兵庫県議会(姫路市)竹内ひであき「Web版ひであき日記」

兵庫県議会(姫路市)竹内ひであき「Web版ひであき日記」

兵庫県議会議員(姫路市選挙区選出)竹内ひであきの「Web版ひであき日記」です。日々の政治活動のほか、備忘録として様々なことを記載しています。日記は小学3年生から3年間宿題で毎日つけたことがあります。

母の葬儀。なぜこんなにつらいのでしょう。父母に育てられましたが、子どもたちのしつけは総じて母の役割でした。食べる物のこと、寝る時間のこと、テレビをみる時間のこと、小さな頃は厳格な感じでした。いまになって全て私たちのことを思ってのことだとわかります。また、兄妹3人を分け隔てなく同じように育ててくれたと思っています。勉強しろとは言いませんでしたが、日本の歴史の本を読んでいた私に次は「三国志」はどうかと勧めてくれたり、かなり早い段階でパソコンを使う環境を構築してくれたりしました。東京の大学にいくときは家計の経済的負担が重かったと思いますが、奨学金とあわせて4年間きちんと支えてくれました。さらに親に負担をかける政治家という職業を選択した際、選挙に出ると言いに帰ってきた時もやめてほしいとか反対はなく受け入れてくれました。実際にも父と手分けして慣れない選挙運動で迷惑をかけました。何も言わず、その後ずっと支えてくれたのです。

 

私も50歳です。この年になっても「身体を大事にしろ」「偉そうに言うな」。母だからこそ言えるその母がいなくなります。私はこのことをずっと嫌だと思っていました。母のほうが健康だから親不孝ではあるけども私のほうが先にいくのではないかなどとも思っていました。母の死を考えたくなかったのだと思います。それが昨年末、我慢をしていたのか、まさか病気だと思わなかったのか、突然、母に大きな病気が見つかりました。それから少しずつ悪くなっていきます。

 

そして10月11日の朝一番に母に呼ばれました。「伝えたいことがある」。死期を悟ったのだと思います。しかし、その後に母は忘れてしまって、やっぱりこなくていい。念の為に実家に行きましたが、やはり覚えてなくて、私が去るときに、「ボケてきたら迷惑かけるかもしれない、間違って電話するかもしれない」と言いました。「俺はあなたの息子やろ。間違ってもいいから電話してきたらいい」と言いました。これを聞いて大いに涙しながら実家をあとにしたとき、私も母とのお別れが近いと感じざるをえませんでした。

 

12日には地元砥堀の秋祭りの屋台巡行には家の前に歩いて出て少し立った姿勢でご近所さんとお話をすることもできました。翌13日の豊富のお祭りには伯母の家に行けました。14日の朝には「海がみたい」と言いました。「コスモスがみたい」とも言っていましたので御津の「道の駅」に連れていきました。これが最後の遠出になりました。その後、さらに状況は悪くなっていき、連日兄妹や孫たちも集まり母を囲みました。23日、母が息を引き取ったとき、議会本会議に出席していた私以外は母を看取ることができました。ほとんど苦しい様子を見せずに母は旅立ちました。
 

なぜこんなにつらいのでしょう。いろいろ考えました。これまでの人生で一番で飛び抜けてお世話になったのが母なのですね。だからこれまでのお別れで一番寂しい。涙が止まりません。
 

いよいよ出棺です。喪主として霊柩車の助手席に座り、名古山の焼き場へ行きました。骨上げしたあと、お寺さんで初七日法要をして頂きました。

 

最後に親族と実家へ戻りました。母のいなくなった実家です。51年間ずっといた母がそこにいにいません。父が亡くなってから12年。母も亡くしました。これほどつらくて寂しいことはありません。母とのお別れ。本当に長い間お世話になりました。ただただ感謝しかありません。心から育ててくれてありがとうと言いたいです。どうか安らかに眠ってください。英明

実家。母に最後の実家だと伝える。落涙。葬儀場へ出棺。ご近所の方らが実家周辺に来て下さっており、私から御礼の挨拶。

 

その後、通夜。母の遺志により華美なものにはせず家族葬ということだったのでその通り執行。終了後、親族で母を偲ぶ。母とともに就寝。これも最後である。

神戸新聞に母の訃報が掲載されているとのこと。連絡がある。


その後、神戸の県庁。昨日に引き続き百条委員会。終わるまでなんとか務める。


その後、姫路の実家。夜、実家にいる母の最後の日。ここに住んで51年。そう考えるとかなり感極まる。亡くなるかもしれないと感じた時からかなり涙もろくなっている。今日もそんな感じである。今日も妹やその子どもたちが集まってくれていた。


他方、様々な予定をキャンセルさせてもらっている。申し訳ありません。

神戸の県庁。百条委員会。以前から予定は決まっているため、委員として出席。葬儀等の日程は少し遅らせて週末に。


委員会終了後、実家へ。葬儀会社の方が来てくださっていて母にお化粧などをしてくれていた。秋とはいえ暑いのでドライアイスの用意も。妹家族とそこで夕食。

私の実母 竹内昭子が10月23日病気のため亡くなりました。昨年末に体調を崩してから回復に努めてきましたが、薬石効なくここに至りました。生前大変お世話になったこと、この場をお借りして感謝申し上げます。


 なお、母の生前の意志を本人から確認したところ、「家族葬」にしてほしいでした。ご厚誼いただいてきた皆様にもその旨だけお伝えさせていただきます。改めまして皆様のこれまでのご厚情に母に代わって感謝申し上げます。本当にお世話になり、ありがとうございました。


議会事務局作成の告知文書


神戸の県庁。会派総会のあと、本会議。決算認定議案などの採決。可決。


終了後に携帯に着信履歴あり。折り返すと母が昼頃息を引き取ったと。落涙。私の声を電話越しに母に聞かせてくれた。


様々なことがが去来する…。

網干の魚吹八幡神社の本宮!!

平日にも関わらず大変な人出でした!

今年もいいお祭りを見せていただきました!!











































昼食はこのしろ寿司!



週末に雨天延期になった書写認定こども園の運動会でした!


昨日も午後は少し雨が降ったりしましたが午前中はもちました!!子どもたちは竹馬にかけっこに元気に頑張っていましたね!


















播州の秋祭りもいよいよ佳境に差し掛かってきましたね。


曜日に関係なく10月21、22日に行われるのが魚吹八幡神社の秋祭り。昨年に続いて茶屋屋台の出立ち式に来ました!!






















荒川神社の秋祭り、別名「小芋祭り」にきました!!昼間は拝殿の横の席から、各村の屋台の差し上げを。夕刻は練り場で!最後は六台練りで最高潮!!


夜は少し冷えてきましたが、サンテレビさんのカメラと一緒に中継席からみていましたが、屋台が近くに来るとかき手から来る熱気が本当に温かいんですよ。驚きました!!!



夜は少し冷え込んでまして、実際寒いほどだったんですが、この熱気には驚きました!!


時系列


擬宝珠を外さないと拝殿内に入りません












拝殿内での差し上げ



最後に神輿が上がります

お昼には名物の「このしろ」寿司をいただきました!!酢で締めるところから自家製。これもこの季節の名物ですね!ごちそうさまでした!