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キューブラー・ロス著『死ぬ瞬間』
【9】第四段階 抑鬱
【10】第五段階 受容
【11】希望
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【9】第四段階 抑鬱
▼抑鬱
◎主な条件
・もはや病気を否認できなくなる
・二度三度の手術、あるいは入院加療を受けねばならなくなる
・いくつかの症候が現れ、衰弱が加わってくる
※もはや病気を微笑で片付けることが出来なくなる
⇒感情喪失、泰然自若、憤怒など
⇒大きな「喪失感」に取って代わる
◎喪失
例:乳ガンの女性、子宮ガンの女性
⇒容姿の喪失、自身がもはや女性ではないという感覚
⇒ショックや狼狽 →深刻な抑鬱
*それらは、多くの喪失のほんの一部にすぎない
◎経済的負担の重圧
・集中治療と入院費用は莫大な額
⇒唯一の持ち物すら手放さなければならなくなることも
⇒ささやかな贅沢も出来ない
*多くの夢が実現不可能になる
(例)
・老後のための家屋を維持できない
・子どもを大学へ通わせることが出来ない
・欠勤が続いて職を失う
・父親が患者:母親が稼がなければならない →子どもは世話を奪われる
・母親が患者:幼い子らは他所へ預けなければならない →両親の嘆きと罪責感が加わる
◎末期患者
・世界との決別を覚悟するため、準備的悲嘆を経験しなければならない
⇒抑鬱の原因を探り出すこと
⇒非現実的な罪責感や羞恥感を幾分でも軽くしてあげること
※さして難しい技術を必要としない
(例)もはや女性ではないと悩む人
・他の女性的な特徴を褒め、手術前と変わらず、立派な女性であると自信をつける
・乳房人工補装術:乳ガン患者の自尊心をかなり取り戻した
・夫 ←患者の自信を支える協力を求める
(例)被扶養者を抱える患者
・牧師とソーシャルワーカーは、家庭の作り直しに大きな力となれる
⇒重大問題が処理されると、患者の沈んだ気分はいっぺんに明るくなる
▼2つの型の抑鬱
(1) 『反応抑鬱』
・過去の喪失を思い悩むことから生じる(主に病気治療による喪失)
・この型の患者は、他者と分け持たなければならぬものが非常に多い
・各種の医療関係者側からの頻繁な話しかけ、積極的な干渉が必要
◎悲しみに沈む人:
*「反応抑鬱」に有効なアプローチ
①気を引き立てる
②物事をそう暗く絶望的に見ないように話す
③生の明るい側を、積極的な事物をみるように勧める
※支援する側のニードでもある
⇒長期にわたり、悩み打ち沈んだ顔を見るのに耐えられない
(例)病気の母親:
・子どもが今まで通り、近所で元気に遊び、冗談を飛ばし、パーティーに出掛け、
学校から良い報告を受けている、と教えられること
⇒大きな力づけとなり、気持ちを奮い立たせる
(2) 『準備抑鬱』
・差し迫った喪失を思い悩むことから生じる
・通常は「反応抑鬱」よりも静かな抑鬱
・言葉はほとんど、あるいは全く必要としない
⇒手を握る、髪を撫でる、ただ黙ってそばに座る、ただそれだけの方が望ましい
⇒祈りを求めることが多い
⇒励まそうとする過度の干渉態度は、情動的準備を妨げる場合が多い
*後に残す物事よりも、眼前に迫る物事への関心に集中し始める
◎愛の対象全てを喪失すること、死を受容可能にすること
★抑鬱がそのための防衛規制として働いている場合
・励ましや力づけはあまり役に立たない
・物事の明るい半面を見なさい、と言ってはならない
⇒『迫り来る死のことを考えるな』と言うに等しい
◎愛する一切の事物、一切の人々を失おうとしている患者
・限りなく悲しいのが人情
・「悲しむな」と言うのは、むしろ禁忌となる
★その悲しみの表現を許してこそ、最終的な受容をはるかに受け入れやすくなる
⇒「悲しむな」としつこく言わず、ただ黙ってそばにいてくれる人たちに、患者は感謝する
★患者の願望と準備 ⇔ 周囲の万一の期待と努力
⇒相反する思いが、患者に深刻な悲しみと動揺を与える
◎専門職業のメンバー
・食い違い、抗争(葛藤、矛盾)とをハッキリと認識できる
・その認識を家族に伝えて共感を得ること
⇒患者と家族の大きな救いとなる
◎苦悩と不安を苦しみながら耐え抜いた患者
⇒受容と平和の段階へ至ることが出来る
⇒このハッキリとした確信を、家族に伝えて共感を得られるなら
患者は多くの不要な懊悩に苦しまずに済む
【10】第五段階 受容
▼受容
◎末期患者
・最期までに十分な時間がある
・若干の助けを得ながら、前述のいくつかの段階を通りぬけた
⇒自身の“運命”に抑鬱もなく怒りも覚えない、とある段階に達する
◎感情の表出
・生きている人、健康な人に対する「羨望」
・自分の最期にそれほど早く直面しない人々に対する「怒り」
・周囲の意味深い人々や場所などを、もうすぐ全て失う「嘆き」と「悲しみ」
などを表出し尽くし終えた
◎静かな期待を持って、近づく自身の終演を見詰めることが可能な状態
・ほとんどの場合、衰弱しきっている
・ウトウトとまどろむ必要がある
⇒短く間隔をおいて、頻繁に眠らなければならない
⇒新生児の眠りにも似た、だが逆方向の眠り
⇒この眠りの時間を、次第に延長していく必要がある
*この段階の「眠り」は、闘争の終期の始まりを意味する
⇒睡眠欲求でもない
⇒回避の睡眠でもない
⇒痛みやかゆみ、不快さなどを忘れるための休息期の睡眠でもない
⇒諦念の絶望的な放棄の眠りでもない
★「受容」を幸福の段階と誤認してはならない
・ほとんどの感情がなくなる
⇒病みは去り、闘争は終わり、“長い旅の前の最後の休息”のときが訪れる
◎周りの家族
・患者よりも、大きな助けと理解、支えを必要とする
▼平和と受容の段階にある末期患者
・関心の環は縮まり、そっと一人きりにされたいと望む
・少なくとも、外部世界のニュースや問題で心を掻き立てられないことを願う
・多くの場合、訪問者は喜ばれない、患者は話す気分を失くしている
⇒しばしば、訪問者数の制限を訴え、訪問時間の短縮を望む
◎コミュニケーションは言葉ではなく、言外にある
⇒少し手を動かし、しばらく掛けなさい、と招く
⇒ただ私たちの手を握り、黙って座っていて欲しい、と望む
⇒沈黙の時間こそが、有意義なコミュニケーションとなりうる
(死にゆく人の前にいても、不快感を覚えない人にとって)
◎私たちがそばにいるということ
・患者は、最期のときまで、私たちが身近にいてくれるとの確信を持つ
・患者は自ずと理解する
⇒もう重要なことは全て始末され、もう何も話さないでもいいこと
⇒患者が永久に眼を閉じるのは、ただ時間の問題であること
⇒患者がもはや話さなくとも、独りぼっちではないこと
・わずかに伝わる手の圧力、表情、枕への寄りかかり
⇒そうしたボディランゲージは多くの騒がしい言葉よりも雄弁である
◎そのような邂逅は夕刻が一番適している
*邂逅··· 巡り会い。思いがけず出会うこと。
・訪問者にとっても、患者にとっても、1日の終わりのときだから
⇒短い孤独の一刻を愉しむことの出来る時間帯
⇒検温もなく、清掃員も来ない、医師の巡回は終わり、誰にも煩わされない
★成すべき術がなくなっても、まだ忘れられてはいないと知る
・患者:心慰むものがある
・訪問者:死ぬことは、それを見るのを避けたがるような恐怖に満ちたもの
ではないことが分かり、よい経験となるだろう
◎最後まで戦い、希望を保とうとあがく患者
⇒受容段階に達することが、ほとんど出来ない
⇒それでも、やがて戦いをやめる日が来る「私はもうこれ以上頑張れない」と
⇒不可避の死を、回避したいと闘えば闘うほど、否認しようとすればするほど、
平安と威厳に満ちた受容の最終段階に到達するのが困難となる
◎家族や看護スタッフ
・あがく患者を、タフで強いと見るかもしれない
・最後まで、生の戦いへと患者を励ますかもしれない
・暗に「末期の受容」を「弱虫の放棄」とみなし、家族への裏切りや拒絶とみなす考えを
患者に吹き込むかもしれない
▼2つの段階の識別
①医師の努力に加え、患者に戦う意志があれば、まだ延命のチャンスがあると感じられる場合
⇒患者が「早すぎる放棄」をしていると、私たちはどのように知ることが出来るのか?
②「延命させたい」という私たちの願望が、あとは休んで「平安のうちに死にたい」という
患者の希望と矛盾するかに見える場合
⇒それが「受容段階」なのか「早すぎる放棄」なのか、どのようにして識別できるのか?
★この2つの段階を識別できないとき
・我々の行為は、患者に善いことよりもむしろ、害を与えていることとなる
・患者の死を、苦痛に満ちた最後の経験としてしまう
・病院スタッフの努力は挫折となる
▼“終焉的ナルシシズム”
◎患者のそばに黙って座っていてくれる人
・その前で自分の怒りを表現し、準備的悲嘆の中で泣き、恐怖と空想とを表白するように
励まされた患者
⇒最もよく死の受容へ到達する
◎漸進的デカセクシス
・・・周囲対象からの執心の引き離し
※デカセクシス··· 精神エネルギーを対象物から引き離すこと
・この受容段階へ到達するためには、凄まじいタスクを通過しなければならない
★十分な認識が必要
・主に2つのパターンがある
①周囲環境からの助けをほとんど借りずに到達
・最低限、沈黙の理解や無干渉という周囲の助けが必要となる
(例)中老年の患者:
・一生涯を働いてきて苦労を積み重ねた
・自分の責務の全てを成し遂げた
・一生を振り返って、そこに意味を見出し、充足感を得ている
*今や、人生の終着駅に差し掛かっている、と感じている
②死への十分な準備時間を与えられることで到達
・それほど幸運な患者ではない
・周囲環境からの助けと理解を、①よりも多く必要とする
⇒①と同じような心身状態へ達する
*私たちの患者のほとんど全員が、恐怖と絶望のない存在(人間)として、
受容段階に到達したのをみてきた
★乳幼児の心身状態にも似た状態と言える
【ベッテルハイムの言葉】
『それは実に、我々からは何ものも求められず、我々の欲求するもの全てが与えられた時期
であった。精神分析学は、乳幼児期を受動性の時期、我々が自己を全能として経験する
“原始的ナルシシズム”の時代と見る。』
★死の受容段階とは、“終焉的ナルシシズム”と言える
【11】希望
▼防衛機制
・悲劇的な知らせを受けてから経過する段階
⇒諸段階が持続する期間は一定しない
⇒段階は時に交替し、時に相並んで併存する
・通例、諸段階を通して、常時維持される一つの流れは「希望」である。
【例】
テレツェンの強制収容所バラックL318号、L417号の子ども達
・15歳未満の1万5千人が収容され、生きて出たのはわずか100人ほどだった。
・彼らは最後まで、希望の灯はともし続けた。
◎「太陽が黄金のヴェールを作った」(1944年、作者不明、陽のある夕べに)
ああなんて美しいんだ、俺の体が痛いほどだ
上で天が青さでキシキシいってる
俺、確かに笑ったぞ、何かのはずみだけど。
世界は花がいっぱい、微笑んでるみたい。
俺は翔びたい、だがどこへだ、どこまで高くだ?
有刺鉄線のなかでも ものはみんな花を咲かせられる。
なぜ俺にそれができぬ? 俺は死にやしないぞ!
▼末期患者たちの対話から
・受容的な患者も、現実直視的な患者も、何かしらの治療法の可能性を諦めていない
*「一縷の希望」にすがって、病苦を耐え抜いている
(例)新薬の開発、研究プロジェクトの成功
・苦しみを耐え続けること
⇒何かしらの意味を帯びてくるに違いない
⇒苦しみも最終的には報いられるのだろう
との気持ちが患者たちを支えている
◎希望
・『この苦しみの全ては夢魔なのだ、真実ではないのだ』
⇒患者の心の中へ忍び寄る
・ある朝目覚めると、
⇒医師が有望な新薬を持って現れるかもしれない
⇒自分が特殊な患者として選ばれるかもしれない
◎万が一の希望
・特殊使命の感覚を与える
・気力を維持させる
・すでに耐えがたい限界へ達していても、さらなるテストにも耐えさせる
★時に、それは苦しみの合理化
★時に、それは否認の一形式
◎私たちの患者全員
・微量の希望を持ち続け、特に辛い時期を、希望により励まされていた
・現実的な希望にしろ、そうでないにしろ、希望を持たせてくれる医師は最大限信頼された
・悪い知らせに囲まれても、そこに一つの希望が示されれば患者は感謝の念を抱いた
*医師は患者に嘘をつかなければならない、ということではない
*医師が患者と希望を分け持つ、という意味である
⇒何か不測の良い事態が起こるかもしれない
⇒病気の軽快があるかもしれない
⇒寿命が案外延びるかもしれない
◎希望を口にしなくなった患者
・通常、死が近づいていることの徴候とみられる
「ドクター、私もう十分に苦しみました」
「もうこの辺だと思います」
「私、これが奇蹟だと思います。今はもう恐怖さえなくなりました。」
⇒こうした言葉を口にしたあと、24時間以内に亡くなる患者が多い
*絶望からではなく、最終受容の段階を経て希望を棄てたとき
⇒希望を強化する措置は必要ない
▼医師が放棄すれば、患者は自己放棄する
◎希望に関連した「抗争と葛藤」の原因
①患者にまだ希望が必要なときに、希望が絶たれたと伝えられた場合
②患者家族が患者の最終段階を受容できない場合
⇒患者自身が既に死を準備しているときに、家族が希望へしがみつく
◎疑似末期症候群
・医師に見放され、その後、適当な治療を与えられ、再入院となった患者
⇒病院外で現在利用できるあらゆる療法を試みて回復
⇒“奇蹟”、“命拾い”、“思いもかけぬおまけの寿命”などと考えるだろう
・バートランド・M・ベル博士著「疑似末期患者の恢復」
①各々の患者にできる限りの最も効果的な治療チャンスを与えるべき
②いかなる重病患者をも末期患者とみて治療放棄すべきではない
と主張した
★末期患者であろうとなかろうと、いかなる患者に対して“放棄”すべきでない
・医学的手段を越えた患者も、必ず看護を必要とする
⇒放棄すれば、患者もまた自己放棄する
⇒「もう一度頑張ろう」という気構えも意欲も失ってしまう
⇒その後のあらゆる医学手段も手遅れとなるだろう
「私の知る限り、お助けできるあらゆる手段は尽くしましたが、なお、
あなたの不快な気持ちを軽減する、出来るだけの手段は続けます」
★このように話すことが極めて重要である
⇒患者は一縷の希望を持ち続け、最後まで手を尽くす医師に感謝の念を抱く
◎私たちが出会った患者
・半数は退院して、家へ帰るか、施設療養院へ行った
⇒その後、何らかの形で再入院した
・退院前、自分の悩みや心配事を他者に話す希望すらも棄てている患者
⇒孤立化し、放棄されたという感覚を持っていた
⇒重要な決定に際し、患者自身の意志を述べる機会さえ与えられなかった
⇒体よく軽くあしらわれ、騙されていると感じる患者が多かった
・その全員が、私たちと面会してよかったと述懐した
⇒病気の重さへの気がかり、万一の希望を分かちあえた
⇒「死と死ぬこと」について話したことを、尚早とか、禁忌とか考えていなかった
・多くの患者が、退院前に関心事を整理し終えたから気持ちよく家へ帰れると話した
・数人の患者は、家へ帰る前に、共に家族たちに面会して欲しいと私たちに願い出た
⇒「無理してつけてきた仮面」を落とし、最後の時間を家族と共に楽しく過ごしたいと
▼患者のニーズに同調すべきである
・赤ちゃんが産まれることを、何の躊躇もなく話せるように
⇒「死と死ぬこと」を当たり前に話せるようになれば
この話題をある患者に今持ち出すべきか、最終受容まで待つべきかの吟味は不要となる
◎最終受容
・我々は全知ではないから、最終受容か否かが分からないときもある
・私たち自身の問題回避の合理化により、最終受容の判断を誤ることもあり得る
◎強度に気力をなくし、病的にまでコミュニケーションを拒否した患者
⇒私たちと病気の末期段階について話すと、気分が回復した患者が幾人かいた
⇒そのうち数人は、医療スタッフをも驚かすほどよくなり、再度退院した
★時間とタイミングを図り、座って耳を傾け、問題を分けもつことが重要
⇒「問題を避けることの方がはるかに有害だ」と私は確信している
【タイミング】
・心にかかっていることを話したいか、陽気なことを考えたいか
★私たち同様、患者にもその時々の気分がある
・患者が話したい気持ちのとき、私たちがいくらでも時間を割けると患者が感じたとき
⇒ほとんどの患者は話し出す
⇒その関心を他者と分かち合いたいと考える
⇒解放感と希望をもって反応する
◎末期患者のコミュニケーション意欲(本書が伝えたいこと)
★患者家族や病院スタッフが、もっと敏感になることが必要
⇒患者と家族を助け、それぞれ相手側のニーズに同調する
⇒不可避の現実を一緒に受容できるように仕向ける
★死にゆく人の不必要な懊悩や痛苦を避けさせることが出来る
★残される家族の苦しみは、患者の場合よりもさらに一層軽減できる