たとえば山に鎮座する神社を参拝できるのは、ロープウェイや道路などを作ってくれた人達のお陰です。
その工事に携わった人達が、信心深かったのか、徳を積むつもりで仕事をしていたのかは分かりませんが、参拝する人達はその恩恵を受けることができます。
連続講座を受講いただいている方からのお便りです。
良かったですね!
本当の意味で癒されていくと、周囲からの恵みや助けが増えていきます。
というのも、これまで拒絶していた扉を開くからなんですね。
現実が動いたということは、あなた自身が変化したことを示しています。(逆です、逆。)
ここでクエスチョンです。
自分の変化を実感しているが、現実は変化しない人。
自分の変化は実感ないが、願いが現実化している人。
どちらがスピリチュアルでしょう。
答えは、願いが現実化している人です。
現実化してこそ、スピリチュアルだからです。
こうやって極端な例で考えてみると、分かってきますよね。
周りは動いているが自分は変わっていないという風に感じるのは、私やっぱりダメだなぁと思いたいエゴの考え方なので、きっぱり無視しましょう。
願いが叶っているというところに注目してみてくださいね。
いつもは撒かれる種籾が、雨天のため神職さんから手配りされました。こうして頂いたら、撒かれたものを戴くのとご利益は違う?考えてみてね。
私自身のエピソードを少しシェアしますね。
もう15年以上前のこと、ある大きな神社を親友と参拝した際に、私はご寄付をしようと思いつきました。
その時、お財布の中にあったのは3万円。
親友が「7万円貸してあげるから、せっかくだから10万円のご寄付をしたら?」と提案してくれました。
だけど私は、「そのお金は自分で稼いだお金じゃないし」と思って、結局自分の3万円だけをご寄進したのでした。
もう、帰り道からすでに「目の前に差し出された助けを受け取れなかったなぁ」と、ひしひし実感します。
一時的に借りて後で返せば、今、目の前にあるひとつの節目(チャレンジ)は、自分の予想よりワンランク上のことが手にできたのに。
なぜあの瞬間に受け取れないんだろう?と考えると、自分が何かを得るためには相応の努力や苦労をしなければいけないと思っていたことに気づきました。
ごく単純なポイントなのだけど、借りたお金(紙幣)は、自分が得たお金(紙幣)ではないということが私の中で引っかかったのです。
これって、お金に所有者がいるという発想なのですよね。
帰り道にはその考えは曲がっていたと気づいたので、それ以降、その神社へどなたかをご案内するときに、お金(紙幣…笑)をお貸しする機会があると、このエピソード込みでお話しています。
面白いのは、その神域へ誰かとご一緒した時に限って、準備したお金を車に忘れてくる人とか、その地元のATMでは引き出せなくて足りなくなる人とか、色々な事態が起こります。
私は満面の笑みで、どうぞとお貸しするのです。
こうした時に、自分がやらかしたなぁと思ったことは、巡り巡ってどなたかのお役に立つようになっているのだと実感します。
過ぎ去ってみると、こだわりは大したことではなかったと気づく時が来ます。
神社でご神水を汲むとき、自分で掘った水じゃないとご利益はない?(笑)考えてみよう。
自分で思う以上に、私たちは誰かの力で助けられ、生かされ、願いを叶えられています。
実は、あなたがした何気ない何かが、誰かを助けたり癒したりしていることだって、あるかもしれません。
助けを申し出てもらった時には、躊躇しないで、ありがたく受け取りましょう。
知りたいこと、解決したいことがあれば、お聞かせくださいね。ブログでお答えしていきます。
誰かが作ってくれた弥彦山ロープウェイがあるから、山頂のご神廟へもアクセスできます。
今年で14年目となる、弥彦の地からお届けする遠隔セッションの受け付けを開始しました。
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