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28日(木)日本語教育指令

 初めて大きな決断を通した。3週間後日本に行くJFC、マイケル鈴木(23歳男)の日本語教育がはかどらず、語学学習法に多少自信がある私が意見を通した。リスクはあるが、自信はある。賭けである。

Japanese lessons


Basically Japanese lessons must be fun for everyone. Therefore we approached in many ways to teach for various aged students (6 to 22 years old). Singing Japanese songs, making origami (paper craft), playing hanafuda (Japanese playing card), writing hiragana, training basic conversation. I am mainly in charge of advanced class. In my opinion, small kids around 10 years old should just enjoy Japanese culture in the class. But for adults, I suggest they try to master Japanese as 2nd foreign language, a tool derive from their roots.


Michael (22 years old) attending JFC conference in Japan was need to speak Japanese there. He successes to finish my Japanese conversation lassons. My lesson are quite unique and hard that basically listening and speaking over and over without stopping along CD dialog for 1 hour everyday! Then he was getting used to Japanese conversation fluently. Former he studied with just looking over an old Grammar book and with almost no progress. But he grown to learn faster since he started my method.


 23歳のマイケルはそれまで英語で書かれた文法書で自習をしていたが、その本はひらがなも書いておらず、音声も聞けない、内容も文法の羅列でまるで辞書。。。我々としたら、和英辞書だけで英語を学べと言っているようなものだ。

 上司のリサは週に2度ほどの1時間の授業で日本語の会話を教えてほしいとのことだが、それで日本語で会話をマスターするなど不可能だ。

 私は自らの経験に基づき、CDブックの購入を勧めた(幸いにもケンが日本から日本語教育用で持参していた。外国人用の白水社のエクスプレス日本語である。)20課ダイアローグがあり、通常1年かけて学ぶテキストだが、私はこれを毎日1時間ずつやり20日ほどで日常会話をマスターする。

 私の手法は変わっている。練習問題、単語などは無視し、ひたすらダイアローグを聴くと同時にオウム返しでしゃべり続ける、慣れてきたらさらに同時に書く。これを120課まで5回、1時間やる。それだけでいい。ただし毎日欠かさず最低限これは続けてもらう。


 そんな一見無意味に見える手法を上司や、メンバーははじめ反対した。

しかし私は押し通し、マイケルは承諾した。しかも13時間は最低勉強すると約束した。


口で言うは易し、行うは難し。しかし必ず日本語を身につけさせてみせる。


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829日(土)Study Tour with Children(JFC: Japanese Filipino Children)

 土曜は子供が来る日で、横浜国立大学のスタディーツアーがもどって来る日でもある。そこで子供たちを中心に歓迎会が行われ、我々も交じった。


 ダンスやゲーム、発表を通じて子供たちと触れあう。言葉はまだまだ完全には通じないが、ゲームを通じて子供たちとの距離がぐっと縮まった。その笑顔を見るとJFCが抱えるいじめや片親といった問題を忘れさせてしまう。スタディーツアーの生徒たちも直で本人たちと触れ合い、より学習を深めたことだろう。


 午後は習字を教える。JFCは大半が日本の名前であり(マサミ、ケンジなど)、初めて漢字の自分の名を目の当たりにした感動があった。


 やがて劇団あけぼの(JFCと母親たちの広報劇、日本ツアーも5月にある)による劇のリハーサルがはじまった。劇は国際結婚とJFCを犬と鶴の結婚とそのハーフの子供で表現した内容であり、現実問題をとらえていた。劇は小学校のお遊戯などと考えていたが、とんでもない。その繊細で現実的な劇は完成度も高く、多くのボランティアの涙を生み出した。



また一つ、義務感が芽生えた気がした。

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830日、31(日、月)世界遺産、バナウェ棚田をめぐる

 月曜が、英雄の日という休日であったので、我々は29日~1日夜行バス行き、夜行バス帰りという34日(バス2泊)という英雄強行スケジュールを敢行した。

土曜も仕事があるので、遠出の観光のチャンスはこの2連休の今しかない! 

 簡単にハイライトでまとめる。今回はフィリピンはルソン島中央山岳部をめぐる。概して日本の長野に地理的によく似ていた。


1、夜行バス:エアコンが凍りつくほど寒くて寝られず、毛布を買う

2、町から町の移動:乗り合いジープにすし詰め、道は舗装されてなく、山道の起伏の揺れに頭を天井にぶつけ、酔い、そして吐く。長い時は3時間続く。時には雲の中を走る。

3、人:マニラと違いおおらかでのんびり、子供が無垢な笑顔を見せてくれる。観光地だがタイなどと違ってあまり騙そうとはしない。少数民族イフガオ族にも会う。この少数民族がすむ地に鉱物が眠っており、政治と民族の複雑な対立がある。

4、世界遺産、コルディラ棚田を有する町バナウェ:山頂から見下ろす山間に何十段にもなる複雑に形成された棚田を前にし、技術力の高さに肝を抜かれる。この棚田は2000年以上の歴史があるという。また、山間を歩き田んぼの間を行き、農家の子供や家族とあいさつを交わす。これ以上の楽しみはない。

5、日系人が多く住んでいた町サガダ:日本の田舎に帰ってきたような町、村であった。のどかな田園風景がそこにはあった。この町にはまだ日本の苗字が残っているという。さわやかな風を感じながら農村を眺める。日本やフィリピンに限らず、このような風景をいつまでも大事にしたい。


 この旅ではJFCのマイケルも同行し、通訳やガイドをしてもらった。その代わりに我々は絶えず日本語の簡単な会話を教え続けた。まさに日本とフィリピンの草の根交流となる

旅であった。
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DAWNで働き始めておよそ3週間、簡単に写真を作りましたので紹介します。


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寮の部屋の中です。12畳くらいの部屋に3人が寝ています。メンバーはプロ料理人と医大生とエリート。


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仕事風景です。ボランティアの日本人の二人がプレゼンのチェックや戸籍の翻訳をしています。

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スタディーツアーの大学生たちです。若い笑顔が印象的でした。彼らは貧困問題について日々

学んでいったそうです。

8月23日(日)週に一日しかない休日

 タガログ語をマスターすることに決めた。この国は、英語公用語国であるが英語の限界を感じている。香港やインドでも感じたことだが英語公用語といってもみんなが喋れるわけではない。ここ首都マニラに至っても英語がギリギリ通じる程度で住民のなまった英語を聞きとるのはきつい。テレビもタガログ語であるし、会社のスタッフ間の会話も当然そう。英語は我々との会話でしか使わないし、多少の違和感すら感じる。

 私は幸いにも語学への興味がある、タガログ語をマスターしよう!

 その他、フィリピンの歴史などを勉強する。この国は恐ろしいほど他国の影響を受けている。

1、古代のマレー人の侵入、純粋なフィリピンの先住民より人種はマレー系が多いとの説がある

2、中世のイスラムの侵入、マニラもイスラム王国となり、現在ミンダナオはイスラムが大半である

3、華僑の侵入、人種として混ざるだけでなく、経済界に深く侵入している

4、スペインの植民地化、建物、言語、衣食住に大きく影響を残し、カトリックを浸透させた

5、アメリカの植民地化と外交政策、英語教育、アメリカメディア、政治政策をもちい近代フィリピンを作り上げた

フィリピンにはさまざまな顔を見かける、中華系交じり、スペイン系交じり、、ハーフのように混血は概して顔立ちが良く芸能人にもよく見かけるが、これらも侵入民の男たちのレイプの結果に他ならない。

 ここまで来ると何がフィリピンなのかよくわからない、そもそも7000の島と80前後の言語=民族という個性をスペイン人フェリペに因ってフィリピンという名をつけて一つの国にしてしまったのだから。

 複雑だ、しかし、その複雑さがフィリピンなのかも知れない。運命を受け入れ、未来のために生きる。このフィリピンの歴史を目をそらさずしっかりと見つめなおし生きることで、フィリピンの多様性を皆が認め、我々が取り組む。JFCの子供たちもその個性としてフィリピンで輝ける一因になるはずである。

825日(火)フィリピンDAWNDevelopment Action for Woman Network)で働く

 仕事を始めて3日目。大まかに日常を紹介する。

仕事、内容:918時。戸籍の英訳、DAWNに関係する広報書類の和訳、日本語授業

寮:ひとつの大きな部屋にキッチン、リビング、ダイニング、寝室が4つ、シャワーが2つあり、10人ほどが共同生活をしている。大学生、英語教師、料理人などさまざまな人間が住む。エアコン、TV、扇風機もあり、快適。お手伝いさんが掃除やミネラルウォーターやお湯の補充に来る。

食、アフター6:食事は100円もあれば腹が膨れる。南国の島国とあって、魚や米、果物、酢醤油ベースのスープと日本に近い感覚がある。仕事の後は大型デパートで食事や買い物、映画、簡単な寮飲み、読書、勉強等をする。時々ルームメイトの料理人が料理をご馳走してくれる。

826日(水)DAWNジャパンスタディーツアー

 我々が働くDAWNの日本支部DAWNジャパンの代表でもあり、横浜国立大学の教授でもある小ヶ谷先生をはじめ大学生たち5人が日本から研修で訪れた。

 我々はDAWNのプレゼンテーションをする、日本語ができる私達が活躍できるチャンスである。同僚の日本人インターンのケンがプレゼンを務めた。生徒たちは熱心に聞き入っていた。

 生徒たちは興味津津で我々の活動や、シクハイ事業を見ていった。詳しくはDAWNのホームページを参照していただきたいが、我々はシクハイという主に裁縫活動を通じて衣類商品を作り女性の自立支援と広告活動をしている。

 

 彼らが少しでもこうした活動を肌で感じ、正しい認識を深めていただければと願う。

 また小ヶ谷先生は偉大である。実際こういう人権問題を学ぶ人は多いが、それを具体的かつ効果的な形でDAWNジャパン設立まで至らせたのだから。