前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト -464ページ目

年齢の言い訳~誕生日になりました。36歳です

誕生日が嬉しくない年齢になってはや◎◎年、とうとう今日、36歳です。

思えば25歳で四捨五入で30と言われ、「いやいや20代前半ですから」と言い抜け、

29歳までは「切り捨て御免で20歳」とごね、

30歳で「やーい三十路」と言われ「いやいや、序数で考えると21歳から30歳までが20代(実はこれはインチキ。何しろ、30歳は「かぞえ」の31歳だもの)」と強弁し、

35歳で「30代後半」と言われとうとう観念したのですが、

36歳となると、もう40前の「おじさん」です。

ただ、議会では最年少。これからはおとなしくではなく、もっとやんちゃにがんばります。

街の成熟度と飲食店~チェーンの飲食店しかない街は未成熟

中野区のとある駅前にある中華料理屋さんに行ってきました。

文句なしにおいしいし、値段もそこそこで、店内のセンスも抜群。満足しました。

周辺にも、チェーンでない飲食店がひしめいて、競い合っています。


振り返って和光市では、もちろんいい店もあるのですが、数で圧倒的に多いのは大手のチェーン店です。

チェーン店は味もそこそこで値段も安く、安心できるのですが、楽しくない場合が多いです。

地域が育てるタイプの個性的な店は、地域の文化そのものです。

しかし、チェーン店は文化とも地域とも関係なく、胃袋やアルコール欲求を満たすだけです

チェーン店も利用しますし、否定はしないのですが、チェーン店中心ににぎわう街は寂しいです。


そういえば、私の若い頃住んでいた荻窪は、地域が育てるおいしい店、住民が育てる古書店、商店街も個性的・・・・と本当に居心地のよい街でした。


地域に、地域とともに育つ、よい店がたくさんできてくることこそ、居心地のよいホームタウンへの条件であると感じます。


ただ、私も地域のことがいろいろと見えてきました。私なりの視点で和光のいい店を紹介していきますね。


JR西日本のボーリング大会決行は組織の仕組みに問題

JR西社員が事故の日にボーリング大会をして最後は3次会まで行っていた、という報道があり、袋叩きになっています。この判断がまずいのは当然なのですが、私は組織の危機管理体制を見直すいいきっかけになると思います。


①誰が判断したのか

やっていいとはっきり判断した人はいないと思います。キャンセルも面倒だし、連絡も大変だから、こっそりやってしまおう、その程度の話だと思います。事故車両にいた運転士がそのまま出勤してしまったことも同じなのですが、現場で決めてしまったこと、それが問題だと思うのです。


②政治的判断は上層部の仕事

大事故や大事件の後の微妙な時期にはイベント一つやるにも配慮が必要です。しっかり配慮すること、配慮を世間にアピールすることは組織全体の問題です。現場での判断は無理です。テレビなどのマスコミや市民が注視している中のことです。多分に政治的な判断になりますから、政治的な判断のできる層、つまり経営陣が責任を持つべきなんです。


③リスク感覚があるのか

企業には現在、リスク管理が問われています。そして、そこで大切なのはリスクについてしっかりと整理し、重大な問題については経営者が把握し、責任を取れる体制を作ることです。ボーリングの件は、自主的にやめる判断もあったと思いますが。経営者に報告があるべきでした。そういう判断を求めるしくみがあれば、現場から立ち去った運転士の件も含めて、ここまでJRが叩かれることはなかったと思います。経営者も、自分が知らないことにまで頭を下げて、その上、クビを切られるというリスクは避けられます。


④全ての組織は内部管理体制の点検を

全ての組織は内部管理体制について、責任と判断という視点で見直しが必要です。人が新卒入社時に必ず上司に言われる、「ホウレンソウ」(報告、連絡、相談)に立ち返ることが経営者にも現場にも求められています。

これは会社だけじゃないですね。学校とか役所とかPTAとか全ての組織に当てはまります。

他人の判断で責任を取らされない仕組みには、合理性があると思います。

こどもの日

子供に、「なんで女の子の日はあるのに、男の子はこどもの日しかないの?」と聞かれました。

子供に聞かれて「法律に書いてあるんだよ」とその場をごまかしました。そして、後でほんの少し調べて子供に説明しました。


もともとは端午の節句と桃の節句なのですが、現在のようになったのは当然のことながら終戦後だそうです。日にちは江戸時代に定着したそうです。国民調査を行い、3月3日は女の子の節句、5月5日は男の子の節句として祝日にするという動きもあったものの、最終的には男女に関係なく、5月5日を「こどもの日」として祝日とすることになったとのことです。(ヤフーキッズなどを参照しました)。

ちなみに、韓国も同じ日がこどもの日だそうです。

なお、菖蒲が尚武とかいろいろとあったのですが、省きます。


いずれ国会の審議経緯についても調べたいところですが、いつになることやら。

林道義『主婦の復権』

まじめなまじめな心理学者だった林教授。

『父性の復権』(中公新書)という衝撃的なこの著作で、フェミニズム、ジェンダーフリー思想と対決する闘士として生まれ変わりました。本書はその続編です。

主婦とは最も人間的な、進化した社会的な仕組みだ、というのがこの本の中心思想です。

そして、フェミニスト、「ジェンダーフリー」論者の変な論理に対して丁寧に反論していきます。いかに変かは本書を読めば納得できます。また、性的役割分担についての考察が厚いのも職業柄、なかなか役立ちます。

特に共感できたのは、男と女は後天的な(教育などにより得る)差異を取り除いてもかなり違う存在なんだよ、というところです。

違う存在だからこそ、「つがい」となって生きていくんですよね。両性は本質的に平等だけれども、同じような存在である必要はないと思います。でないと、異性を異性としてとらえる意味がないです。

本書では、情緒的な話もかなり織り込まれているのですが、フェミニストの学問的な浅さを突く、その鋭さはさすが「まじめな研究者」です。

私は日本のマルクス主義者、フェミニスト(両者には共通項が多い)には胡散臭さを感じています。本書を読んで、その感を強めるのですが、著者が論理的になったり、感情が前面に出たりという振幅がかなりある本なので、読み終えた感想はなかなか複雑です。非常に誠実で日本の将来を憂慮している立派な人」だが、フェミニストにからかわれてしまう、「隙」みたいなものが見て取れます。なにしろ、相手は斜に構えた人々です。

また、私が強く感じたのは情緒的に以下と同じような内容を語ってはいるのですが、本書に決定的に足りないものがあるということです。民主主義とは自分の自由のために相手の自由を認める我慢のプロセスであり、フェミニストにはその我慢を甘受しようという考えがないという指摘であり、批判であると思います。

ちなみに、民主主義の自由社会において、最も問題となるのは私人間の調整であると思います。林教授の根本には、現在ある家庭という社会機構はそれなりにいいものなんだよ、古いと攻撃してつぶされてしまってはかなわない、という良い意味での保守性が感じられます。

また、まじめに物事に取り組むことの清らかさ,さわやかさを私は林教授の活動から感じています。日本にはふまじめな、嘲笑的な人が多すぎます。