君が好き

君が好き

アイドルの話でもしようず。

2月22日は熊本市中心部のレストバー、スターライトで開催されたSTYLE:ALAMODE Vol.2に行った。

2月22日が、にゃーにゃーにゃーの日ということで「#すべてのねこちゃんとつながりたい」というタイトル。 

いわゆるアイドルの世界では「つながる」というミームはネガティヴワードなのだが、人と人とのつながりを大事にするNYDSにとってそんなのは関係ないと言わんばかり。むしろ、主催者として今日ここに集まってくれる人とのつながりを大事にしたい気持ちが見える、らしいタイトルだなとぼくは感じた。 

出演者は主催のNYDSに、ゲストが福岡からBaby-Dと宮崎からふわり歌舞四季会社、熊本勢は煌〜KIRA〜と熊本flavorにRe:five。

失礼なことを承知でいうと、フライヤーを見たとき、煌〜KIRA〜以外のグループは、なんとなく場違いな印象があったような気がした。少なくともRe:fiveのファンであるぼくは、珍しいイベントに呼ばれたなと感じたのが正直なところだ。 

だが終わってみてからの率直な感想を言うと、いいイベントに参加できてよかった、呼んでもらえてよかったとぼくは感じた。

たとえて言うならば、このブログはアイドルをはじめとする若い女性はひとりも読んでいない前提で書いているので、おじさんにしかわからないたとえで書くけれど、仕事絡みでしかたなしに行かなくてはいけない飲み会が、行ってみたら予想外に楽しかった感じである。せっかく飲みに行くなら仲のいい友達と行きたいのに、それが叶わずにしかたなしに行ってみたら、会う人、会う人がいい話をしてくれて、帰るときには、行ってよかったなあと感じたあの高揚感。いやな上司と夜まで顔を合わせるのかと面倒に思いながら会社の忘年会に行ったら、上司が仕事外ではすごくいい人で楽しかったりするあの感じ。

そんな予想外の暖かさのあったイベントだった。

まさに「#すべてのねこちゃんとつながりたい」という、絆を感じるイベントだった。

イベントをそんな絆を感じる印象に仕上げていたのは、いちばんは調整時間の長さとその合間の運営さんの進行にあったとぼくは感じている。 

ぼくはNYDSの主催イベントが初めてだったのですごく目新しく感じたのが、PAブースからNYDSのhideさんやスタッフの姐さんと煌〜KIRA〜のおくっちさんが、時間が空いたら次に出演するアイドルを紹介してたのだ。 

その言葉ひとつひとつが、このイベントを盛り上げようという主催者の気持ちと、出演しているアイドルへの愛が感じられたのが、本当に飲み会の意外にいい話のようによかった。 

おかげてイベント全体が暖かいものになっていて、独特の高揚感を生んでいて素晴らしかった。 


スターライトのステージは段差がなく、臨場感も迫力があった。最初に登場したNYDSは、イベントの主催者として「タテヨコミギナナメ」で会場をいきなり熱くする。

ぼくが前回NYDSを見たのは、1月の熊本アイドル新年会で、あの日はくじ引きでトップバッターだったが、この日もトップバッター。ラップとトークで始まったばかりの会場の空気をステージに引き込むツヤンツヤンに、アイドルっぽく歌いながらもさらりとえげつないダンスを踊るYU-KIさんのふたりはさすがの一言だった。 


次に登場したのはDolphin EntertainmentsのBaby-D。本格的なダンスのNYDSのあとに、本格的なガールズユニットの登場で、会場はその技量の高さを見せつけられていた。ぼくも年末のグリーンランドアイドルフェスティバル以来に拝見したが、さすがヤバイ3ガールズといった感じで、いいものを見せていただいた。 

ステージ前にこのBaby-DとNYDSの出会いが佐賀のもくむつで、つないだのがヲタクさんというエピソードがhideさんから披露されたのも、やっぱリ人とつながりって大事だな、今日はねことつながるけどなどと考えながらもほっこりした。 


実力あるダンスとボーカルを見たあとはいよいよアイドルの登場で、先陣を切ったのが煌〜KIRA〜。 

会場にNYDSのスタッフとして煌〜KIRA〜が以前所属していた荒尾のグループの人がいたこともあったのと、あとこの日、物販でポイントカードキャンペーンをやっていたこともあったのもあり、強く感じたのだが、煌〜KIRA〜になってこのグループが一番よくなったなと感じているのは、グループ内で電車ごっこができるようになったことである。 

電車ごっこというのは、北山修がビートルズで提唱した理論であるが、日本には「運転手は君だ、車掌はぼくだ」という電車ごっこがある。この電車ごっこの仕組みがあったから、ビートルズが他のロックバンドと違い世界中のアイドルになったという説だ。

普通のロックバンドはローリングストーンズならミック・ジャガー、クイーンならフレディ・マーキュリーみたいにひとりのシンガーが愛されるように作られてる。サザンオールスターズなら桑田佳祐、RCサクセションなら忌野清志郎みたいな感じか。そうしたほうが、常に運転のうまい運転手が電車を運転してくれるので安心感があるという理論だ。

だが、そうではなくビートルズは4人全員が愛されるようにこの曲はジョン・レノンが歌う、この曲はジョージ・ハリスンが歌うと曲によってリードボーカルを変えていた。それが、電車ごっこのように運転手は君だが交代して、ひとりが運転手を独占しないというかたちで、それにより4人がアイドルになれたという理論だ。 

そして、前身のグループでは、どうしてもリーダーがセンターを掛け持ちしてたこともあり、運転手がリーダー、車掌が副リーダーという印象が強かったのが、煌〜KIRA〜になってからは、それぞれのメンバーが輝ける場所が四曲のオリジナル曲の中で少なくとも何か所かはあるような見せ方になっている。 

これが非常にうまくいっているなあと改めてオリジナル曲をすべて聴けてぼくは感じた。


この日は日向みさきさんと2人だけだった熊本flavorだが、なんとこの日はリーダーの水無月あやかさんの復活という一大トピックがあった。 

ぼくが最後に水無月あやかさんを見たのは、真夏のB9だったが、とにもかくにもお帰りのステージはそれだけで嬉しかった。受験のために休養され、いよいよ来月には進学のために卒業されることが決まってる残り少ない水無月さんのアイドル姿だが、そんななかでも相変わらず水無月さんらしさもある、ちょっとほわっと抜けたような、それでいてリーダーである水無月あやかさんを見れたことがまずぼくは嬉しかった。

そして、やっぱりすごいのは日向みさきさん。天真爛漫な笑顔なのに抜群の歌唱力に高い技術。 

そのみさきさんが、水無月さんがいることで安心しているようなところもいい関係に見えた。にゃんにゃんにゃんの日ということで「シエスタ」を猫語でやるというのも、熊本flavorらしくてかわいかった。 


まったくのはじめましてだったのが、ふわり歌舞四季会社。最近、ちょくちょく熊本でのライブもされてるらしく、熊本のアイドルヲタクにはおなじみになってる人もいたようだ。

こちらもガンガンに盛り上げる熱いステージを見せてくれた。楽曲はヘドバンも出るようなハードなものなのに、挨拶やMCがすごく丁寧なのも好感が持てるグループだった。


Re:fiveは、かなり珍しいアルク衣装で登場。 

久しぶりに3人が揃ったということもあり、心強いのもあったのだろうが、出番が一部の最後だったことで、すでに会場のいい雰囲気をhideさんたち運営MCが作っていたこともあり、いつもよりのびのびとステージをやっているように見えた。 

アルク衣装で霖雨のファンタジアをやる古くからのファンにはエモい感じでスタートし、2が並んでる日だからとツインテール似合ってる?、そしていろんなタオル入り乱れてのダンデライオンとRe:fiveらしさを存分に発揮できていた。緊張してるRe:fiveがその緊張からいつも以上の力を見せてくれるのもいいが、こうやってのびのびとやるのも、メンバーも楽しそうでいいなと感じた。 


そしてこの日面白かったのは、当日になっていきなりタイムテーブルが2部制になっていたことだ。 

それも「一撃show」と名付けられ、各グループが一曲ずつやる。その合間にも、ちゃんと運営さんの進行も入る。

アイドルは「一撃show」の名のように、短距離走のように全力で一曲をやる。その熱いステージは、熊本ではあまり見ない試みでもあり、新鮮で、またアイドルさんよ必死さも伝わってすごくよかった。

Re:fiveが満を持して朝からカツカレーをやってスタート。 

煌〜KIRA〜は、DJババロアfromNYDSが制作したという新曲を軽くやってから、そのDJババロアfromNYDSが制作してすでに披露されてるハレに向かって走れで盛り上がりを見せた。 

そして大トリのNYDSがやってから、サプライズで2月20日に誕生日を迎えられたNYDSのYU-KIさんの生誕セレモニーがファン有志を中心に開催された。

圧巻だったのはそのときに出演者も全員ステージに戻ってきてYU-KIさんをお祝いしたことだ。

イベントに呼んでもらえたこと、主催してくれたことの感謝はもちろん、熊本勢にとっては憧れのダンサーとしてYU-KIさんはリスペクトされてるなと感じた。

これこそが、絆のつながりを大事にしているNYDSらしさであり、その雰囲気をイベントでも伝えてくれてたので、本当に見ていて気持ちがよかった。

そしてそのまま他の出演者を巻き込んでの「踊りマス宣言」をみんなで踊って、この日いちばんの盛り上がりがNYDSを中心に起こった。会場全体がひとつにつながった空気になった。

まさに心のつながりを感じられる素敵なイベントだった。




昨日行った健軍のスタジオJAMからは、県道28号線を挟んでドラッグストアコスモス健軍店が見えた。
ドラッグストアといえば、買いたいものはやはり「ミンナミンC」である。
「みんみん皆んなのミンナミン」で知られるミンナミンCは、テレビCMでおなじみの「元気はつらつ」のあのドリンクに酷似しているパッケージの商品だが、そのオロナミンCにはないリンゴ酢・ガラナエキスも含まれていて、ぼくにとって約一か月ぶりのアイドルライブを迎える前に飲むにはピッタリだと思ったのだ。
しかしドラッグストアコスモスに行ったのだが、残念ながらミンナミンCは健軍店には置いていなかった。熊本の人はPOS的にそんなにミンナミンCを買ってないのかもしれない。
残念ながらぼくは、類似品のオロナミンCを飲むしかなかった。
そのオロナミンCを一口飲んだ時、ぼくは思った。
「あれ、味変わってない?」
なんとなくだが炭酸が以前より弱く感じたのだ。
メーカーが公開していないためエビデンスはまったくなく、インターネットのAIで検索しても「オロナミンCが味を変えたという公式発表はなく個人の体調や記憶でそう感じることもある」と書かれていたのでそう感じただけかもしれない。
オロナミンCが味が変わったのか、ぼくの舌がバカだったのかは、たぶんぼくの舌がバカだっただけなんだろうが、そうぼくが勘違いするほど、世の中の飲み物は公式、ステルスを問わず味が変わっているものでもある。
公式で発表されているのでわかりやすいのはテレビCMで「新しくなった○○」や「更においしくなった」みたいなコピーが流れているときである。そうやってCMされている商品は、商品名は変わっていなくても味は変わっている。
特に顕著なのが緑茶飲料で、抽出や茶葉分離に新技術が開発されているらしく、同じ商品名なのに毎年のようにどの商品も味が変わっているようだ。自宅の急須で入れるお茶の味に近づいていってる気がしている。おそらくそこには各メーカーがその開発に膨大な費用をかけているだろう。
だがそこまで考えてふと思うのだ。
緑茶飲料に「もっとおいしくなってほしい」と思っている消費者はいるのだろうかと。
たとえば、スタバの新作みたいに一時的な大ヒットを狙っている商品ならば、お金をかけて開発する意義もあるだろう。バリエーションがたくさんある味から、消費者の好みを探るのも必要だろう。
だが緑茶飲料は日常的に飲むもので、スーパーのPBブランドのメーカー品の半額ぐらいの商品でも、実際そこそこおいしい。ましてやコンビニや自販機で買うメーカー品はどれもかなりおいしくなっていて、多くの人は現在売られている緑茶飲料の味に不満を持っていないはずだ。
それでも企業側だけが膨大な開発コストをかけて商品を開発しているのが事実だ。

そんなことを考えながら、ぼくが久しぶりに見たアイドルライブは、ステージはドラムセットが隅に追いやられ、フロアにもマーシャルやローランドのアンプが置かれているスタジオでのライブイベントだった。
ライブタイトルは「Sunny Day Songs Vol.17」
以前はgritで一時期は無銭ライブとしても開催されていたSunnyHoney主催の健軍ライブで、入場料はリーズナブルな500円。
事前に30席で満席と書かれていたが、ライブアイドルファンとしては神現場と言いたくなるようなこじんまりとした会場だった。

主催であり一部のオープニングと二部のトリを務めたのはSunnyHoneyだった。
1月の新年会で見た以来だった。
橘みおさんが休演だったが、五人のメンバーがステージに並ぶ。
熊本で最も勢いあるグループの勢いは今年も突き進み、先週の土日は福岡でライブをしての熊本での凱旋だった。ライブ前のヲタクさんとの会話も、福岡の土産話になっていた。
登場したSunnyHoneyは、一月に見たときよりも、衣装がいくらかマイナーチェンジがされているように感じた。
そして流れた一曲目は新曲だった。
SunnyHoneyのコアなヲタクさんは当たり前のようにミックスを入れていたので、カバー曲なのかと漠然と見ていたが、MCでこの日披露されたばかりの新曲と知って、さすがSunnyHoneyはヲタクも強いなあと目を丸くした。
ステージ全体の印象としては、フロアとの距離の近さをめちゃくちゃ生かした印象だった。曲中に自分のヲタクを見つければ「よく来てくれた」とばかりにレスを送り、カメラや目が合ったファンには「もっと見てほしい」という気持ちを、SunnyHoneyのそれぞれのメンバーが全力で伝えていた。
それはぼくにとってはすごく新鮮だった。ぼくがその前にSunnyHoneyを見たのが1月の国際交流センターで、それ以外でも天明ホールなど広いホールで見ていたことが多かったためだ。いわゆる天海や健軍gritといった距離の近い現場でのSunnyHoneyは半年以上は見ていなかった。
ただ、このステージとフロアとの距離の近いステージングこそSunnyHoneyの原点だよなとぼくは感じた
ステージの全力がヲタクの熱狂を生み出し、その一体感で会場を熱くする。
もちろんその良さは大きなステージでも生かされているが、大きなステージではヲタクひとりひとりへ、その熱狂を伝えようとするところは物理的に見逃してしまうことも多い。
それが小さい会場だとよくわかる。
大きいステージが増えそれが貴重になってるからこそ、価値ある素晴らしいステージだった。

一部も二部も二番目の出番だった熊本Flavorは、新メンバーだった星川のぞみさんもすっかりなじんでいた。
一曲目が「No.1スター」、二曲目が「キャッチマイハート」と激しく盛り上げるセットリストで攻めていて楽しかったが、三曲目はぼくは初めて聴く曲だった。
更に攻めていたのが二部で、12月の5th Anniversaryのアンコールで演じられたRe:fiveの「This summer」とSunnyHoneyの「夏恋バケーション」を1曲目と2曲目で演っていた。熊本3グループのファンたちはこの曲を演じる熊本Flavorが見られたことに大喜び。その勢いのまま、ラストの「コイマチ」へと突っ走る。こちらもなかなかの熱気だった。
熊本一の美少女集団という印象が強い熊本Flavorは、衣装の雰囲気からもその美少女集団の印象を裏付けるヴィジュアルを大事にしているように感じているが、熊本3グループでの活動が増えてきて、こういう攻めたステージをするようになってきているように見える。
アイドルがステージで伝えるメッセージとしては「かわいい私たちを見て下さい」と「私たちと楽しい時間を過ごしてください」のふたつのエッセンスがあるとぼくは勝手に思っているが、それがこの日は後者のほうに傾いていたステージだった。
もちろんそれはセットリストによる要因が大きく、たとえば「Alice」や「Sweet Story」、更には「シエスタ」や「ロストジェネレーション」などがあればその方向性は「かわいい私たちを見て下さい」が強くなったのかもしれない。ただ、小さい会場だからこそ攻めたステージをやって、騒ぎたがる熊本のヲタクを盛り上げようとした意図を感じた。
そして、それを熊本Flavorがやったことが、美少女集団だからこそ、美少女集団と一緒に盛りあがれるのが楽しさがあった。
これはこれでいいなとぼくは感じた。

Re:fiveは白鳥ひなさんが休演で、東雲ういさんと空豆かれんさんの同級生コンビ。
Re:fiveはメンバーが休演すると、そのメンバーのグッズやカラーを他のメンバーが身に着けるのが恒例になっている。この日はふたりとも白鳥のアームバンドをつけ、東雲さんは白鳥さんのイメージが強い白いベレー帽、空豆さんは白鳥さんほど高い位置ではないけどツインテール風の髪形をしていた。
同級生コンビというだけで、いつもRe:fiveを見ているぼくからすれば、白鳥さんの歌割をだれが歌うかなというだけでも楽しみなステージだった。
一部で一番おもしろかったのは「This summer」の間奏でとつぜん二人でじゃんけんを始めたことだった。どうもオチサビ争奪じゃんけんだったらしく、勝った東雲さんがオチサビを歌っていたが、こういう楽しそうなことをとりあえずやってみるRe:fiveのスタイルはぼくは大好きだ。
二部では、それこそ二年前の柊わかば生誕祭以来じゃないかというカバー曲も披露。こちらもレアな選曲だった。
またこぼれ話として、一部と二部のインターバルでRe:fiveの運営さんとぼくらはミラノコルティナ五輪の「スマイルジャパンはイタリア戦を落としたのが痛かった」とか話していたのだが、その話の最中に運営さんが「うちのメンバーが練習するらしい」と慌ててスタジオに戻られていた。それを知ったのはたまたま一緒に話をしていたから偶然だったのが、そういう姿勢を知ることができると、だからやっぱりRe:fiveはいいものを見せてくれるなと感じたし、実際ふたりだけだったけどRe:fiveらしさ全開の最高の時間だった。

熊本3グループが30人で満席になるような神現場で見せてくれた「Sunny Day Songs Vol.17」。
全グループを見た感想は、去年の熊本3グループ合同ツアーとの大きなギャップだった。
熊本3グループ合同ツアーでは、熊本県内のステージも含めて、いまできる最高のステージをどのグループも仕上げてきていた。それはある意味、昭和的なたとえをするならば、デパートの食堂に出かけるような余所行きのスタイルだったと思う。
もちろん、それはそれで素晴らしいステージだった。
ただ、誰も不満を抱いていなくても飲料メーカーが緑茶飲料の開発を進めるように、いくらツアーのときに最高のパフォーマンスができて満足しても、そこからさらに試行錯誤していく必要がアイドルにはある。
いまの緑茶飲料に不満がなくても、飲料メーカーは日々、いま以上に急須で入れたようなお茶をペットボトルで提供できるように、開発を進めている。なぜならばそこに競争相手がいるからだ。いまの消費者が自社のお茶に不満はなくても、他のメーカーがいま以上に急須で入れたようなお茶を開発してしまえば、急激に自社のお茶が売れなくなるのを彼らは知っているのだ。
同じように熊本3グループアイドルも、いくら最高のステージがいまの時点でできてファンを感動させても、その後も同じことをやり続けるには飽きられてしまうのは間違いない。
そうならないための新たなチャレンジを試す場として「Sunny Day Songs」は、かなり価値があるなとぼくは感じた。
SunnyHoneyの新曲、攻めに攻めまくった熊本Flavor、同級生コンビのRe:fiveの懐かしのカバー曲。
どれもこれもフロアの反応をたしかめるようにアイドルは演じていたように見えた。
そして、この試行錯誤の実験的なステージというのは、最高のステージをツアーで見ていたファンからすると逆にレアで楽しいものであるのもたしかである。
昔の落語家は「自分だけを見に来てお金をいただいているお客様には、完成度の低い芸を見せるわけにはいかない」と新ネタは主席(トリ)ではない寄席でやることが多かったらしいが、最近では「ネタ下ろしの会」みたいなイベントが増えてきている。
そして「ネタ下ろし会」がマニアックな落語ファンに好評を得ているように、いつも最高のステージを見せてくれるアイドルが、新たなチャレンジをしてくれるステージは、それはそれで楽しかった。

 

野暮用により早退してしまった、୨白鳥ひな生誕祭2026 ୧ 
帰宅しながらよっちろんさんがYoutubeに上げてくださっている動画を見させていただいた。いつも動画を撮影してくださりありがとうございます。
クライマックスで語られた白鳥さんのメッセージ。
普通、生誕の主役として語られるものでよくあるのはファンへの感謝やアイドル活動への希望などが多いのだが、意外にも白鳥さんが語られていたのは、アイドル活動をしたことによって起こったプライベートの生活での受難だった。
「15歳の一年間はいままで生きてきたなかで一番楽しかった一年だった」とアイドル活動を通じての満足感を語られた直後の、プライベートの受難の話。
ファンだってライブに通うために日常生活で闘っているように、アイドルだってステージで歌うために闘っている。
ただ、アイドルの闘いというのは普通は、AKB48の総選挙みたいなアイドルとしての闘いにクローズアップされがちだ。
もちろんRe:fiveだって群雄割拠している個性的な熊本のアイドルシーンで存在感を出すために日々闘っているだろう。そこでのつらいエピソードだってあるのだろうが、そこは「メンバーちゃんもこれからもつらいことがたくさんあるだろうけど、乗り越えていこう」と前向きに語るだけで終わった。
そして白鳥さんが話されていたのはプライベートでのアイドルを続けるための闘いだった。
それを聞きながら、後ろで座っている空豆かれんさんは崩れ落ちるように号泣されていた。
三人とも崩れるわけにはいかないと耐えるように東雲ういさんはじっと唇をかみしめて、そんな二人を見守っていた。
すごく印象的なシーンだった。
そしてそんなつらい思いをしながらも、おくびにもそんな姿を見せずにステージでアイドルとしてキラキラしていた白鳥ひなさんはすごいなとあらためて感じた。
そんなつらいことに一緒に泣き、立ち向かってくれる他のメンバーとの関係も素晴らしいなと感じた。

「偉大な先輩が抜けて」と白鳥さんが言われたように、昨年の大みそかに三人で再スタートしたRe:five。
たしかに偉大なリーダーが卒業したことで不安なところも多いとメンバーは口にするが、ぼくとしては新年会のときのブログでも話したようにMCの作りこみなんかを見てると、これはこれでいいんじゃないかと感じている。
少なくとも白鳥ひなさんには向いているグループになっていると感じている。

個人的に考えていることで、アイドルボックスティッシュ理論というものがある。
クリネックスやエリエール、ネピア、スコッティのような大手メーカーのボックスティッシュは赤、青、黄色、ピンク、緑と派手なものが多い。なぜならば、コンビニやスーパーの売り場に並べたときに派手なほうが目立つからである。
ただし、職場ならともかく、普通の人にとって自宅、自室の空間は癒しの場所なのでそのような派手な色は調和しない。しかも同じ色で部屋に合わせて揃えられるならまだしも、その5色がひとつのパッケージとして梱包してまとめて売ってあるから、一箱使ってしまってはまたド派手な色が変わってしまったりして、まあとにかく部屋にはあわないのだ。
特に畳敷きの和室とは絶望的に部屋の雰囲気に合わず、床の間や応接間の和室では、わざわざその派手なボックスティッシュを隠すための箱を買っている家庭も多い。
つまり、派手なボックスティッシュは使用する購入者には不便を強いるのに、売り場では目立たないと売れないからとの理由で作られている。
そしてこれはまるで売れるためにコネを作ることに全力になっているアイドルのようだとぼくは思うのだ。
ボックスティッシュは実際に購入してくれる人の部屋の調和よりも、スーパーやコンビニの棚で目立つために派手な色で売られている。
それは、テレビのプロデューサーや大きなイベンターに気にいられるために、ファンの声を無視してでも活動のベクトルを向けているアイドルのようだと感じるのだ。
ただ、それが正しいとされていた時代はたしかにあったとぼくは思う。
特に古のメジャーアイドルなど、売れるまでに違う名前で雑誌やミニコミに出ていたりするのがざらで、いわゆる古参などはライブで昔の芸名でわざと呼んで驚く反応を見て楽しむようなどうしようもない輩が多かったので、そんな古参を相手にするよりもテレビで見てかわいいと興味を持ってもらえるような新規のファンを増やすのが常識だったのである。
ただし、車は左通行という常識が韓国に行けば車が右通行という風に、常識というのは国でも変わってしまうわけで、時代によっても、人によっても変わるものだ。

現在でもコンビニやスーパーで見かけるボックスティッシュは派手なのが常識だが、最近ではネット通販を中心に白一色などシンプルなものが発売され、そこそこ売れる時代になった。売り場で目立つことが優先されている商品よりも、購入者が自室で使うことを目的に開発された商品が認められてきているのだ。
そして個人的にはRe:fiveは大手メーカーのティッシュというよりも、そういうシンプルなティッシュにベクトルが近いアイドルだと思っている。
売り場で目立つことよりも買ってくれる人が心地よく使ってくれるティッシュ。
そのためにメンバーひとりひとりがファンの声にダイレクトに耳を傾け、そこから生まれたメンバーの意見がフレキシブルにステージに反映されるグループだからだ。
そのRe:fiveのスタイルの象徴的にぼくが感じたのが、2025年11月2日のXの白鳥さんのポストだった。

 

 

先輩で年上でもある空豆かれんさんを「豆」とぞんざいに扱い、しかもやったのが「いやな人を見る目」というこのポスト。
常識に凝り固まった大人では思いつかない、むしろ止めるようなこのポストは、白鳥さんのファンを中心に瞬く間に歓迎された。
そしてだからこそRe:fiveは白鳥ひなさんには向いているグループなのだとぼくは思うのだ。
本当はRe:fiveを作り上げている一員なのかもしれないが、このときはリーダーもいたので、そうぼくは感じた。

グループの入口にもなっている恵まれたルックスの白鳥さんがこのようなポストをしたことが驚きだったが、だからこそRe:fiveの未来は明るいとぼくはこれを見てうれしくなった。
白鳥さんがRe:fiveの正式メンバーに昇格した頃に発売されたCUTIE STREETというアイドルの曲に「かわいいだけじゃだめですか?」という曲がある。別にだめではないかもしれないし、アイドルファンは基本「かわいいは正義」と思っているのでそれは正しいかもしれない。
ただ、残酷なことを言うとかわいいだけでは飽きられる。
「わかりやすさ」と「飽きやすさ」は比例関係にあり、人間は一瞬で理解できるものは一瞬で興味を失うからだ。
「わたしはかわいいでしょ」とアイドルが言い、たしかにかわいい魅力があるというのは入口としては有効だろう。ただそこで作り手側が「かわいさを楽しんでください」だけではファンに解釈の余地がない。
たとえば飲食店では、スターバックスのカスタマイズや二郎の「ニンニク入れますか」みたいなわかりにくい仕組みが仕掛けられている。
簡単なやり方で「うちの店はこう楽しめばいいんですよ」と店側が提示するとたしかに初見の人は入りやすい。ただ、「次はあれを頼んでみたい」とか「夜はこんなメニューもあるんだ」とか「店員さんと顔なじみになってきた」とか、顧客が自ら少しずつ解釈していくプロセスを消失してしまうため常連にはなりにくいのだ。それは醍醐味の消失で、わかりやすいコンセプトは、入店しやすくする一方で、自らの消費され方を規定してしまい、消費期限を早めてしまうのだ。
だからこそ、ファンの予想もしないポストでファンを喜ばせることのできる白鳥さんがRe:fiveには必要で、たまにそんな姿を見せてくれることでRe:fiveの未来は明るいとぼくは感じている。
これからも青春真っ只中の白鳥さんが、大人には思いつかないような楽しさを生んでくれることを楽しみにしている。

 

1990年、中学一年生だったぼくにとって、アイドルとは悩んでいるときの生き方を教えてくれるお姉さんだった。
これも前回話したティーズの話の同世代にもつながるが、いま考えると当時のぼくがアイドルよりも年下だから成り立っていたと思う。
ぼくが初めて買ったアイドルのCDは、高橋由美子の「Scarlet」だった。



90年の大晦日のローカル局のラジオに高橋由美子が出てて、そのラジオで流れた「Fight」に元気づけられたからだ。

一人静けさの中で瞳を閉じる
そんな時間が自分を育てていく
大人へと変わっていくその時人は
自信を失くして迷ってしまう
But It's All-right
きっとうまく行くさ

小学生時代と違い、悩みごとも増えた思春期の中学一年生のぼくにとって、自信を失くして迷ってるのが自分だけじゃないんだとこの曲で教えられた気になった。
悩む自分がひとりだけじゃないと感じられ、思春期の苦しいもやもやを言葉にしてくれてることでホッとした記憶がある。
なにかつらいことがあっても、「Fight」を聴くだけで、高橋由美子が「一緒にがんばろう」と応援してくれてる気になったものである。

これは間違いなくアイドルよりも大人がファンが多い現在では体験できないことである。
ファンの方がアイドルよりも人生経験が多いから、アイドルが悩む気持ちを言語化しても、ぼくみたいないやなオタクは上から「人生なんてそんなもんじゃないから甘えたこと言うなよ」と言いかねない関係になりかねず危険なのである。

高橋由美子のあとにハマった井上麻美の青春三部作は、更に深みにハマった。



高橋由美子は高橋由美子が元気で、落ち込んでる少年を元気づけてくれるお姉さんだったが、井上麻美は本人も悩みながらも一緒にがんばろうと言ってくれる存在だった。
ぼくが初めてアイドルと握手したのはこの井上麻美の「君が痛みと呼ぶもの」のリリイベだったが、この曲の歌詞なんか

君が痛みと呼ぶものが
君の輝きを奪うなら
僕の心はもう二度と
どんな光にも触れたくはない

君が痛みと呼ぶものが
君をたくましく変えるなら
僕も悲しい出来事に
けして負けたくはないと思う

と言った感じで、君がつらいことに立ち向かったら、僕も負けないよと言ってくれてるような感じで悩んでる中学生の心にとにかく刺さったのだ。
デビュー曲の「青春はちっぽけな僕たち」の

誰かを傷つけて
誰もが傷ついて
若さは明日何をつかむのだろう
ガラスの貝殻が
心できしむから
青春だと思う
ちっぽけな僕たち

という曲を、胸の痛んでいる思春期の気持ちで聴いていると、ここにも同じように胸を痛めてるお姉さんががんばってるから、ぼくもがんばろうと思えていたのだ。
高橋由美子はぼくの3歳年上、井上麻美は2歳年上である。
こういうお姉さんの歌声で思春期の苦しみに立ち向かうことができたことは、ぼくの人生にとって貴重な財産になっている。
だからこそ、いまのアイドルがそういう世代の人をターゲットにしていなくて、またそういう世代の人もアイドルを聴かないのは残念な気がする。

一番好きなアイドル曲を一曲だけあげるとすればなんですか?

と考えたとき、それはアイドル曲に関わらず音楽というのは多感な中高生の時期に聴いたものがその人にとって最高なものなのが常なので、どうしてもその頃に聴いたものになってしまうが、ぼくは高岡早紀の「Ni-ya-oo」である。



この曲が発売された1991年、ぼくはリアルタイムで中学二年生だった。
「真夜中のサブリナ」「眠れぬ森の美女」「薔薇と毒薬」など一風変わった楽曲でアイドル界でも異彩を放ってた、のちの大女優・高岡早紀のアイドル曲だが、この「Ni-ya-oo」はさらに変わってて、中学二年生のぼくは全身に電気が走った。
のちにシンガーとしては中洲ジャズフェスティバルの常連になる高岡早紀だが、おそらく彼女にとってははじめてのジャズ風の曲だったと思う。
そのジャズっぽいサウンド(余談だが本当に高岡早紀のアイドル曲は変わってて、ライブもアイドルにしては珍しく座って見るものだったらしい)に、ささやくような高岡早紀の声で歌い出しが、歌詞を引用すると、

Oh baby 恋をしましょう
ピアノの上て
Oh kiss me
伸ばす脚に
頬ずりしなさい

だったのだが、中学生のぼくはこの「頬ずりしなさい」に完全にまいってしまった。
また同時期に発売されてた高橋由美子の「とき☆めき」の

こんなことは友達にも
知られたら困るわ
大人の人はみな
経験したことね

という歌詞にも妄想をたくましくしていた。



ちなみにこの曲は1974年に発売された麻丘めぐみのカバーとあとになって知ったが、そういうわけでアイドル曲というのは妄想たくましい中学生の心をいつの時代も捉えていたものなのだ。
1993年に発売された中嶋美智代の「恥ずかしい夢」もぼくの中ではかなりショッキングな曲だったし、印象に残っている。



「ひなげし」や「赤い花束」で清純路線をつっぱしりながらも「思い出にもなれない」クラスでも目立たない女の子キャラをつらぬいていた中嶋美智代が、

恥ずかしい夢も見るわ
特別なことじゃないもの

と歌うのはどかーんと来てた。
で、ぼくが1991年に妄想を走らせた高橋由美子の「とき☆めき」が1974年の曲だったりするように、アイドル曲にはそういう思春期のもやもやを表面化したような歌も昔は多かったと思う。
おニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」なんてもろにそんな曲だし、

デートに誘われて
バージンじゃつまらない
パパやママは知らないの
明日の外泊

なのである。
AKB48もチームKの「Virgin love」は結構衝撃的だったけど、シングルにしても「制服が邪魔をする」なんてのもそんな曲だったと思う。



そういう曲が最近少ない気がするのがぼくはいま、寂しく感じている。

時代背景的になんとなく理由はわかる。
ひとつめは単純にコンプライアンスの問題だろうと。
たとえばAKB48の「Dear my teacher」なんていまならテレビで歌えるかと考えるとグレーな気がする。
またふたつめに「Dear my teacher」でもわかるように、アイドルと同世代の男性ファンが減っているということがあるだろう。
「Dear my teacher」は生徒が先生を誘う曲だけど、発売当時のいまから18年前(2007年)でもアイドルファンは、アイドルと年の離れた大人が多かったのだろう。
ぼくは中嶋美智代と同世代だったから、彼女が「赤い花束」で「好きです好きですあなた♪」と歌う歌声を聴いたら、それは教室で同じ生徒として言われてるシーンを夢想してたけど、これがアイドルの同世代の男性ファンが減っているために難しくなっているのだ。
そして最後に感じるのは性教育やネットの発達でいまの若い男性がぼくらの中学生の頃より圧倒的にそのような知識があるということである。
そのため、やんわりと妄想を膨らませる必要がなくなった。
だからこそ、2018年頃には「ちんぽやくざ」というアイドルがいたり、2021年にWACKからデビューしたASPの1stアルバムのタイトルは「ANAL SEX PENiS」だった。
ただ、ここまで直接的だとぼくは冷めてしまうのだ。
やはり空想や妄想ができることこそがぼくは楽しいんだと思う。
ただし、会いに行けるアイドルにアイドルがなってしまった以上、下手に妄想を抱かせると直接危害が加えられる距離感になってしまったからこそ、あまり妄想をさせないように作り手側が考えて、苦肉の策として直接的な表現を増やしてるのかもしれない。
いや、いまのネットなどで知識のある若い人には、直接的な表現じゃないと刺激にならないのかもしれないが。

ぼくはそれを残念に感じている。
ビートルズやローリングストーンズが登場した60年代、ロックスターに必要なものは音楽性とメッセージとティーズと言われた。
優れたサウンドに、ラブ&ピースのようなメッセージのある歌詞をのせて、ステージでティーズになる。
このティーズというのが日本人にはあまり感覚がわからないだろうが、語源はストリップティーズと言われるように、日本語にすると「焦らし」のテクニックである。
ミック・ジャガーが天才だと言われるが、オーディエンスの直前まで姿を現して、興奮させるだけさせて、ふっと消えるような、決して満足させないギリギリのところまで焦らして、それでも不完全燃焼でだからこそオーディエンスが熱狂する。たとえばドラマの次回予告を見てるときのように、最後まで見せてくれないからまた見たいと思わせるテクニックである。
この焦らしのテクニックが現在では忘れられてるような気がするのだ。
そもそも焦らす前の興奮状態を与えないようにしているようにも感じる。
ぼくはそれを寂しいなあと感じてる。