フェラーリを生んだ国、ベンツを生んだ国 3 | イタリアデザインの深読み 竹下彬史

イタリアデザインの深読み 竹下彬史

海外進出を目指す方々は必見です!
イタリアデザインを中心に、イタリアの文化、歴史に触れていきます。
そこから見える今日の日本のデザイン、デザインにおける日本とイタリアの関係も解説していきます。


前回のブログでは、「フェラーリを生んだ国、ベンツを生んだ国2」でドイツ人が何故「重厚で丈夫」な乗り物を生み出したのかを見てきました。



今回は日本車を見てきましょう。

日本車の特徴として省エネ自動車が挙げられると思います。
 
1955年にトヨタ、日産、いすゞ、富士精密工業が車の販売を始めました。
当時はアメリカなどの外国車を購入し、分解、それぞれの部品を徹底的に調べ上げ、自分たちの技術にしていきました。

その後通産省(経財産業省)は、「国産車」構想を打ち出し、国民が所有できる自動車を作るようにメーカーに働きかけ、日本の自動車産業は一気に加速しました。

しかし、第四次中東戦争をきっかけに1973年以降、原油の価格が高騰しました。オイルショックです。

オイルショック以降、日本の家電製品は省エネ路線に移行しました。
官民をあげて省エネ技術開発が進み、石油消費量の削減量は先進国トップになり、小型で燃費の良い日本車が生まれました。

日本の国土の66%が森林です。また、平野は国土の14%ほどで、関東大平野をはじめ19の平野からなり、人口の5割が平野に集中しています。
先ほど挙げた「国産車」構想もあり、一家に一台自動車を所有する事が可能になり、都市圏は車で溢れます。速い車や丈夫な車より渋滞しても燃料を消費しない車が求められます。この様な経済状況や地理環境下では、省エネルギーな自動車の所有が当時では合理的だったのです。


最後に触れておきますが、アメリカ車が巨大化したのも、戦時中において物資をより多く運ぶ為には、大きな荷台が必要であったと考えられます。アメリカは第一次二次大戦ともに、北アメリカ大陸が戦場とならなかっため、多量の物資を一度にできるだけたくさんヨーロッパ大陸に運び込む事が大きな役割でした。また長距離移動に耐える為、室内を広くとり、巨大化して行ったと考えられます。大きくある事がアメリカ人にとっての合理性だったのです。しかし、この仮説は自然環境の影響という点で説得力に欠ける為、もう少し検証が必要です。



今回は自然環境が人間の性格を特徴づけ、必ずその土地にあった「合理性」があるというのを説明する為に車を例にしました。私たちの住む土地環境、気候、風土、から一番最適なモノを考え出していくのが自然な行為です。



今後少しづつ説明して行きますが明治の近代化以降、日本は様々な道具や哲学、あるいは社会システムまでも西洋から取り入れてきました。
また敗戦後、GHQにより一方的に西洋型社会システムを押し付けられました。
それらは日本の環境下では必ずしも適切では無いものも含まれています。今後の大きな課題として、強引なまでに押し進められた西洋化に対して、良いものは取り入れ、悪いものは日本人の肌に合うモノ、あるいはシステムに少しづつ変えていく事が必要になると考えます。


改めて日本の文化を見つめ直し、日本人にあった「合理性」を模索して行くごとが21世紀に生きる我々のテーマであると思います。




$イタリアデザインの深読み 竹下彬史




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