週刊文春に「笑い神 M-1、その純情と狂気」という中村計さんのドキュメンタリーが連載されている。
その10回目はM-1グランプリ2003。この年はファーストラウンドで笑い飯が「奈良県立歴史民俗博物館」というネタを披露して、めちゃくちゃ受けた。
奈良県立歴史民俗博物館に原始時代の日本人が農業かなんかやってる動く人形があって、それでボケるというネタ。普通ならこんなのは思い浮かばない。
「ええ土~」ですね。
ソラシドの本坊さんは笑い飯のロープウェイのネタをみたことがあるそうですが、どんなネタか見てみたい。
本坊さん曰く、NSC時代の講師は奇抜なネタをやっていたコンビにコンビニのネタとか、誕生日のネタ、修学旅行のネタみたいなありがちなネタを作ってから奇抜なネタをやれと教えていたそうです。
こういう講師に教えてもらったら、笑い飯は生まれないんだろうなぁと思いました。
基礎を身につけてから崩せって意味かもしれないけどねぇ。
この年、千鳥も初めてM-1に出ますが、順番は1番目、やったネタは幼馴染の女の子と虫取りに行って、胸をまさぐるという下ネタ。
だだ滑りで、次にネタをやった麒麟も千鳥が重くした空気に飲み込まれて、点数が伸びなかった。
3番目のスピードワゴンもあんまりうけず。4番目に出た笑い飯が全てをふっとばして受けた。
この笑い飯の次にネタをやったのが二丁拳銃。深いい話でおなじみのヘドロさんこと小堀さんと怖い奥さんを持つ川谷さんのコンビ。
結構受けていてましたが、ひとつ前の笑い飯があまりも受けているので、ネタの途中で
「笑い飯があんなに受けてるねんもん」と言ってしまいました。これ、コンテストでは禁じ手で、中川家の剛さんに「いらんこと言うたな」と後で言われてしまったそうです。
それでも、608点で3位につけた。なかなかいいネタだったんですがね。
むしろ、6番手のアメリカザリガニの方が被害を被って、受けなかった
荒れた空気を覆したのがフットボールアワー。後藤さんは気合いを入れたネタ「結婚記者会見」をやって、笑い飯の点数を上回った。
でも、今から見るとこのネタあんまりおもしろくないんですけどね。二丁拳銃の方が面白いかも。
自信家の哲夫さんもこの時のフットボールアワーのネタを見て、優勝はフットボールアワーだと思ったそうです。
3位だった二丁拳銃は最後に敗者復活で出たアンタッチャブルに点数を上回られて、4位に落ち、最後のM-1挑戦が終わります。
最終決戦のネタでは笑い飯は「かわいそうなゾウ」哲夫さん曰く、西田さんのツッコミがいつも通りじゃなくて、西田さんの間が悪いとぼやいていたそうです。
今見ると、そんなに悪いとは思わないんですが、なんかあるんでしょうねぇ。
やってる本人には分る。
確かに最後の電話が燃えたっていう時の西田さんがなんか置きに行ってるのが気になりますけどね。
フットボールアワー4、笑い飯3でフットボールアワーが優勝となりましたが、笑い飯に入れたのが島田紳助さん、松本人志さん、南原清隆さんだったというのが、ラサールさんが審査員じゃなかったどうでしょうねぇと思ってしまいますね。
ラサールさんはフットボールアワーのネタを見て、声を出して笑ったからフットボールアワーに入れたと言われてます。好みが出てしまったんでしょうね。
この後、ハリガネロックは翌年を欠場、その次の年は出場するも準決勝で敗退する。ユウキロックさん曰く、笑い飯、麒麟、千鳥、フットボールアワーという新しい波を見て、どうしたらいいか分からなくなってしまったそうです。
更にアメリカザリガニはまだ資格があったに次の年を欠場します。もし、決勝に出られなかったら、印象が悪くなるとマネージャーに言われたからだそうです。M-1に出て滑ると、全国放送でおもしろくないと印象付けることになり、公開処刑されたようなことになるそうです。
確かにスピードワゴンとかポイズンガールバンドとかそんな感じしたかもなぁ。
逆にこのドキュメンタリーの本文であまり触れられてないけど、アンタッチャブルは敗者復活で出てきて、紳助さんがあまり期待していないようなこと言っていたのにネタを見て、評価がコロッと変わったころから翌年は優勝候補と言われます。
本当にM-1は天国と地獄だなぁと思います。
ちなみにM-1で最終決戦まで残って解散したコンビはハリガネロックだけだそうです。
(2023年に和牛も解散を発表しますので、二組目となりますね。)