「雑ネタ・あれこれ」・・・福岡県飯塚市・三井山野炭鉱 跡地公園 | 「おやじの雑記帳」令和編

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今回の映像;104日 撮影の分です。
 
引き続き 財閥系炭鉱の ご案内です。今回は 三井財閥系の 炭鉱です。
よく知られた炭鉱が 九州に三か所があります。
 
   ;福岡県田川市の三井田川炭鉱です。
 ここには 石炭歴史博物館が開設されて良く知られていますが、近年は
 山本作兵衛の炭鉱の記録絵が 世界遺産に登録され 一躍有名になりました。
 
   ;福岡県~熊本県の 三井三池炭鉱 二か所
 炭鉱の遺構等が 比較的 良く保存がされ、石炭の海運輸送の為の 三池港
 施設とも関連し 山本作兵衛 人気に肖らんと 次回の産業遺産群の中に
 イコモスの視察準備に 追われています。
 この炭鉱は ガス爆発の大事故があり、それを契機に労働争議に発展し
 労使共に 歴史に残る問題点を残しました。ガス事故の後遺症問題は未だに
 尾を引いて 町の再興にも影を落としています。
 
   ;福岡県飯塚市の 三井山野炭鉱
 炭鉱閉山の40年目の記念事業として 町が整備した 記念公園です。
 ここも 三池炭鉱と同じく、ガス爆発の大事故に見舞われ 石炭エネリギー
 の変換の波もあり 結局は廃鉱となりました。
 
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 公園内の 山の安全を祈願する 神殿です。 難の記述も無く 解りませんでした。
 
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 三井系炭鉱のガス爆発事故は 三井三池炭鉱が 昭和38年に発生し、続いて
 昭和40年に三井山野炭鉱が ガス爆発をおこしました。当時 坑内にいた
 552名の内 237名が死亡 29名が重軽傷をおいました。その時の爆発は比較的
 入口の近い場所での爆発で 死亡の原因は 一酸化炭素中毒だったそうです。
 また この事故では 会社側が 事故に依る中毒患者が増え、治療費や保障が
 高額に成るのを恐れて、救出を故意に遅らせたという噂が 遺族やマスコミから
 避難を受けた事も 当時 在りました。真偽の程は解りません・・・
 
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炭鉱技術の習得に 設立された 練習坑道も 如何なる訳か 人目に晒す事が 阻害され
説明の 建て看板も 破壊され 打ち捨てられていました。
 
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 地元の古老に 山の上に 炭鉱の跡があるらしいと 聞き 行ってみたが
 小学校と 隣の更地の広場があるのみ・・・全く鉱山跡を感じるものすら
 存在しない、情景でした。
 
 藪の中をよくよく探すと かすかに 人口物と思しき物に遭遇・・・
 周辺の工場跡も 草薮に呑みこまれて 当時を思う事すら 出来ない情景でした。
 
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見る影も無い 廃鉱の跡です。
 
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 小鳥を祭った 「小鳥塚」です
 炭鉱の坑内でのガス事故を避ける為、メジロやジュウシマツ インコ等の鳥籠を
 持って 坑内に下がっていたそうです。危険なガスが在ると 小鳥が倒れて危険を
 知らせたそうです。小さな小鳥が 自分の生命を賭して 人間を守ってくれました。
 恐らく 命拾いをされた方が 小鳥の霊を慰めるべく、広く 浄財を集めて この
 塚を築かれたと おもいます。
 オーム真理教事件の折、上九一色村のサチアンに 機動隊が強制捜査に入った時
 カナリアの鳥籠を持って 行ったのが テレビ映像に出ていましたが、正しく
 あれです。
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