セッションでは、最初の段階で扱うテーマを確認し、そのセッションの方向性を見出していきます。
ただ話を聴いてほしいのか
お悩みの解決への道を見つけたいのか
自分の意見に同意して欲しいのか
…などなど、セッションによってアプローチはすべてケースバイケースです。
主訴(主な悩み)をもちろん確認しますが、クライアントが思う主訴と私から見る主訴が異なるケースも多いのです。
例えば、どんな話を切り口にしても、子供のころにひどい目に合ったという話に切り替わってしまう人がいます。
こうしたケースは、クライアントが相談したいと思っていることと、実際の思考が違うことを表しています。
痛み、苦しみ、悲しみなどの思いは、まるで壊れたレコードのように意識をもとの位置へと戻します。
私自身にも体験がありました。
セラピストになる前のこと、恋愛のことで毎日のように話を聴いてくれる友人がいました。
ある時、「僕は彼じゃないから、ほんとうのところは分からないんだよね…」と言われたとき、ハッと目が覚めました。
そんなこと当たり前なのに、聴いてくれるから安心して電話をかけていました。(しかも相手は仕事中なのに)
その相手が解決できる問題ではないのに、相手の時間を奪っていました。
そうした経験があるので、悩みに意識が戻されてしまう感覚は、私もよく分かります。
だけど、変わりたい。
だから学ぶし、セッションも受ける決意をされますよね。
意識が悩みのところへ戻ってしまうのは、自分が思う結果へなんとか持っていきたいからです。
こんなエピソードもあります。
ある友人が、別れた彼女の誕生日プレゼントに花を渡したいと相談してきました。
送るか、お部屋の前に置いてくるか、家の前で待ち伏せして渡すか、迷っていると言うのです。(怖い…笑)
絶対に家に行ってはいけないと厳重に言いましたが、しばらくして振り返ると別の人に同じ相談をして、同じことを言われています。
それを見たとき、家の前で渡すというアドバイスをくれる人に出会うまで相談し続けるのだなと思いました。
私もゴリ押しの考えを持っていました。
彼と上手くいくという結果に繋がるようにあらゆる手を打とうとしていたと思うし、反対意見はあまり聞こえなかったように思います。
私の場合、セラピストの道へ入るためには、この悩みを通る必要があったわけです。解決するのではなく、ここを通過することで、次なる道を見出す意味があったのです。
自分が思う結果へおさめたいのは、強烈な自我です。
天にゆだねるという感覚は、「私が思うベストの結果になって欲しい」と強く願うこととは全く違うことです。
人間目線を離れ、天にゆだねたとき、ミラクルな展開がチャンスとして降ってくるものです。
ゆだねるという感覚は実際に体験しないと分かりづらいかもしれません。
明日は、痛みをゆだねたというエピソードをご紹介します。
素敵な一日を
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