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君が好き

アイドルの話でもしようず。

野暮用により早退してしまった、୨白鳥ひな生誕祭2026 ୧ 
帰宅しながらよっちろんさんがYoutubeに上げてくださっている動画を見させていただいた。いつも動画を撮影してくださりありがとうございます。
クライマックスで語られた白鳥さんのメッセージ。
普通、生誕の主役として語られるものでよくあるのはファンへの感謝やアイドル活動への希望などが多いのだが、意外にも白鳥さんが語られていたのは、アイドル活動をしたことによって起こったプライベートの生活での受難だった。
「15歳の一年間はいままで生きてきたなかで一番楽しかった一年だった」とアイドル活動を通じての満足感を語られた直後の、プライベートの受難の話。
ファンだってライブに通うために日常生活で闘っているように、アイドルだってステージで歌うために闘っている。
ただ、アイドルの闘いというのは普通は、AKB48の総選挙みたいなアイドルとしての闘いにクローズアップされがちだ。
もちろんRe:fiveだって群雄割拠している個性的な熊本のアイドルシーンで存在感を出すために日々闘っているだろう。そこでのつらいエピソードだってあるのだろうが、そこは「メンバーちゃんもこれからもつらいことがたくさんあるだろうけど、乗り越えていこう」と前向きに語るだけで終わった。
そして白鳥さんが話されていたのはプライベートでのアイドルを続けるための闘いだった。
それを聞きながら、後ろで座っている空豆かれんさんは崩れ落ちるように号泣されていた。
三人とも崩れるわけにはいかないと耐えるように東雲ういさんはじっと唇をかみしめて、そんな二人を見守っていた。
すごく印象的なシーンだった。
そしてそんなつらい思いをしながらも、おくびにもそんな姿を見せずにステージでアイドルとしてキラキラしていた白鳥ひなさんはすごいなとあらためて感じた。
そんなつらいことに一緒に泣き、立ち向かってくれる他のメンバーとの関係も素晴らしいなと感じた。

「偉大な先輩が抜けて」と白鳥さんが言われたように、昨年の大みそかに三人で再スタートしたRe:five。
たしかに偉大なリーダーが卒業したことで不安なところも多いとメンバーは口にするが、ぼくとしては新年会のときのブログでも話したようにMCの作りこみなんかを見てると、これはこれでいいんじゃないかと感じている。
少なくとも白鳥ひなさんには向いているグループになっていると感じている。

個人的に考えていることで、アイドルボックスティッシュ理論というものがある。
クリネックスやエリエール、ネピア、スコッティのような大手メーカーのボックスティッシュは赤、青、黄色、ピンク、緑と派手なものが多い。なぜならば、コンビニやスーパーの売り場に並べたときに派手なほうが目立つからである。
ただし、職場ならともかく、普通の人にとって自宅、自室の空間は癒しの場所なのでそのような派手な色は調和しない。しかも同じ色で部屋に合わせて揃えられるならまだしも、その5色がひとつのパッケージとして梱包してまとめて売ってあるから、一箱使ってしまってはまたド派手な色が変わってしまったりして、まあとにかく部屋にはあわないのだ。
特に畳敷きの和室とは絶望的に部屋の雰囲気に合わず、床の間や応接間の和室では、わざわざその派手なボックスティッシュを隠すための箱を買っている家庭も多い。
つまり、派手なボックスティッシュは使用する購入者には不便を強いるのに、売り場では目立たないと売れないからとの理由で作られている。
そしてこれはまるで売れるためにコネを作ることに全力になっているアイドルのようだとぼくは思うのだ。
ボックスティッシュは実際に購入してくれる人の部屋の調和よりも、スーパーやコンビニの棚で目立つために派手な色で売られている。
それは、テレビのプロデューサーや大きなイベンターに気にいられるために、ファンの声を無視してでも活動のベクトルを向けているアイドルのようだと感じるのだ。
ただ、それが正しいとされていた時代はたしかにあったとぼくは思う。
特に古のメジャーアイドルなど、売れるまでに違う名前で雑誌やミニコミに出ていたりするのがざらで、いわゆる古参などはライブで昔の芸名でわざと呼んで驚く反応を見て楽しむようなどうしようもない輩が多かったので、そんな古参を相手にするよりもテレビで見てかわいいと興味を持ってもらえるような新規のファンを増やすのが常識だったのである。
ただし、車は左通行という常識が韓国に行けば車が右通行という風に、常識というのは国でも変わってしまうわけで、時代によっても、人によっても変わるものだ。

現在でもコンビニやスーパーで見かけるボックスティッシュは派手なのが常識だが、最近ではネット通販を中心に白一色などシンプルなものが発売され、そこそこ売れる時代になった。売り場で目立つことが優先されている商品よりも、購入者が自室で使うことを目的に開発された商品が認められてきているのだ。
そして個人的にはRe:fiveは大手メーカーのティッシュというよりも、そういうシンプルなティッシュにベクトルが近いアイドルだと思っている。
売り場で目立つことよりも買ってくれる人が心地よく使ってくれるティッシュ。
そのためにメンバーひとりひとりがファンの声にダイレクトに耳を傾け、そこから生まれたメンバーの意見がフレキシブルにステージに反映されるグループだからだ。
そのRe:fiveのスタイルの象徴的にぼくが感じたのが、2025年11月2日のXの白鳥さんのポストだった。

 

 

先輩で年上でもある空豆かれんさんを「豆」とぞんざいに扱い、しかもやったのが「いやな人を見る目」というこのポスト。
常識に凝り固まった大人では思いつかない、むしろ止めるようなこのポストは、白鳥さんのファンを中心に瞬く間に歓迎された。
そしてだからこそRe:fiveは白鳥ひなさんには向いているグループなのだとぼくは思うのだ。
本当はRe:fiveを作り上げている一員なのかもしれないが、このときはリーダーもいたので、そうぼくは感じた。

グループの入口にもなっている恵まれたルックスの白鳥さんがこのようなポストをしたことが驚きだったが、だからこそRe:fiveの未来は明るいとぼくはこれを見てうれしくなった。
白鳥さんがRe:fiveの正式メンバーに昇格した頃に発売されたCUTIE STREETというアイドルの曲に「かわいいだけじゃだめですか?」という曲がある。別にだめではないかもしれないし、アイドルファンは基本「かわいいは正義」と思っているのでそれは正しいかもしれない。
ただ、残酷なことを言うとかわいいだけでは飽きられる。
「わかりやすさ」と「飽きやすさ」は比例関係にあり、人間は一瞬で理解できるものは一瞬で興味を失うからだ。
「わたしはかわいいでしょ」とアイドルが言い、たしかにかわいい魅力があるというのは入口としては有効だろう。ただそこで作り手側が「かわいさを楽しんでください」だけではファンに解釈の余地がない。
たとえば飲食店では、スターバックスのカスタマイズや二郎の「ニンニク入れますか」みたいなわかりにくい仕組みが仕掛けられている。
簡単なやり方で「うちの店はこう楽しめばいいんですよ」と店側が提示するとたしかに初見の人は入りやすい。ただ、「次はあれを頼んでみたい」とか「夜はこんなメニューもあるんだ」とか「店員さんと顔なじみになってきた」とか、顧客が自ら少しずつ解釈していくプロセスを消失してしまうため常連にはなりにくいのだ。それは醍醐味の消失で、わかりやすいコンセプトは、入店しやすくする一方で、自らの消費され方を規定してしまい、消費期限を早めてしまうのだ。
だからこそ、ファンの予想もしないポストでファンを喜ばせることのできる白鳥さんがRe:fiveには必要で、たまにそんな姿を見せてくれることでRe:fiveの未来は明るいとぼくは感じている。
これからも青春真っ只中の白鳥さんが、大人には思いつかないような楽しさを生んでくれることを楽しみにしている。

 

1990年、中学一年生だったぼくにとって、アイドルとは悩んでいるときの生き方を教えてくれるお姉さんだった。
これも前回話したティーズの話の同世代にもつながるが、いま考えると当時のぼくがアイドルよりも年下だから成り立っていたと思う。
ぼくが初めて買ったアイドルのCDは、高橋由美子の「Scarlet」だった。



90年の大晦日のローカル局のラジオに高橋由美子が出てて、そのラジオで流れた「Fight」に元気づけられたからだ。

一人静けさの中で瞳を閉じる
そんな時間が自分を育てていく
大人へと変わっていくその時人は
自信を失くして迷ってしまう
But It's All-right
きっとうまく行くさ

小学生時代と違い、悩みごとも増えた思春期の中学一年生のぼくにとって、自信を失くして迷ってるのが自分だけじゃないんだとこの曲で教えられた気になった。
悩む自分がひとりだけじゃないと感じられ、思春期の苦しいもやもやを言葉にしてくれてることでホッとした記憶がある。
なにかつらいことがあっても、「Fight」を聴くだけで、高橋由美子が「一緒にがんばろう」と応援してくれてる気になったものである。

これは間違いなくアイドルよりも大人がファンが多い現在では体験できないことである。
ファンの方がアイドルよりも人生経験が多いから、アイドルが悩む気持ちを言語化しても、ぼくみたいないやなオタクは上から「人生なんてそんなもんじゃないから甘えたこと言うなよ」と言いかねない関係になりかねず危険なのである。

高橋由美子のあとにハマった井上麻美の青春三部作は、更に深みにハマった。



高橋由美子は高橋由美子が元気で、落ち込んでる少年を元気づけてくれるお姉さんだったが、井上麻美は本人も悩みながらも一緒にがんばろうと言ってくれる存在だった。
ぼくが初めてアイドルと握手したのはこの井上麻美の「君が痛みと呼ぶもの」のリリイベだったが、この曲の歌詞なんか

君が痛みと呼ぶものが
君の輝きを奪うなら
僕の心はもう二度と
どんな光にも触れたくはない

君が痛みと呼ぶものが
君をたくましく変えるなら
僕も悲しい出来事に
けして負けたくはないと思う

と言った感じで、君がつらいことに立ち向かったら、僕も負けないよと言ってくれてるような感じで悩んでる中学生の心にとにかく刺さったのだ。
デビュー曲の「青春はちっぽけな僕たち」の

誰かを傷つけて
誰もが傷ついて
若さは明日何をつかむのだろう
ガラスの貝殻が
心できしむから
青春だと思う
ちっぽけな僕たち

という曲を、胸の痛んでいる思春期の気持ちで聴いていると、ここにも同じように胸を痛めてるお姉さんががんばってるから、ぼくもがんばろうと思えていたのだ。
高橋由美子はぼくの3歳年上、井上麻美は2歳年上である。
こういうお姉さんの歌声で思春期の苦しみに立ち向かうことができたことは、ぼくの人生にとって貴重な財産になっている。
だからこそ、いまのアイドルがそういう世代の人をターゲットにしていなくて、またそういう世代の人もアイドルを聴かないのは残念な気がする。

一番好きなアイドル曲を一曲だけあげるとすればなんですか?

と考えたとき、それはアイドル曲に関わらず音楽というのは多感な中高生の時期に聴いたものがその人にとって最高なものなのが常なので、どうしてもその頃に聴いたものになってしまうが、ぼくは高岡早紀の「Ni-ya-oo」である。



この曲が発売された1991年、ぼくはリアルタイムで中学二年生だった。
「真夜中のサブリナ」「眠れぬ森の美女」「薔薇と毒薬」など一風変わった楽曲でアイドル界でも異彩を放ってた、のちの大女優・高岡早紀のアイドル曲だが、この「Ni-ya-oo」はさらに変わってて、中学二年生のぼくは全身に電気が走った。
のちにシンガーとしては中洲ジャズフェスティバルの常連になる高岡早紀だが、おそらく彼女にとってははじめてのジャズ風の曲だったと思う。
そのジャズっぽいサウンド(余談だが本当に高岡早紀のアイドル曲は変わってて、ライブもアイドルにしては珍しく座って見るものだったらしい)に、ささやくような高岡早紀の声で歌い出しが、歌詞を引用すると、

Oh baby 恋をしましょう
ピアノの上て
Oh kiss me
伸ばす脚に
頬ずりしなさい

だったのだが、中学生のぼくはこの「頬ずりしなさい」に完全にまいってしまった。
また同時期に発売されてた高橋由美子の「とき☆めき」の

こんなことは友達にも
知られたら困るわ
大人の人はみな
経験したことね

という歌詞にも妄想をたくましくしていた。



ちなみにこの曲は1974年に発売された麻丘めぐみのカバーとあとになって知ったが、そういうわけでアイドル曲というのは妄想たくましい中学生の心をいつの時代も捉えていたものなのだ。
1993年に発売された中嶋美智代の「恥ずかしい夢」もぼくの中ではかなりショッキングな曲だったし、印象に残っている。



「ひなげし」や「赤い花束」で清純路線をつっぱしりながらも「思い出にもなれない」クラスでも目立たない女の子キャラをつらぬいていた中嶋美智代が、

恥ずかしい夢も見るわ
特別なことじゃないもの

と歌うのはどかーんと来てた。
で、ぼくが1991年に妄想を走らせた高橋由美子の「とき☆めき」が1974年の曲だったりするように、アイドル曲にはそういう思春期のもやもやを表面化したような歌も昔は多かったと思う。
おニャン子クラブの「セーラー服を脱がさないで」なんてもろにそんな曲だし、

デートに誘われて
バージンじゃつまらない
パパやママは知らないの
明日の外泊

なのである。
AKB48もチームKの「Virgin love」は結構衝撃的だったけど、シングルにしても「制服が邪魔をする」なんてのもそんな曲だったと思う。



そういう曲が最近少ない気がするのがぼくはいま、寂しく感じている。

時代背景的になんとなく理由はわかる。
ひとつめは単純にコンプライアンスの問題だろうと。
たとえばAKB48の「Dear my teacher」なんていまならテレビで歌えるかと考えるとグレーな気がする。
またふたつめに「Dear my teacher」でもわかるように、アイドルと同世代の男性ファンが減っているということがあるだろう。
「Dear my teacher」は生徒が先生を誘う曲だけど、発売当時のいまから18年前(2007年)でもアイドルファンは、アイドルと年の離れた大人が多かったのだろう。
ぼくは中嶋美智代と同世代だったから、彼女が「赤い花束」で「好きです好きですあなた♪」と歌う歌声を聴いたら、それは教室で同じ生徒として言われてるシーンを夢想してたけど、これがアイドルの同世代の男性ファンが減っているために難しくなっているのだ。
そして最後に感じるのは性教育やネットの発達でいまの若い男性がぼくらの中学生の頃より圧倒的にそのような知識があるということである。
そのため、やんわりと妄想を膨らませる必要がなくなった。
だからこそ、2018年頃には「ちんぽやくざ」というアイドルがいたり、2021年にWACKからデビューしたASPの1stアルバムのタイトルは「ANAL SEX PENiS」だった。
ただ、ここまで直接的だとぼくは冷めてしまうのだ。
やはり空想や妄想ができることこそがぼくは楽しいんだと思う。
ただし、会いに行けるアイドルにアイドルがなってしまった以上、下手に妄想を抱かせると直接危害が加えられる距離感になってしまったからこそ、あまり妄想をさせないように作り手側が考えて、苦肉の策として直接的な表現を増やしてるのかもしれない。
いや、いまのネットなどで知識のある若い人には、直接的な表現じゃないと刺激にならないのかもしれないが。

ぼくはそれを残念に感じている。
ビートルズやローリングストーンズが登場した60年代、ロックスターに必要なものは音楽性とメッセージとティーズと言われた。
優れたサウンドに、ラブ&ピースのようなメッセージのある歌詞をのせて、ステージでティーズになる。
このティーズというのが日本人にはあまり感覚がわからないだろうが、語源はストリップティーズと言われるように、日本語にすると「焦らし」のテクニックである。
ミック・ジャガーが天才だと言われるが、オーディエンスの直前まで姿を現して、興奮させるだけさせて、ふっと消えるような、決して満足させないギリギリのところまで焦らして、それでも不完全燃焼でだからこそオーディエンスが熱狂する。たとえばドラマの次回予告を見てるときのように、最後まで見せてくれないからまた見たいと思わせるテクニックである。
この焦らしのテクニックが現在では忘れられてるような気がするのだ。
そもそも焦らす前の興奮状態を与えないようにしているようにも感じる。
ぼくはそれを寂しいなあと感じてる。

昨年の12月28日にグループの支柱だった柊わかばさんが卒業したRe:five。
残された東雲ういさん、空豆かれんさん、白鳥ひなさんの三人でのリスタートは、12月31日のグリーンランドアイドルフェスティバルからだった。
ぼくは、Re:fiveはメンバーポジションをシャッフルしてのステージもこなすようなグループだから楽曲のパフォーマンスにはほとんど不安がなかったが、柊さんが抜けたことでのいちばんの不安はMCだった。しかも会場は千人越えのキャパを誇るグリーンランドのレインボーステージ。
どうなるかなと曲中も心配しながら見ていたが、そこはRe:five。そのMCは見事だった。
そしてそのMCで今年のRe:fiveの方向性がはっきり見えたと感じた。
まず、「9月にプライベートでグリーンランドに来たんですよ」と優等生的な話をしたあとに、「そのとき花火が上がったんですよね。今日も花火が上がるらしくて」とこの日のグリーンランドのカウントダウンイベントの花火の話をしたのだ。
やるじゃんとぼくは思った。
実はこの日のグリーンランドアイドルフェスティバルはステージが18時半に終わるタイムスケジュールだった。最後までいなかったのでぼくはなんとも言えないが、おそらく終演後物販まででも21時には撤収していたのではないだろうかと思う。
その後、当日グリーンランドで顔を合わせたオタクたちがXで年越しそばや紅白の内容をポストしていたので、カウントダウンに参加したアイドルファンというのは少数だったと思う。秘密のJOKERなど大人のグループはカウントダウンにも参加したと聞いたが、未成年のRe:fiveはさすがにカウントダウンイベントまでは残らないとぼくは思っていたし、たぶんそうだろうなと考えている。もっといえば、Re:fiveとしての活動は17時の物販交流会で終了していた。
だからこそ、カウントダウンイベントを楽しみにするようなMCをしたことがぼくは素晴らしく感じたし、これからのRe:fiveの方向性が見えたように感じた。
身も蓋もない言い方をするならば、柊わかばさんという偉大なメンバーが卒業したことで、若干かもしれないが間違いなくRe:fiveの人気は低迷している。
その人気を回復するために取るアイドルの手段は大きく分けてふたつだ。
ひとつは「こんなときでも応援してくれるファンをもっと大事にしよう」と、これ以上のファンの流出を招かないように既存のファンを大事にする。こんな状態でも応援してくれるファンを逃す程度では、新しいファンをつかまえられるわけないと、まずは徹底的に既存のファンにアプローチして、そこからグループの正解を見つけて、その正解で新しいファンを獲得する手段である。
一見後ろ向きに見えるかもしれないが、実は会場で雰囲気を作っているファンというのは特に対バンライブでは必要なものらしく、まずはどこでライブをしても現場の空気を作ってくれる人たちを固めたいライブアイドルでは、よく取られる手法である。
もうひとつは「新しいグループになったつもりで新しいファンを増やそう」と、ゼロからスタートする方法である。いままでのファンは柊わかばさんのいたRe:fiveのファンである。そうではなく、これからはたくさんの人にいまのRe:fiveを応援してもらいたい。それにはいままでのファンにばかりにアプローチするのではなく、すべての人を、もちろん今までのファンも含めてのすべての人に対して、フラットにそこから新しいRe:fiveのファンを作る形である。
このゼロからのスタートはどちらかというとメンバーが抜けて人気を落としたグループがやるよりも、一度アイドルを卒業した元アイドルが別のグループで再デビューしたときに取られる手段ではあるが、ぼくはグリーンランドのカウントダウンイベントに触れたMCで、Re:fiveはゼロからリスタートする気なんだと感じた。アイドルファンじゃなく、その日のグリーンランドに来た人に向けたMCをしていたからだ。
そしてそれは威勢のいい覚悟じゃないかと思う。
いままでの古参やTOなんか関係ない。
いまのRe:fiveを応援してくれる人はみんな、人気が落ちているいまだからこそ、大切なファン。それは今日初めて見てくれた人でも変わらない。
その覚悟が気持ちいいぞと、ぼくはグリーンランドで感じて新年を迎えた。

明けて1月4日の熊本アイドル合同新年会。
MCはおそらく柊わかばさんがいた頃よりも時間をかけて考えているのだろう。東雲ういさんの「2026年の目標は?」という振りに空豆かれんさんが「お姉ちゃんのいる広島に行きたい」と言い、「広島といえばお好み焼きですよね」と東雲さんがもりあげてからの白鳥ひなさんの「でも食べたいのはやっぱり朝からカツカレーですよね」と落としての「朝からカツカレー」という流れはよく作りこまれていたし、これまでのRe:fiveではほぼほぼないスタイルだった。
「朝からカツカレー」のイントロが流れ、懐古主義に言うならばこれまでは柊わかばさんがやっていた「みんなでいっしょにもりあがっていきましょう」というのを空豆かれんさんがやっていた。そして感動的だったのがオタクのミックスの導入に合わせて「しゃーいくぞ」と空豆さんが言ったのだ。
そこにまさに、新しいファン獲得への覚悟が決まってるなと感じた。
直前の「5er新春シャンソンショー」でぼくは「熊本で売れなそうなアイドル」というネタで、イントロから「パンパカパンパンしゃーいくぞ」というアイドルのモノマネのつもりをやっていたので居心地が悪かったが、熊本現場ではアイドルがミックスを誘導するのが抵抗ある文化がある。現在産休中なのにチェキを販売している白幡いちほさんあたりが東京で「はいせーのはオタクに言わせてほしい」と言い出した頃から表面化した文化だが、熊本ではその傾向が強く、SunnyHoneyなんかはその空気を読んで封印したほどだった。実際、福岡や大分のアイドルが熊本にきて「しゃーいくぞ」とマイクを通して言うと、微妙な空気になることもある。
そういえばRe:fiveもあくまでこれは推測の話で本人に聞いたわけではないが、SunnyHoneyが封印した頃に柊わかばさんがカツカレーの間奏のときに言われていた「虎虎虎虎」を封印しそうになったこともあったようにぼくは見ていた。まあ、それは本当に気持ちが高まったときにしか言ってくれず、卒業ライブではやってくれたので単なる邪推かもしれないが、しかし卒業ライブで「虎虎虎虎」をやった柊さんを見習って空豆さんが「しゃーいくぞ」をやったのなら大したものだとぼくは感じた。
そしてこれまでの熊本のオタクの文化など関係なく、自分たちらしく前に進む。
オタクが極端に楽しめるのではなく、誰もが楽しめるステージを作りたい。
それが新生Re:fiveのスタイルなのだとぼくは感じた。
応援したいならいまのRe:fiveを好きになってください。
応援してくれないなら、応援したくなるようにがんばります。
いままで出会ってなかった人にも、出会ったら応援したくなるようにがんばります。
その覚悟がいまのRe:fiveにあるのだとぼくは感じているのだ。
そして、すでに新しいRe:fiveを応援しているぼくはそれを心強く思っている。
まだまだ試行錯誤を重ねているところもありそうだが、今年どこかで見かけたら一度ご覧になってほしい。
誰もが楽しめ、新しいファンとの出会いを求めているRe:fiveがそこにいると思う。






柊わかば卒業コンサートは、柊わかばさんがRe:fiveの前身のmonecco5からのメンバーということもあり、monecco5のOGも参加していた。
そこで物販開始早々、Re:five初代リーダーの橘かえでさんの物販に行ったのだが、そこでかえでさんが「武部さん(運営代表)、あたしのときには泣かなかったのに、今日は泣いてた」と言われてた。
なんだよ、女の嫉妬かよーとそのときは軽口を叩いていたぼくだけど、まあ実際、橘かえでさんもグループの雰囲気の良さやメンバーやファンに対する思いやりの点でRe:fiveに残したものは多かったとは思う。ただ現在進行系でいま活躍するRe:fiveにとっては柊わかばさんが武部さんと築きあげたものが、それよりも大きいんだろうなと感じた。

「正直こんなに人が集まってくれるとは思わなかった。ずっと自分の実力のなさがわかっていて自信がなかったから、アイドル最後の日をこんなにたくさんの人に見ていただけてうれしかったです」

コンサート終盤、セレモニーで柊わかばさんはそう言われていた。
橘かえでさんの卒業以来、他のメンバーが2歳以上も歳下ということがあって、Re:fiveを代表する存在だった柊わかばさん。メンバーからはお手本のように扱われ、熊本3グループでのイベントでも企画のイニシアティブは常に取り、Re:fiveだけでなく熊本のアイドルでも頂点に君臨していたように見えていたので、その言葉に会場の空気は若干戸惑ったようにぼくは感じた。
だけど、表情からそれが謙遜などというものではなく、本音であることが伝わったからこそ、心が打たれた。
そしてそれがいまのRe:fiveのストイックな姿勢につながっているのだろうと感じた。

東京や関西にも遠征し、キャナルシティでもリリイベを行い、熊本のアイドルシーンに新しい景色を見せ続けていたmonecco5。
しかし、柊わかばさんは正規メンバーでありながらその本州の遠征も福岡でのCDのリリイベにも参加していなかった。オリコンデイリーチャート5位を記録した「キミを待ってる」のCDジャケットにも彼女の姿はない。
スケジュールの都合がうまくいかなかったり、学業との両立でやはり本分である学業を優先したりとコンフリクトの結果こうなったのだろうが、現在でも語られているmonecco5の偉業に彼女の姿はまったくないのだ。
それについて表向きに悔しがるような姿を彼女は一切見せなかったが、一緒にがんばってきている他のメンバーが脚光を浴びる中で、最年少だからと控えめで耐えていた彼女は、いつしか自信を失っていたのだと思う。

ただ、現在のRe:fiveを見ているとそのときに自信を失ったことが結果的にはRe:fiveに素晴らしい財産を築いてくれたと感じている。
空豆かれんさんは昨日のセレモニーで柊わかばさんにいちばん尊敬を感じたこととして、「レッスンで振りを入れるときにできないメンバーがいたら、そのメンバーを置いていかずに何度も何度も繰り返してくれたこと」を涙ながらに語っていた。これはまさしく、monecco5時代に置いていかれた経験をしている柊さんだからこそできる配慮なんだとぼくは思う。
空豆さんは「わたしもそんな先輩になりたい」と言われて、この柊わかばさんのDNAはRe:fiveに残るのだろう。
悔しい経験をしたからからこそ、うまくいかない人の気持ちがわかれるというのは、いまになれば柊わかばさんの財産であり、Re:fiveの財産だ。
だから、自信がなかったと言われたけれど、その経験をしたことがすごくいい形でいまのRe:fiveに残してくれたと感じている。
自信と慢心は表裏一体である。自信はたしかに大事なものかもしれないが、それが「自分は間違っていない」という慢心に変わるとそこで成長は止まってしまう。そうではなく、どんなにスキルを持っていても「まだまだ」と思って「もっといいやり方はないか」「このままじゃだめだ」と努力するからこそ、新しい世界が見え、成長していくものなのである。だからこそ、Re:fiveは常に成長していけているのだと思う。それは柊さんの悔しい経験から得られたものがRe:fiveに活かされたからに他ならない。
実はRe:fiveはこの4人で安定するまで、2年ちょっとで卒業が1人と脱退が4人と結構人が入れ替わっている。
はじめにmonecco5からRe:fiveに移行したときのメンバーは3人だが、その中でも柊わかばさんは最年少だった。
それが2年ほどで最年長になってMCもパフォーマンスもグループを代表するものが求められるようになった。
その立場がどんどん重くなるたびに「自信を持ってステージに立てるようになるためにちゃんと練習した」と昨日、柊わかばさんは言われていた。
ぼくは柊さんが自信がなかったからこそ、その過酷な練習を乗り越えられたのだと思う。そしてそれを見ていた後輩や話で聞いた後輩が、同じように過酷な練習に挑み、それに遅れたメンバーがいても置いていかない環境がいまのRe:fiveにあるということだ。
そりゃ、Re:fiveのステージが楽しいのは当然だよなとぼくは感じた。
そしてその楽しいステージを見せてくれるために、見えないところで柊わかばさんが与えてくれたもの、今後残してくれたものが多いのだろうと思った。
またそうやって試行錯誤する柊わかばさんをときには見守り、ときにはアドバイスした武部代表と作り上げたものが、不遇のmonecco5時代のことも含めてあったからこそ、セレモニーでの武部代表の涙にもつながったのではないかと感じた。

ライブのほうは、そのセレモニーのときなど要所要所で涙を誘う場面もあったが、それ以外は終始「笑って送り出してほしい」と言われていた柊わかばさんのお人柄を表すような楽しいステージの連続だった。
まず、ウェルカムステージでRe:fiveが登場。衣装はブレザー付きのネクタイ衣装。柊さんが衣装をチョイスする生誕祭でもよく着られたRefiveを代表する衣装だった。またRe:fiveは主役のメンバーや休演のメンバーカラーを他のメンバーが身につけることが定例になっているが、この日は各メンバーとも柊さんがリクエストした髪型にオレンジ色の髪飾りが付けられていた。いつもRe:fiveに協力していただいている東雲P子さんがヘアセットをされたとのことだ。
そして主役の柊わかばさんはみなみぶちょーが凝った形のハーフツインに仕上げられ、アクセントとしてつけられている生花は東雲P子さんの提供でまさにおふたりのコラボ作品になっていた。
いつも以上に笑顔を浮かべながら2曲を演じたRe:five。とても今日が最後とは思えない楽しさだった。
ゲストの最初は柊わかばさんとの仲の良さで知られる煌さんが登場。聞いたところによると、柊さんがリクエストした衣装で、新体制になってから3か月ということで、新しく進んでいく勢いをフレッシュに感じさせてくれた。
熊本きっての正統派アイドルPOTIONは、その華やかさでイベントに彩りを与えていた。熊本3グループとは違った市街地を中心にした取り組みで日に日にその存在感を築き上げているグループだが、天草まで来てくれて盛り上げてくれた。
熊本flavorはいつもの楽しい曲ばかりではなく「ありがとうの涙」で泣かせにきていた。熊本3グループとして一緒にツアーをまわったりと活動を共にすることも多いためか、涙ぐんでいるメンバーもいて、またアイドル同士とオタクとでは関係性は違うのだろうけど、笑って送り出したいけどついつい胸が痛くなってこみあげてくるものはアイドルもオタクも同じわけで、柊わかば卒業の寂しさを共感できるようなシーンもあった。
SunnyHoneyは、柊さんの「笑って送り出してほしい」という気持ちを反映するように勢いのあるステージで、しっとりしていたオタクの気持ちを元気づけてくれた。
そしてRe:fiveがステージに登場して5曲を演じる。演じられる曲のイントロが流れるたびに「この曲を演るのは柊さんにとって最後なんだ」と思うとやはり胸が痛い。圧巻は「キセキノサキヘ」だった。Re:fiveでやるようになって、柊さんの歌割りがやたらと多いこの曲を全力で演じる姿は、まさに柊わかばの最骨頂だった。
そして本編の最後は、佐賀からやってきた園田有由美さんとひぜんりささんのユニット、みにみに。ういたんさい以来の天草のひぜんさんに、かなり久しぶりに天草に登場した園田有由美さん。ピンキースカイでおなじみの曲、しっとり聴かせるバラード、元気の出るひぜんさんの曲と、豊富なバラエティに圧倒的な歌唱力。更に息がぴったりのMCはフロアを笑いで活気づけ、まるで656広場がやってきたようなにぎわいだった。
「これにて柊わかば卒業コンサートを終了します」というみにみにの茶番から、卒業委員長がアンコール発動。
会場にはなんと、monecco5のオーバーチュアと「いつも笑顔! いつも感謝! いつも最高のパフォーマンスを! いくぞ、monecco5!」の円陣の掛け声が。
5人のOGが揃い、柊わかばさんを入れての6人が並ぶと、Re:fiveでは一度もやったことないmonecco5のデビュー曲「恋〜気まぐれな夏〜」のイントロが流れる。大人になったmonecco5のOG、そこに来月新成人になる柊わかばさんが、みんなが思春期だった頃、柊さんに至っては小学生のときに覚えたこの曲をやるというのはエモかった。
その興奮のまま、どのメンバーも一番ステージで演じたであろう「なんてんまんてん」と2曲も披露してくれた。
ぼく個人としてはいまはRe:fiveが好きだが、失ったものを再現できる喜びとして、やっぱりmonecco5をもう一度見られたことは嬉しかった。
そのmonecco5の想いを引き継いだRe:fiveがステージにmonecco5と交代するように並ぶ。柊わかばさんはお手製のドレスをmonecco5のステージから着られていた。
そして柊さんの口から紹介された曲は、「なんてんまんてん」のアンサー曲であり、monecco5解散の時に作られた「まんてんxまんてん」。この曲もこの日がRe:fiveとしては初めてのステージだった。
卒業する柊わかばさん、その想いを引き継ぎこれからも走ろうとしている残されたメンバー、その気持ちの伝わるこの楽曲にフロアのファンは涙が誘われていた。
そして、セレモニーを挟み、Re:fiveの柊わかばさんが選んだ本当に最後の曲は「朝からカツカレー」だった。
「笑って送り出してほしい」と言われていた柊わかばさんは、ドレスを着ていても元気よく演じ、柊さんの代名詞とも言える間奏の「トラトラトラトラ」も聴かせてもらえた。ひとりずつ歌割りのソロを唄うメンバーの横に添い、「次の曲からはRe:fiveをよろしくね」と言わんばかりに背中を撫でている姿を見ていると思わず涙が出そうになった。
最後の曲でそうやって他のメンバーに寄り添っている姿が、本当に柊さんらしいなとぼくはしみじみ感じた。

本当に感動的な卒業コンサートだった。
柊わかばさんは卒業するが、柊わかばさんが築いたRe:fiveの良さはこれからも後輩メンバーに引き継がれ、新メンバーが入っても引き継がれていくことだろう。
柊わかばさんが卒業されたのは、ぶっちゃけ寂しくてしかたないが、託された3人のRe:fiveは柊わかばさんへの恩返しとしてもこれから更に活躍してくれると思う。
ぼくはそれを期待したい。
柊わかばさん、ありがとうございました!