「3.11」から10年 | 前和光市長 松本たけひろ オフィシャルウェブサイト

「3.11」から10年

あの日、あの時、市議会の会期中で市長室にいました。

その瞬間、座っていた私は一瞬、めまいがしているのかと思いましたが、職員たちの声で我に返りました。

地震のときはまず、NHKテレビを点けます。これは今も昔も同じ。

東北で巨大地震があったことを知り、市内の状況を確認しながら、ネットやテレビで東北の状況を確認し…。

そして、まず、電話がパンクし和光市内の状況が分からない市民から状況確認のツイートが。あわてて「人的被害なし」とツイート。とにかく市内で犠牲が出ていないことが分かればそれだけでも安心してくれるに違いない。そんなことを思いました。川越街道などの渋滞状況についてもツイート。

首都圏の交通はマヒし、特に市内の保育園が葛西臨海水族園へ遠足に行って戻ってこられなくなった、とか、保護者が車で迎えに行った、とかいろいろと心配事がある中で、とにかく保育園にお迎えに行き、自宅に戻り、家に一人でいたわが子の様子を確認しました。

自宅は荷物が散乱し、特に冷蔵庫から豆腐が飛び出し、台所の床に散乱していたことを妙に鮮明に覚えています。

一方で、津波の映像を見ながら、それが現実にはとても思えない、無力感とか脱力感とか、非現実性とか、そんなものを感じながら時折入る情報や報告を処理し、いつしか夕刻になりました。

夜になり、担当から「帰宅困難者多数あり」との報告と「総合体育館を開放したい」との連絡。.消防団が総出で誘導してくれました。本当に素晴らしい活躍でした。

都営地下鉄を動かすとの猪瀬直樹副知事のツイートに「これで和光市民は帰宅できる」と拡散。実際に多数の市民が西高島平や光が丘から帰宅されました。

その後、総合体育館の現地確認をして、その後もやきもきしながら情報を集めました。

この日の経験はツイッターで情報を発信してそれがリアルに市民に役立ててもらえた、一つの原点になりました。

 

阪神淡路が私の政治とかかわる原点のひとつですが、市長としての災害対応では東日本が一つの大きな節目となっています。そして、自分の在職中に大災害と遭遇したら、という想像力をリアルにもたらしたのはこの地震と津波だったように思います。

ハッシュタグ「#和光市災害」の着想もここから来ました(災害時の和光市情報に関するツイートにはこのハッシュタグをお願いします。情報収集に活用させていただくとともに、市民各位にもご活用いただけます。詳しくはリンク先の記事まで)。

お願いがあります。それは、「あなたの備え」を確認していただきたい、ということです。

 

さて、東日本大震災の鎮魂歌といえば海上自衛隊東京音楽隊長(当時)の河邊一彦さんが作曲した「祈り〜a Prayer 」が非常に有名です(リンク先でお聴きください)。ただ、今日ご紹介したい曲は同じ河邊さんの手による「仏法僧の森」という、交響組曲「高千穂」のなかの一曲です。

曲名からわかるように、2013年に書かれたこの曲は、河邊さんの故郷の山「高千穂峰」とその自然を情感豊かにソプラノ付きの吹奏楽曲として仕上げた作品なのですが、全体的に日本のごくごくありふれたブッポウソウが暮らす鎮守の森の情景から始まり、「いつか見た夢のように きっと帰れる ふるさとに」というサビの一節はまさに、今もふるさとを離れて暮らす被災地の方々への河邊さんの応援歌のように私には聞こえます。

リンク先のYouTube映像では、2分30秒ごろから、三宅由佳莉3等海曹のボーカルです。

災害時の持ち出し品を確認しつつ、ぜひとも聴いてみてください。