かつての名古屋HIP HOPシーンを守るアメリカ在住スコッティという二十歳の男 | DJ TAKI-SHIT の Music Saved My Life

DJ TAKI-SHIT の Music Saved My Life

DTM、作曲、アレンジ、リミックスのノウハウ、音楽業界の動向、おススメの音源などを主に書いています。

1年くらい前から僕のWEBサイトからメールをちょくちょくくれていた在米アメリカ人のスコッティという二十歳の人物。今年49歳になる僕としては、ともすれば、息子くらいに年の離れた青年だ。

ミシガン州の大学生なのだが、どういう訳か名古屋のヒップホップシーン、それも2024年の今のシーンではなく90年代中盤から2000年代頃の名古屋のヒップホップシーンを相当にマニアックに深掘りし自身のWEBサイトやYouTubeチャンネルにアップし続けるスペシャルで奇特な人(笑)。まさに僕が名古屋でSEAMOと一緒に活動していたあの時代。

およそ二ヶ月に一回のスパンでメールをくれるスコッティ。ダラダラとそんな文通が1年くらい続いた去年の年末。スコッティが日本の滋賀県の大学に留学する為、来日するとのこと。じゃあ東京に来るなら連絡してね、といっていたら、先日本当に、東京に行きますというメールが。

ということで、昨日、初めてスコッティと東京で会ったのです。

何となくイメージしていた通りの背の高いアングロサクソン系白人のややオタクな青年風。お土産に持ってきたシーモネーター&DJ TAKI-SHITのプロモ版のレコードを渡すととても喜んでくれた。お正月に実家帰省した時にわざわざ持って来て良かった。

僕と会うことをスコッティは喜んでくれたのだが、ヒップホップの本場であるアメリカに生まれ育って、なぜ日本のヒップホップ文化、しかも名古屋だけ、さらに自分が産まれる前の時代のシーンだけをオタクのように掘り下げているのか ??? 
僕自身がとてもスコッティに興味津々だったのです。

きっかけはゲームの太鼓の達人を子供のころにやっていた時にプレイしていた曲がNobodyknows+の「ココロオドル」だったとのこと。ただゲームでは曲が半分くらい終わってしまうことに物足りなさを感じ、もっともっと彼らのことを知りたいと。深掘りをしていく内に当時の名古屋のヒップホップシーンに辿り着いたらしく、そこから超マニアックに調べていったとのこと。

スコッティのYouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/@ongakujuku
https://www.youtube.com/@ongakujuku2

正直驚きました。。あの当時の名古屋のヒップホップシーンで僕が知らないことや、何でそんなことを知っているの?!ということまで。まるで当時そこに存在していたかのように知りすぎているので、懐かしい思い出が蘇ると同時にとても不思議な感覚に陥りました(笑)

なぜなのか、何がスコッティをそうさせるのか、と問うと

思い入れのある名古屋のヒップホップシーンを守っていきたいと。

自分もそうだったけど、十代から二十代前半の時って、何かのめり込むものがあると、損得なんて考えずに労力や行動力を惜しまずに動けるものだよなあ、ということ。まさに自分も二十歳の頃は、音楽の事しか考えてなかったし、DJをやらせてもらえるなら何でもしますというスタンスだった。それがスコッティにとっては、名古屋のヒップホップシーンを掘り下げることなのだろう。

当時生まれてもいなかったアメリカ在住の若者が、遠く離れた日本の名古屋という一地方都市のさらにマイノリティだったヒップホップカルチャーだけを掘り下げてWEBサイトにアップしてくれているという事実。

自分の青春時代の思い出という宝物を赤の他人であってその時代を生きていない、しかも一人のアメリカ人がとても大事に守ってくれようとしている。単純に本当に嬉しいなと思ったし感謝の気持ちであったということ。なんとなくこんな人が出てくるのかもしれないなぁってどこかで思っていたような気持ちも。

こういう人に渡すために過去にリリースしたフィジカルの作品を実家に残しておいたのかもしれない。24年前にプレスしたレコード、渡せて良かった

あの時代の名古屋のヒップホップシーンって、東京から見ると全く埋もれていた感は否めないのだけど、当時の現場では、みんな本当にDIYで頑張ってしのぎを削って切磋琢磨していたし、今考えるとシーンとしてはかなり成熟していたとも思う。

今年で名古屋を離れて20年経つけど、今でも昨日の事のように覚えていることはたくさんある。

つくづく音楽の力って凄いなぁとしみじみ感じた二十歳のアメリカ人と48歳の日本人おじさんの夜だったのでした

これからも音楽を愛し毎日音楽を聞き続けて音楽を作って歩んでいこう