中編小説「オレンジ」4 | ひまわりノート

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 父が、頭を下げた。

「こんなはずじゃなかったんだ。」

そう言って、うな垂れていた。

夕月は、なんだかドラマを見ているよな錯覚に陥り、ぼんやりとそんな父の右手を見ていた。

皮膚にうっすらと血が滲んでいる。

「怪我してるの?」

夕月がそう聞くと、父は何の事だか分からないと言った顔をした。

「手、血が出てるから。」

夕月は立ち上がると、救急箱を手に、戻って来た。

「あいつらとちょっと揉めただけだ。大したことない。」

父はようやく、その傷に気付いたようで、小さく笑った。

夕月は、溜め息を吐くと、

「お父さんが今更どうあがいたって、状況は変わらないんだから。」

と言って、父の手に消毒液を垂らした。

父は何も言わず、痛みのせいなのか、顔を歪ませただけだった。

夕月は無言で絆創膏を貼ると、

「はい。出来た。」

と言って笑った。

「心配しないで。一年だけでしょ?平気よ。そのくらい。こう見えても、私、実は結構経験もあるし、そう言うの、そんなに深く考えないタイプだから。」

夕月が明るく振る舞えば振舞うほど、父は俯き、苦しそうな顔をした。

「お前、母さんのとこに行け。」

父が小さな声でそう呟いた。

「事情を説明すれば、分かってくれるだろう。」

父の言葉に、夕月は目を見開いた。

「嫌だ!それは絶対に嫌だからね!お母さんの所にはいかないよ。それに、私がいなかったら、お父さん、どうするの?そんな借金、返せないじゃない。」

夕月は母を恨んでいた。

朝陽を連れて、自分だけ置いて行った事を。

生活能力のない父親に自分を託した事を。

捨てられたんだと思っていた。

でも、殻に閉じこもりそうな夕月に、父は優しかった。

離婚する前より、ずっと優しかった。

お金はなかったけれど、ギャンブル好きも相変わらずだったけれど。

仕事もきちんとしていたし、生活費には手を付けないでくれていた。

それに何より、

「ごめんな。夕月も母さんの所に行きたかったよな。でも、お前だけは、手放したくなかったんだよ。」

と、言ってくれた事が、嬉しかった。

必要とされているのだと、実感出来た。

しかし、幸せは長く続かないものだ。

父がギャンブルで大きな借金を作ってしまった。

かつて、ない程の金額だ。

何故、そんな事に手を出したのか分からないが、とても払える額ではない。

父は何とかしようと思い、隠していたようだけれど、夕月が知るまでに、そう時間は掛からなかった。

借金の相手はまともな人間じゃなかったのだ。

 「一年、お嬢さんに坊ちゃんの相手をしていただければ、借金はチャラにさせて貰いますよ。」

あの男はそう言った。

笑顔がやけに穏やかに見えて、逆にそれが不気味だった。

「もし、承諾頂けないのでしたら、お父さんに払ってもらうしかないでうね。まともな暮らしはもう、出来ないと思いますが。」

立派な脅迫だった。

警察に行こうと思ったけれど、それを見透かしたように男は続けた。

「警察なんて無駄ですよ。うちの組は執念深い事で有名なのでね。それこそ、一生まともになんて暮せませんね。」

男はもう笑っていなかった。

「お父さんが命削るか、お嬢さんが魂売るか、どっちにするかって事ですね。まあ、私は経験上、後者をお勧めしますけれど。」

夕月は何も言わなかった。

呼吸が苦しくて、膝が震えるのを、何とか歯を食いしばって耐えた。

「明後日、また来ます。」

男はそう言って帰って行った。

先に口を開いたのは夕月だった。

「何で借金なんてしたの?」

声が震えたのは、怒りのせいだったのか、恐怖のせいだったのか、分からない。

「お父さんの馬鹿!」

夕月はそう呟くと、部屋を飛び出した。

夕月の前にはいつも二つの道がある。

でも、どちらもゴールでは不吉な女神が微笑んでいる。

それでもどちらか選ばなくてはならない。

それが、生きる事だからだ。