎようを裏付けることがすぐに起こった。
ぼくが三回目にかえでさんに会うことになったのが10月の菊地夢空間、ショッピングセンターでの野外イベントだった。熊本のご当地アイドルが三組集まっていた。MONECCO5は天草外のイベントということでヲタクさんたちもかなり気合いが入っていた。そして、他のアイドルグループよりもそこで光るステージを見せていた。もともと、当時のMONECCO5のホームだったスマイルパークが野外であり、更に天草市内でのお祭りの出演など野外イベントをこなしていたMONECCO5は、他の熊本アイドルに比べて得意な環境のステージだったこともあるだろうし、他の二組より人数も多かったこともあっただろうが、この日いちばん激しいステージをやったのがMONECCO5だった。くまCanのヲタクとしてイベントに行っていたぼくは、そこでのMONECCO5のステージの迫力に圧倒された。
そして、その中でひときわ声援を浴びていたのが「みやび」ことのちの橘かえでさんだった。歌割がないのに、他のメンバーがソロを歌ってるときでも「みやびー」とコールされていたほどだった。
MONECCO5といえばダブルセンターと最年長とりおちという認識だったぼくに、かえでさんは強くインプットされた。また、当時はまだ5erと呼ばれていなかったMONECCO5のヲタクたちを見ていて、ゆーまんが言っていた通り、熊本ではすごい人気なんだなと感じた。
この頃、なにかのきっかけでみなみぶちょーがおすすめのアイドルを教えてくれというから、「MONECCO5がいいよ」と言ったこともあった。メンバー全員のアー写を見せたら「緑の子かな」と言われ、「緑の子の基本情報くれ」と言われたので、当時かえでさんが書いてたブログを送ったら自己紹介に「とりあえずバカです(*`・ω・)ゞ」と書かれていて絶句したということもあった。
そのくらいかえでさんは、知れば知るほど強烈な個性が浮かぶ存在感はあった。

2015年12月のスマイルパークでのクリスマスイベントでは、ゆーまんが「やっぱりみやびかわいい」と言いまくっていた。ぼくはブログの「とりあえずバカです」のインパクトもあったので、この子は他のアイドルにはない強烈な個性を持っているかもしれないと思いながら見ていた。
たしかにやばかった。
この頃にはMONECCO5のMCは最年長とりおちに固定されていて、そのふたりが話しているためにステージで個性を発揮することはそうなかったが、それでもなにかを言いたそうにきょろきょろしたり、他のメンバーと話したりしてる自由な姿が印象に残ってる。
たしかこのとき初めて物販に行った。当時はまだ12歳。のちの橘かえでさんを想像すると無口な、というより写真にサインを書いてるとあまり話せない初々しさがあったと記憶している。でも、しっかり「ありがとうございます」「応援よろしくお願いします」と言うのが気持ちいい子という印象は強かった。
そうこうしているうちに、ぼくはこのクリスマスイベントのときは研究生だった子が正規メンバーに昇格するや、推しになっていた。

推しに会いに行こうと出かけたのが2016年5月のスマイルパークでのチャリティーイベントだった。
この頃の物販の並びは、ぼくの推しのとなりがかえでさんということが多かった。
当時のMONECCO5の物販で列ができるのはダブルセンターや最年長、りおちぐらいで、そのほかのメンバーは当時はかなりゆるい空気で物販をやっていた。
そのとき、空いてるメンバー同士で話してファンを楽しませたり、時にはとなりのメンバーの物販に割り込んだりして話しているのが、のちのかえでさんだった。物販に行ったことはなくても、ヲタクみんなに愛されてる、また、かえでさんのほうも何度かMONECCO5に来たことのあるヲタクならたいがい覚えてる、そんな感じだった。そしてそれがMONECCO5の親しみやすい空気を作っていた。
新規の人が来たときは「物販、迷ったらみやびに行けば間違いない」と、どのヲタクも口を揃えて言うほどだった。
この頃、ぼくはかえでさんにこう言われたことがある。
「たきびさん、○○〇ちゃん推しなんでしょ。二推しはわたしよね」
それでこの話にはオチがあって、2016年からMONECCO5は年賀状を始めたのだが、このときぼくは推しさんとりおちとかえでさんを申し込んだ。
んで、2017年最初のイベントの物販でかえでさんから「たきびさん、年賀状ありがとう。びっくりした。なんでわたしなんかの頼んだの」と言われたので「二推しだからから」と言ったら、微妙に照れたような笑いをしてくれたのを覚えている。
また、この頃、かえでさんは物販のあとにハイタッチをやるというサービスを始めた。
交流してタイマーの音が鳴ったら「弱・中・強、どれにしますか?」と訊いて、ヲタクが強さを返事したら、両手で「ハイ、ハイ、ハイ」と叩く。「強」がおすすめだったらしいが、「弱」でも結構痛かった。ヲタクとしては一回やられただけでも痛いのに、並んでるヲタクすべてにやってたのだから普通にすごいなあと感じていた。アイドルとしてできるアイデアをすぐに実行に移す。そのアイデアもとにかく人と違ったこと。これがかえでさんの最大の魅力だった。
そのような強力なパーソナリティーでマンツーマンでも楽しませてくれるから、かえでさんとの思い出はついつい物販交流会が多くなるが、ステージでも活躍の場は増えていた。
2017年、2018年はMONECCO5の飛躍の年だったけど、それと同時にいちばん飛躍していたのがかえでさんだったと思う。
歌割りも増え、2018年発表された「Ifの向こう側へ」ではセンターに抜擢された。冗談でも「二推し」というのが申し訳ないほど、かえでさんを推してる人も増えてきていた。
そして2018年10月に最年長のリーダーが卒業すると、チャンスの順番が回ってきた。
これまで最年長とりおちでほぼ固定化されていたMCやラジオ出演が、他のメンバーにも回ってきたのだ。
水面下では物販でヲタクを楽しませていたかえでさんが、ついに表に出る。
独特の世界観、突拍子もない発想、ちょっぴり舌足らずな素朴な口調。
かえでさんが発言するところでは、他のメンバーのあきれたような突っ込みとともに笑いが生まれていた。
ライブのMCなどでも話がぐちゃぐちゃになりかけたら、かえでさんが発言して更にぐちゃぐちゃにして笑いに変えるのが定番化していた。
実際にはかえでさんの高度な観察力と、すぐに言葉に変えることができる言語力がそれらを作っていたのだが、かえでさんご本人はその自らの努力を鼻にかけることも、期待を裏切ることをすることもなく、時にはいじられキャラとして道化に徹してくれていたので、非常に楽しいものになっていた。
ステージでもぐんぐんと歌唱力を上げ、ライブ中は「みやみやみやみやみやびーぬ」というかえでさん専用のコールまで生まれていた。それほどヲタクにも愛されていた。
2019年、2020年は一転、MONECCO5は卒業ラッシュとなる。
何人ものメンバーの卒業を見送る中、「それでもMONECCO5にはみやびがいる」というのはヲタクにとって救いだった。
かえでさんがいるだけで、ステージが明るくなっていた。ヲタクだけでなく、他のメンバーもかえでさんが明るくしていたように思う。
そして2020年にMONECCO5は解散。
すでにりおちが卒業していたこともあって、解散ライブのマスターMCもかえでさんに託されていた。
MONECCO5を代表して最後に
「解散はしたくなかったけど、決めたことだから解散して、また新たにがんばります」
と泣きながらかえでさんが挨拶をしてMONECCO5は幕を閉じた。
そのときにはすでにかえでさんがグループの中心になっていた。

あきことよしことじゅんこ時代
MONECCO5が解散したとき、日本ははじめてのコロナ禍での冬を迎えていた。
主に配信が活動の中心となり、なぜかかえでさんは「よしこ」という名前になっていた。
のちの柊わかばさんである「じゅんこ」は受験でほとんど活動がなく、基本的にはのちの椿まりあさんである「あきこ」とのふたりでの配信が多かった。
あとは熊本CLEAR'Sとの合同ユニット、ARK FANTASIAで「霖雨のファンタジア」を歌われていた。
おそらくこの頃の経験がRe:fiveで活かされていくのだろうけど、配信では、MONECCO5時代の自由さを残しながらも、まとめ役をかなり意識されていたように感じる。
女の子ふたりがしゃべるだけの配信も、ヲタクなら見るのは楽しい。でもそれだけじゃコンテンツとしてはまだまだ。まず、そもそも話している内容がなになのかは、同世代の女の子が見ればわかることでも、中年のおじさんにもわかるように説明しないといけない。話の進む方向だって、あんまりぐちゃぐちゃにならないようにセーブする。そしてなにより見てる人に楽しんでもらう。
そのあたりに結構神経を使われているように感じた。そして、そのときの経験がその後のRe:fiveに活かされることになる。
ぼくはコロナが落ち着いた2021年の4月に一度だけ、「かえでとまりあ」として出演したアイドルイベントのステージを福岡で見たことがある。
このときはovertureもまだMONECCO5のものを使っていて、ふたりでMONECCO5をやるというステージだったけど、六年半MONECCO5をやってきたふたりにはなんの問題もない素晴らしいステージだった。
このままいけば新しいグループも楽しみだと思っていた。

Re:five時代
コロナ禍が深刻になっていた2021年4月にRe:fiveがデビューした。
新曲「君とRestart」に「霖雨のファンタジア」、そしてMONECCO5の楽曲を中心に活動拠点を天草から熊本に移しての再スタート。
うまくいけばいいなと思ってたけど、まずコロナ禍でアイドルイベントに足を運ぶ人が減っていた。
ライブに行けば相変わらず楽しいし、新曲もすごくいい。
なのにコロナ禍がファンをライブ会場から遠ざけ、どのグループも試行錯誤していた。そんななかRe:fiveもうまくいってないように見えることが2021年は続いた。
結果的にこの時は三人研究生がいたのだが、三人とも2021年に辞めている。
また、かえでさんと何度もダブル生誕をしたこともある、あきことよしこのときはあきこであり、まさにかえでとまりあの相棒とも言える椿まりあさんも卒業された。
柊わかばさんの復帰、新劇場の開設と明るい話題もあったが、世の中のコロナ禍の閉塞感に飲まれているような雰囲気だった。
この空気を打開するためなのか、10月にタレント活動を再開した吉川りおさんが期間限定でRe:fiveに加入した。
個人的にここが橘かえでさんにとって、めちゃくちゃ幸運だったんじゃないかと思う。
MONECCO5のときから一緒にやってきたおふたりだけど、初期の頃から副リーダーだった吉川さんと、自由な年少組だった橘さんでは求められるものがまったく違ったのだろう。
そこで、あきことよしこの配信ではリーダーシップを求められ、それをうまく発揮されていたとは思うが、配信でできてもステージにはステージの難しさがあり、うまく発揮できてなかったのかもしれない。
もしくは当座はそのようなことは吉川さんに任せることで肩の荷が降りたのかもしれない。
もともと橘さんは、物販ではひたすらに明るく、裏で悩んでいる姿などヲタクにはおくびも見せない方なので推測でしかないけど、吉川さんが加入したことでRe:fiveの雰囲気はがらりと変わった。それはやはり橘かえでさんが、吉川りおさんにサポートされることで輝きを増したからだと思う。いつも以上にステージを楽しみ、ヲタクに元気を与える橘かえでさんを見ることができた。
この頃に劇場でカフェが始まった。
定着はしなかったが、カフェの時間に「橘かえでが落語をやってる」「怪談をやってる」と話題になった。
「時そば」で一文を「いちぶん」と読んだり、「まんじゅうこわい」でお茶が出てこなかったりとめちゃくちゃだったらしいが、それでもヲタクを楽しませるためにいじられてもなにかやる、というかえでさんの勇気が伝わるエピソードだと思う。
2022年もはじめの頃はコロナ禍で、1月に予定されていた生誕祭も4月に伸びたが、一年前のようにグループの空気はコロナ禍に飲まれることはなかったと思う。
まずは5月に開催されたRe:five劇場ワンコイン対バンイベント。
ホストとして影アナから司会をこなし、イベント全体を盛り上げていたのは橘かえでさんだった。
ただ、どんなに盛り上げても自分に称賛を集めないのがお人柄なのか、素敵だった。リーダーシップと言えばそうなのだが、常に他のメンバー、グループを引き立てていることをいちばんに動かれていたと思う。
たとえば、橘さんがJunior flavor熊本の曲に参加するというコラボをしてみせても、「若い子がいいなあ」とヲタクはJunior flavor熊本を褒め、橘さんには苦笑していた。ただ、ヲタクにそういわせるほど愛されていることが、さすが橘かえでさんと感じた。
ゴールデンウイークが終わると、吉川りおさんのサポートメンバー期間が終了した。
正直、吉川さんから「来月でサポートメンバーやめる」と聞いたとき、ぼくは唖然とした表情を吉川さんの前で浮かべた記憶がある。
大丈夫かな? と心配になった。
ただ、吉川さんと入れ替わるように西園寺つきさんと東雲ういさんがまずは研究生として加入する。
そしてぼくはこの東雲ういさんを一目見たときから推そうと決めていた。顔が好きだったのだ。ヲタクとはそういうものだ。
そしてぼくは行かなかったのだが、このつきさんとういさんを加えた撮影会が終わったときにぼくは「ういちゃんの写真もっとないですか?」とツイートした記憶がある。
その翌週がモネリンピックだった。ぼくがつきさんとういさんに初めて会った日だ。
その日、かえでさんはぼくのそのツイートを見ていたらしく、すかさず「たきびさんはういちゃんを推すんですか?」と言われた。
おそらくMONECCO5やRe:fiveを応援した経験がある人なら頷いていただけると思うが、かえでさんはヲタクのこともよく把握している人だった。基本的に物販交流会に行けば、まずは「たきびさん、このあいだツイッターであれやってたでしょ」などとヲタクの話題で切り出してくれるような方だった。そういう方だからこそ、ステージでも他のアイドルを引き立てることを得意とされていたんだと思う。
さて、かえでさんに「ういちゃんを推すんですか?」と聞かれ、馬鹿正直に「そうだ」とぼくは答えると、かえでさんはまたぼくにこう言われたのだった。
「じゃあ、わたしは二推しで」
実際、ぼくもそうだけど、MONECCO5やRe:fiveに推しがいても、二番目に物販に行っているのは橘かえでさんという人は多いと思う。
それはひとえに、かえでさんの個性的なキャラクターが疑似恋愛対象というよりも、話してて楽しい女の子という側面が強かったからだと思う。
でもそういう存在は本当に貴重だ。
推し被り敵視、同担敵視なんて言葉もあるが、恋愛対象となればわたしだけ愛してほしいしあなただけ愛されたいという独占欲が付きまとうが、かえでさんはそういうアイドルではなかった。みんなに愛され、またヲタクたちみんなを愛する。
だからぼくにとって、MONECCO5のときからずっと二推しなのは変わらなかった。
さて、そのつきさんやういさんを迎えて四人体制になったRe:five。
2022年の5月中旬からの活動になったが、その活躍はすごかった。
もともとダンスを激しくグループでパフォーマンスには妥協がないから、研究生が加わったことで演じられるレパートリーは結果的に減っている状況も秋ぐらいまではあったが、それでもステージのメンバーからは、常に楽しいオーラがあふれていた。
メンバーが本当に仲良さそうで、本当に楽しそうにステージをする。
それはまさに、みんなから愛され、みんなを愛す橘かえでさんが理想とするアイドルグループだったからだと思う。
7月につきさんとういさんが短期間で正式メンバーに昇格する。
毎週のようにステージをぼくを見たが、真剣に楽曲をやるときもかなり楽しそうで、その幸せオーラがヲタクにもやってくるようなステージを見せていた。MCや企画ではヲタクと一緒になってメンバーも楽しんでいたようにも見えた。
そしてその中心には橘かえでさんがいた。
とはいえ、秋ごろから、お仕事が忙しくなったのか、橘かえでさんの休演が増えていた。橘さんがお休みの時は、遺影のように橘さんの写真がステージに置かれるのも定番になっていた。
ある意味、いなくても存在感があり、やはり橘かえでというリーダーがあるからこそのRe:fiveだとぼくは感じていた。

2023年1月18日、その橘かえでさんのRe:five卒業が発表された。
運営も受け入れきれていないとツイートしていたが、ヲタクも当然受け入れきれていないのが正直なところだ。
もちろん、いままでこれだけ素敵な体験をさせてくれた橘かえでさんには感謝しかないし、ありがとうと言いたい。
橘さんが選んだ道だから、それを否定する権利はない。
これからの橘さんの未来もRe:fiveの未来もぼくは応援したい。
ただ、振り返ると失われるものの大きさに気づかされて愕然としてしまう。
「St…you」で歌われている通り、「私だけを愛してほしい」が普通のアイドルの世界で、みんなから愛され、またヲタクみんなを愛してくれた橘かえでさんのようなアイドルにはもう会えないかもしれない。
そう考えると寂しい。
だから、残り二か月、できるだけお会いしたいと考えている。
会えるのは今だけだよ!