昨晩、地方議員の友人と最近の選挙についておでんをつまみながら遅くまで議論。『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』という有名な言葉がある。プロ野球の阪神やヤクルトなどで監督を務めた故 野村克也さんの言葉として知られる。
 
もとは江戸時代の長崎・平戸藩主だった松浦静山の随筆集『甲子夜話(かっしやわ)』で紹介されている言葉だそうだ(書き始めたのが甲子ということでその名がつけられたということだが、幕末の姫路藩における勤王派弾圧事件「甲子(かっし)の獄」が1864年で同じ年かなと思ったが、『甲子夜話』は年ではなく、甲子の日の1821年11月17日ということだ)。
 
話を戻すと、選挙でも野球でも、この言葉を持ち出すのは、負けたときだろう。負けて反省し、原因を分析するときに使う。
 
選挙運動ができる期間は、公職選挙法によって規定されており、先の衆議院選挙でも12日間だけ。そんな短期間に何十万人にも及ぶ有権者に直接アプローチするのは不可能だ。選挙の事前運動的な方法でポスターを掲示したりして、アピールしたり、公認・推薦している政党名で判断してもらうとか、様々なアプローチの仕方はあるが、いずれにしても新人の場合、その名前を浸透させるのは簡単ではない。
 
では現職の場合はどうか。友人がいうには、議会で質問すらほとんどしない議員がいるなかで質問はもちろん、与えられた役職もきちんとつとめてきたが、選挙となるとそのことは有権者に伝わっていなかったという。地方議会の場合、発言や実績を、住民に伝える手段は、自分でつくった議会報告やHP、SNSなど以外になく、第三者が客観性をもって、地方議員である自分のことを住民に伝えてくれたことは一度もないという。
 
新聞は選挙の際に立候補者一覧を掲載するが、それ以外は議員名等が報じられたことは一度もない。だから議会で質問することによって答弁を引き出し、施策を変更、実現させるなど成果が上がっても、それを自らが伝えることをしないと伝わらないのだと。指摘の通りだ。
 
では、自ら「~を実現しました」とかチラシやHP、SNSに書くのはどうなのか。ある種、生き方の話にもなるが、結果的に『自分で自分のことを褒める』という行為にもつながる。日本という国の文化においては、なかなか勇気のいることだ。自己顕示欲の強い人でないと政治家には向いていないという話はこうした背景もあるのだろう。彼も自分がやりましたというタイプの人ではない。本当にこのあたりは難しい。
 
一方で、自分が関与すらしていなかったのに「自分がやった」と言える人がいる。これはこの世界にいるとよく聞く話だ(苦笑)。これが平気な人がいると、何でもその人が実現したということになる。しかもその事実関係を一般住民が確認することは不可能だ。いわゆる「言ったもの勝ち」というやつだ。
 
そういった意味では、自己PRの得意でない人は、選挙に弱いということかもしれない。とはいえ自己PRばかりしている人は個人的にはどうも苦手。自分で自分のポスターを外で掲示している奴が何を言っているんだと怒られそうだが…。
 
結論は冒頭の『勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし』という話は、選挙には当てはまらない場合もあるという話。
 
 
久方振りにこちらに顔を出すと、「お父さんに似てきたね」と言われる。「お酒を飲んでいつもニコニコ」。ここには二人で来たこともある。最近、髪質が似てきたかなと思う時があるがニコニコしているかな。自分でも以前よりは丸くなってきた気はする。「子どもたちがおでん好きなんです」というと、また連れてきてとか。ここは20年前とほとんど変わらない。お酒の銘柄が富久錦から八重垣に変わったくらいだ。
 
 
そうそう、忘れないうちに。下記リンクの日記については反響が結構あった。
 

 

いろんな感想や改善提案があった。中には厳しいものもあった。要は聞く耳、聞く姿勢をもつことが大事だ。