キューブラー・ロス著『死ぬ瞬間』③ | 武狼太のブログ

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大学の通信教育過程で心理学を学んでおり、教科書やスクーリングから学んだことをメインに更新しています。忙しくて書けなかった、過去の科目についても遡って更新中です。

→リンク:死ぬ瞬間① ページへ

 

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キューブラー・ロス著『死ぬ瞬間』

 

【4】「死と死ぬこと」セミナーへの反応

 ■1■「死と死ぬこと」の各科統合セミナー
 ■2■医師の反応

 ■3■看護師の反応

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【4】「死と死ぬこと」セミナーへの反応

■1■「死と死ぬこと」の各科統合セミナー

▼調査プロジェクト:「人生における危機」

  ◎発端

    ・1965年秋:シカゴ神学校 神学生4人から援助を求められる

  ◎方法

    ・末期患者に教師を依頼

      ⇒重篤患者と接触し、その反応とニーズを調べ、ギリギリまでその内面に近づく

    ・著者がインタビューし、学生らが脇で観察する

      ⇒終了後、私達自身と患者の反応について討論する

    ・開かれた心で臨み、患者と私達自身の内面に生じたものだけを記録する

  ◎期待

    ・末期患者の感情とニーズを満足させる支援が可能となるかもしれない

    ・様々な末期患者と数多く対面すること

      ⇒怖気づいた学生の過敏性を治すことが出来るだろう

  ◎問題点

    ・著者の人柄や仕事ぶりが、勤めて間もない病院で知られていない

    ・患者が精神的外傷を受けない、とは言い切れない

    ・患者が知らない病気の重大さを学生たちが伝えてしまうかもしれない

 

▼医師はみな反対した

  ★「死と死ぬこと」を語らねばならないとき、極めて自己防衛的となった

  ・病気が重い、体力が弱っている、話し好きではない、と患者を守ろうとした

  ・「そんなプロジェクトには参加できない」と邪険に断った

  ・「考えてみましょう」と体よく断った

 

▼最初の患者

  ◎最も痛ましい教訓: 「明日では遅すぎる」

    ・その患者は、話したくてたまらない様子で私を歓迎した

    ・ようやく得られた機会を学生と共有するため、明日来ることを約束して別れた

      ⇒翌日、患者の容体が急変し、「努めて下さってありがとう」と囁き、その日に亡くなった

    ★末期患者が「どうぞおかけください」と言ったとき、明日では遅すぎる

 

▼インタビューの手続き

  ◎準備

    ・対話をテープに録音する許可を求める

    ・面会時間は、患者の意志にまかせる

    ・面会場所は、病室ではなく、面会室で行う(参加者数:4~55人)

      ⇒面会室は、マジックミラーで仕切り、学生らの様子は患者から見えない

    ・患者に目的を具体的に述べる

      ⇒各科統合セミナーがあること

      ⇒病が重く死に臨んでいる患者から学びたいと、皆が熱心に願っていること

    ★患者が不快や怒りを吐き出し、その苦痛を訴えてきたとき

      ⇒その訴えこそが知りたいことだから、皆の前で話してくれないかと懇願した

  ◎面会

    ・患者の承諾と医師の許可を得たのち、患者だけを面会室へ連れていく

      ⇒近親は同席させない(患者との面会後に近親と面会することはある)

    ・面会室へ移動中、再度、患者に目的を告げる

      ⇒患者自身の意志でインタビューをいつでも止められることを強調する

    ・原則: 参加者は患者の経歴について予備知識を持たない

    ・インタビューは、一般的な話題から始まり、次第に個人的な関心事へ移っていく

  ◎討論会

    ・インタビュー終了後、患者が帰ったのち、続けて面会室で討論会を行う

    ・私達自身に生じた反応に、徹底的にスポットを当て、それぞれの反応を論じ合う

    ・患者に対するインタビューやアプローチの内容について議論する

    ・患者の強みと弱みを考察し、私達の長所と短所を反省する

    ★患者の最後の幾日か幾週間を、よりよくできるアプローチを勧告して終わる

    ★私達自身の反応や恐怖、イメージを率直に述べ、互いにそれを受け入れた

 

▼インタビューの変遷

  ◎特徴

  ・インタビュー中に死亡した患者は、1人もいなかった

  ・インタビュー後の生存期間は、12時間から数ヶ月間

  ・インタビュー後、退院して家に戻り、元気になった者もいた

      ⇒臨死患者ではない患者と、死について語る場合もあった

    ★患者の多くと「死ぬこと」について語った

      ⇒臨死患者には「死」こそ、まさに直面しなければならない最大の問題

  ◎2年後

    ・セミナーは、医学校と神学校の教育科目となった

      ⇒1つの教育アプローチとして、広く知られるようになった

    ・当初は、医師の許可を得て患者に会うまで1週間かかった

      ⇒患者探しが不要となった

    ・毎週50人が出席し、病院職員が非公式に参集した

      訪問医師、看護師、看護助手、ソーシャルワーカー、聖職者、作業療法士など

    ・患者のニーズと看護問題の全体を、あらゆる角度から討論

      ⇒世界でも数少ないクラスの一つとなった

    ★患者に対する自分達の反応とイメージについて、参加者は自由に発言

      ⇒種々の動機づけ、結果としての行動など、何ものかを学んでいく

  ◎理論研究会として

    ・理論は、哲学的、道徳的、倫理的、宗教的な諸問題を取り扱った

    ・履修した学生は、「死と死ぬこと」について、広汎かつ多岐にわたる論文を作成した

  ◎集団精神療法として

    ・同年輩の患者に対し、自己同一視を始める学生もいた

    ・グループ全員が互いをよく知り、何を言ってもタブーとされない雰囲気を形成

      ⇒多くの率直な対決や相互支援があり、時には痛ましい発見や洞察も得られた

    ★様々な学生に、大きなインパクトと半永久的な影響を与えた

      ⇒患者たちのほとんどは気づいていない

 

▼2人の存在と著書の影響

  ①シシリー・ソンダース(1918-2005):

    ・著書「死にゆく人々の看護」「死と責任/ある医療管理者の意見」など

    ・死が近い患者の全面看護(トータルケア)で有名な医師の一人

    ・看護師から医師となり、末期患者のためのホスピスに勤める

    ・「患者の大多数は宣告されると否とに関わらず、迫りくる死を知っている」

    ・「自身が否認を必要としなければ、患者との対話で大きな否認にあうことはまずない」

    ・関わるスタッフは、死について深思する機会を持つことが重要

      ⇒病院の通常の目的や活動とは異なる領域の仕事に、満足を見出すことが重要

      ⇒言葉よりもその態度で、患者をよりよく助けることが出来る

  ②ヒントン(J.M.Hinton):

    ・論文「死に直面すること」

    ・末期患者の示す洞察と自覚、死に直面するときの勇気に感嘆

      ⇒末期患者の死はほぼ常に静かにやってくる

 

 

■2■医師の反応

  ◎死に直面し得る医師

    ①極めて若い医師グループ

      ・医学経験が浅い医師

      ・近親の死を経験し、その悲しみを清算した医師

      ・数ヵ月間、「死と死ぬこと」セミナーに出席した医師

    ②より年配の医師グループ

      ・一世代前、死への防衛規制と婉曲語法の使用が少ない環境に育った医師

        ⇒現実に死に対面する機会が多かった

      ・末期患者の看護に訓練を積んできた医師

      ・古い人道主義の学校で教育を受け、より科学化した医学界で成功した医師

      ・全ての希望を奪うことなく、病気の重大さを告げられる医師

        ⇒彼らの患者は滅多に助けを求めることがなく、接触は少なかった

      *人数は少ないが、私たちに協力的だった

 

  ◎死に直面し得ない医師

    ・患者との面会の許可を求めると、10人のうち9人までが不快、困惑、敵意を示した

      ⇒転移効果 …特定の対象に向けられた怒り等の感情を、他の対象に向けること

    ・セミナー開始直後:

      *凄まじい否認欲求

      ⇒憤然と腹を立て、病棟に末期患者は一人もいないと拒絶した

      ⇒致命的な患者で口のきける者など一人もいないと断った

      ⇒患者の肉体的衰弱や精神的不安定を理由に断った

    ・最終的には、特別な好意として、その多くがインタビューを許した

      ⇒徐々に変化し、ついには彼らの方から依頼をするようになった

    ・始めは参加を極度に渋り、徐々に積極的に身を入れる、というのが通例

  ◎医師たちの心構え

    ・セミナーへの出席には勇気を要し、屈辱に耐える心構えも必要

      ⇒通常タブーとされる死の話題を語ることに抵抗がある

      ⇒病院スタッフたちの率直な意見から、自分がどう見られているかを知ることになる

    ・知ることを恐れる医師は、セミナーに参加したがらない

  ◎第一歩が難しい

    ・3年間で200回以上のインタビューを実施

      ⇒海外からは多くの医師がセミナーに参加した

      ⇒著者の属する大学からは、わずか2人の医学部メンバーのみが参加した

    *他人の管理下にある患者が対象の場合

      ⇒死と死ぬことについて語るのが、比較的容易なのかもしれない

 

  ◎「死と死ぬこと」セミナーに参加した医師

    ・患者からいかに多くのことを学べるか

    ・スタッフたちの意見や観察がどれだけ有益なものか

    ⇒それらを知って一驚し、教育経験として高く評価するようになる

 

 

■3■看護師の反応

  ◎医師よりも、その反応はさらに多く分かれた

    ・活動当初、患者とのインタビューへの許可を得ることが不可能だった

      ⇒初めて会うとき、医師と同様に怒りを見せた

      ⇒ある看護師:

          「あなたは若い患者に、あと2週間しか寿命がないなどと告げて嬉しいのか」

          と憤慨して説明するのも待たずに走り去った

    ・2つのグループに大別

      ①私たちをハゲタカと呼び、病棟へは一歩も近づけまいとする

      ②私たちを安堵と期待とで迎えてくれる

 

  ▽グループ②

    ★幾人かの医師に対する憤懣や怒りを持っていた

    ・患者にその病気の重大さを伝える、その告げ方と態度に

    ・末期患者を回診で全く素通りにし、大切な問題を回避する姿に

    ・何かをしていることを証明するためだけに、不必要な検査を命じることに

    ・患者が死に直面して無力感に打ちのめされたとき、医師も同様の感情を見せることに

   ・施すすべなしと認めることのできない医師たちの弱さに

 

  ◎看護師の特徴

    ・患者から逃げ回れる医師よりも、患者やその家族への感情移入が大きい

      ⇒患者やその家族が受けている、不快と不便と無秩序が無性に気にかかる

    ・患者の不満の矢面に立たされることで、自身の権力と能力の限界を感じやすい

      ⇒かかるストレスが増大しやすく、医師よりも率直に内部葛藤を自認してゆく

    ★この領域における教育と訓練の乏しさを自覚すると、自ら進んでセミナーに出席した

    ・看護師の態度は、医師よりも早く変化した

      ⇒率直さと正直さとが貴ばれると知ると、躊躇なくセミナーで発言した

  ◎看護師の発言

    ・評価や審査に無関係と知ると、内心の苦悩、気がかり、葛藤、防衛機制などを吐き出した

      ⇒患者の情況における、内的抗争や葛藤の理解に役立った

    ・患者からどう見られているか、率直に聴く勇気のある医師を支持した

      ⇒医師が自己防衛的になるや否や、それを指摘する能力を身に付けた

      ⇒自分自身の自己防衛を反省するようになった

  ◎看護師の多大な貢献

    ・病棟では、看護師達が著者たちの仕事を担うようになった

      ⇒末期患者がその未来について質問しても、快く応じられる

      ⇒末期患者に時間をかけることを嫌がらない

    ・著者たちのところに来て、悩み事を快く話し合っていく

      ⇒特に悩みの深刻な患者や難しい人間関係について助言を求めた

      ⇒時に、患者の家族・親戚を私たちのところへ連れてくる

    ・看護師ミーティングを組織

      ⇒トータルケア(完全看護)に関わる諸種の側面を検討

 

  ◎看護師ミーティング

    目的: 末期患者の看護についての問題点の理解

    意見:

      ・「人員不足の中、末期患者に時間を費やすことは無駄」

      ・「もはや助けられない人々に貴重な時間を割くことは無駄で、全くのナンセンス」

      ・「患者たちが、私に面当てみたいに死んでいくときは胸くそが悪い」

      ・「他に沢山家族が来ているのに、患者が私を見ながら死んでいった」

      ・「私が枕を動かした直後に死んでいったとき、腹が立った」

      ★当初、大多数が「看取り」という仕事に嫌悪を示した

      ・「死にかかった患者もまた、看護を必要としているのだと思う」

      ・「大したことは出来なくても、少なくとも肉体的に快くすることはできるのでは」

      ★12人中1人、若い看護師が勇気をもって発言した

 

  ◎患者が目の前で死んでいく

    ⇒まるで看護師へ投げつけられた怒りの行為である (←看護師が憤懣を表出)

    ⇒次第に、その憤懣の原因を理解するに至った

    ★看護と世話を必要とする悩める同胞として、末期患者に反応するようになった