アイドルヲタクが楽曲を語るとき、「ガム曲」「スルメ曲」という用語で曲を分類することがある。
「ガム曲」とは、チューインガムのように、最初の刺激は強いけど噛んでいるうちに味がなくなるような感じの曲のことをそう例えて言う。言ってしまえば、最初に聴いた時のファーストインパクトがすごく良くて何度も聴きたくなるんだけど、何度も聴いているうちに飽きが出てくるような曲のことだ。シングルの表題曲やそのグループの代表曲に多く、わりとアイドルを知らない一般の人でも「いい曲だね」と言ってもらえる曲に多いと思う。
対する「スルメ曲」とは、イカのスルメのように口に入れただけでは味がしないが、噛めば噛むほど味が出てくる感じの曲のことである。クリエイターがどうでもいいとこまでこだわっていたり、中にはヲタクの中で勝手なストーリーができて噛めば噛むほど味が出てくる状態になっているものまであり、ぶっちゃけ一般の人にはなんの琴線にも触れないのだが、何十回と聴くそのグループのヲタクにとっては、その噛めば噛むほど味が出てくるような深さから神格化までされてしまうような曲のことである。
一般の人にも好まれるようなたくさんの人に愛されるガム曲のいい面と、ヲタクやマニアに深く愛されるスルメ曲のいい面も持った曲を作り上げるクリエイターがいればいいのだが、どうも人間の感性的にこのガム曲的なところと、スルメ曲的なところは、二律背反で両立できないものらしい。
THE BEATLESにしても"Please Please Me" のような世界中の誰もが知っているガム曲もあれば、"Strawberry Fields Forever"のようにそこまで有名な曲ではないけれどマニアの中では異常な人気のあるスルメ曲がある。
Deep Purpleにしても、中高生がギターでリフを練習する"Burn"は発表以来40年が経過したいまでもテレビのCMにも使われている有名なガム曲だけど、本当にDeep Purpleを好きな人は"Child in time"のようなスルメ曲こそ至高の名曲だという。
つまり、意識的、無意識にかかわらず、楽曲には、必ずガム曲的な面とスルメ曲的な面があるのだ。
そしてぼくは個人的にはアイドルの楽曲には「ガム曲」的なことに強いベクトルが向けられていると思っている。
やはり初めに強烈なインパクトを残すことは大事で、はじめはピンと来なかったからハート型ウイルスに侵される確率よりも、これだけたくさんのアイドルもいるんだから、一回聴いただけで「また聴きたい!」とヲタクに思わせることに力を向けている楽曲が多いと思う。
さて、そんなことを考えてもなかったが、土曜日はたいめい苑におとまむ系ロディーを見に行った。
この日のオトロディは四曲の30分ほどのステージ。
ラストの「Over the Display」まで全力全開のシンプルなアイドルステージだった。
大津ひよりさんを軸に「え、オトロディってこんなに踊れたっけ(失礼!)」と驚くほどのスピード感のあるダンスに、宇城ありささんのアイドルオーラ溢れる歌声が、花火を待つ夏の夜空に浮かんでいた。
ステージが終わったとき、大汗をかいて、親切なヲタさんからおごっていただいた冷たいお茶を飲みながら、「楽しかった」とぼくは思った。
シンプルだったけど、それはまさにオトロディらしい楽しいステージだった。
そこまで考えて、ぼくはふと「オトロディらしい」ってなんだろうと思った。
オトロディワールドとも呼ばれるその世界。それがシンプルなステージでも見られたからぼくは楽しかったのは事実だ。
でもそのオトロディワールドって?
ぼくは、いままで見たオトロディのステージを思い出していた。
そして、衣装の印象も強いのかもしれないが、毎回ステージのたびに印象が違うことに気づいたのだ。
プリパラなどのアニソンカバーを芯にしながらもヲタ芸など面白うそうなことを試行錯誤で取り込んでいた去年の天草、ラブライブやボカロ等をやってヲタク文化の最先端をステージで表現していた去年のクリスマス、オリジナルでがんがん攻めた今年5月のTIF予選、そしてシンプルにアイドルとして女子高生風の制服衣装で、踊りまくり、歌いまくったこの日のたいめい苑。
そのステージの奥底には、メンバーの楽しそうな空気が流れているのだが、見せ方に対してはそのときそのときで印象が違うのだ。
おそらくオトロディワールドとはぼくがここで感じている「メンバーの楽しそうな空気」というものだと思う。
そしてその楽しそうな空気を、そのときそのときいろいろな印象を見せる世界観の多様性が、「オトロディワールド」と呼ばれる世界観を作っているのではないかと思ったのだ。
ではそのぼくが感じた「メンバーの楽しそうな空気」とはなんだろう。
それはひとりひとりのメンバーさんを見ればなんとなくわかる。
驚異のアイドル性の高さを見せる宇城ありささんは、存在自体がアイドルである。ステージのMC、グループを引っ張る歌声、アイドル感あふれるダンス、そして物販の立ち振る舞い、そのアイドルらしさは目を見張るものがある。まさにアイドルらしいアイドルだと思う。ただ、これで運営も兼任しているという意外性がさらに彼女の存在感を深いものにしているから単にアイドルらしいだけでは片付けられなくてあなどれない。
大津ひよりさんは恵まれた長い手足で美しく踊る。長身ということもあり、他のメンバーがちょっとわちゃわちゃしていてもステージで軸となってしっかりしている。それなのに表情はいつも天真爛漫な笑顔で、安心感と楽しさを一緒に見せてくれる良さを強く感じる。
琴平るなこさんの存在感も目を引くものがある。そのわりに、くっきりとした目鼻立ちにメンバーカラーも赤ともともと存在感の強い立場でありながら、ステージでは自分が、自分がと前に出るよりも、ちょっと控えめで存在感を示すというところが面白い。
益城さわのさんは恐ろしくマイペース。物販がはじまるというのに、オトロディのあとに出たバンドのステージに夢中になって物販スペースに遅れてくるし、かと思えば物販が始まっているのに、なぜか祭り会場のゴミ箱が散らかっていたのが許せなかったらしくボランティアスタッフと掃除をしていたりする。そんな自由な存在でありながら、実はメンバーの衣装を製作しているという職人的な顔も持っている。
天草れいかさんは「ポンコツ」委員長の異名通り、しっかりしている印象。チェキ撮影にマネージャーが追われていたため、物販のレジをひとりでちゃんと守っているまじめさがまさに委員長。でもときどきヲタクたちと話しているときに見せる笑顔はやんちゃな一面もあって、単に優等生キャラでは語れない魅力があった。
といった感じに、メンバーひとりひとりが、一筋縄ではいかない個性的な面を持っているのがオトロディの魅力だとぼくは思う。
そしてその個性の塊が、「おとまむ系ロディー」というものに向かって「たくさんの人たちを楽しませたい」というエネルギーをぶつけているからこそ、そのステージの奥底に「メンバーの楽しそうな空気」をぼくらヲタクは感じることができ、それこそがオトロディワールドではないかとぼくは思った。
そしてここまで来て、話を最初に戻そう。
ぼくはそんな奥の深いオトロディは、一見しただけではそのオトロディワールドは伝わりにくいと思う。
ぼく自身、たいめい苑で四回目だったけど、三回見てその魅力にじわじわと引き込まれていった。
そしてその世界を感じると、その深さがたまらないのだ。
まさにスルメ曲ならぬスルメアイドル。
スルメアイドルという語感はなんかあまりよろしくないけど、見れば見るほどにはまっていく奥の深さがもともとのセンスの良さに裏付けされ、その世界感が何度も見ているうちに少しずつ伝わるその過程は、まさにそう表現したくなるものなのだ。
そして、これを体感しないのはもったいないことと思うよ。
オトロディ、3回は見た方がいいと思います。