924日(木)Maliit maligaya sa bahay日常の中の小さな幸せ

 嬉しいことが何点か起こる。

 母親に捨てられたJFCの一人の子の日本行きが決まる。彼は我々ボランティアに向かってこう言ってくれた。「Bespren!(ベストフレンド)だと。

 

 JFCの母親たちとは英語が通じにくいことからあまりしゃべる機会がなかった。日本の父親に捨てられた張本人であるのでどこかで猜疑心を抱かれているのかとボランティアの間で心配していることもあった。しかし最近は突然ノリがあってきてハイタッチをしながら笑い合うようになってきた。お互いの片言の日本語とタガログ語で。海外研修生には現地語を学ぶように努めさせたい。たとえインドや香港といった英語公用語国でもだ。

 スタッフとJFCの会話に交じる、タガログ語であるが、限定的な会話の中では中年女性の会話ほど聞きとりやすいことはない。80%は理解できたか。タガログマスターの日も近い!

927日(日)Madaming ulan at baha!! マニラ大洪水。

 昨日土曜日は私の最後のJFC達との触れ合いとなり、感動的なラストを迎える。。。はずであったが。台風の接近により、JFCと母親たちは誰も来なかった。。。なんとも悲しいかな。ここでも一期一会の教訓が生かされる。その瞬間瞬間を大事にせよと。現在日曜の午前10時、洪水で何もできない、停電でもあるが、バッテリーがもつまで日記と旅行記を記すつもりだ。

 昨日は昼食後、大雨洪水警報が発令され、緊急帰宅となった。今思えば、判断が遅すぎたと思う、最大で膝まで洪水で浸ってしまった。ただ、その日は朝から停電で、洪水など良く起こるようなマニラでは特別誰も警戒しなかったのだ。しかし、台風接近とわかると事態は一変した。緊急帰宅となった。私は午後から遊べるとたかをくくっていた、スタッフにデパートは開いているか?と聞き、呆気にとられたほどだ。しかしその妄想は、階段で1階に降りた瞬間崩れた。。。1階がプールになっている。。。。!

 大風が吹き、雨も降り、道は川になっていた。車など一台も走っていない。事の重大さにやっと気付いた。あわてて靴を脱ぎ、靴下のまま冷たい洪水に足を浸した。私やボランティアのユウジは余裕をかまし写真を撮っていた。私は徒歩1分と大分恵まれていたが、彼らはタクシーかメトロを使わねばならなかった。どちらも正常に動くとは思えない。私はユウジに私の寮に避難するように言ったが、彼は大丈夫だと笑顔で返した。しかし、その3時間後、雨足は激しくなり、彼は熱をだし、それでもまだ洪水の中を歩き続けたという。

 ひざ下とカバンの一部が浸水し、あうやくPCが故障するところであった。夜、洪水は引くことを知らず、何日かにわたって食料との戦いになるのではと覚悟した。

 しかし翌日日曜日、教会のミサの合図とともに、空は晴れ、水はゆっくりとだが引いて行った。これは、神の奇蹟なのだろうか。

 その瞬間私はルームメイトの敬虔なキリスト教徒の言葉を思い出した。昨日彼と私はキリスト教と神道の考えをシェアしていたのだ。彼は完全に多神教を否定していたが。。。

彼はこう言った。キリストを信じる者だけが救われるのです。


さて、月曜日はいつも通り出勤するものの電気がない!というわけで早退。日本人ボランティアの文子先生とはここでお別れ、先生は長年小学校の教員をやっておられて2年早く引退し、世界を旅や留学で飛び回っている。実家は茨城県取手と私の故郷千葉に近い。先生、今度は茨城で会いましょう!

午後はキアポ地区をめぐる、混沌の市場に、大きなキアポ教会と相対するようにゴールデンモスクが建っていた。フィリピンはイスラム教徒も500万人はいることを忘れてはならない。その後はイントラムロスをめぐる、サンチャゴ要塞を中心に教会や歴史地区を歩く。街並みはまるで古きスペイン、ヨーロッパに来たようだが、南国の木々を見てやはりフィリピンだとハッとさせられる。かつては白人とメスチソしか立ち入りを許されなかった地域。異様であった。

火曜日、電気が復旧し、インターネットに接続すると唖然。フィリピン台風200名死亡、40万人に影響、40年ぶりの大被害だという。日本のメディアにも大きく取り上げられたらしく、友人や家族から安否を確認するメールが届いていた。

912日(土)JFC日本会議

 日本でJFC会議が921日から行われる。日本で育ったJFCとフィリピンで育ったJFCが会う。本質的には全く同じ人間。しかし言葉が全く違う。タガログ語と日本語、英語が共通会話語となりうるだろうが、半分ずつ血が混ざっているのだ、自分のルーツを求めるためにもなるし、将来の仕事や活動、趣味にも生きるであろう。ぜひとも言葉は学んでほしい。

 そういった志の基、会議にむけ2つの仕事を任された。

1、 JFC参加者10数人に事前オリエンテーションで1時間のレッスンをし、日本語会話の基礎を習得させる。

2、 JFC参加者の一人、ケン(30歳男性)に10日で日本語である程度意思疎通を図れるようにする。

 どちらも難題である。しかしとりあえずやる、これだけは避けたい。両国の友好のために厳しく指導したい。

 やさしくしすぎて駄目になった例は多いが、厳しくしすぎて駄目になった例はすくない。

913日(日)マニラ市内観光

Even inside of Manila district has a various of cultural mixture. Like a old Spanish town as Insrumuros, a Makati as

 マニラ市内はさまざまな文化が混ざり合ったサラダボウル状態と化している。そんな中3地域をメトロでぐるっと回ってきた。

1、 高級住宅街:マカティ。 マニラの他の地域と違い、閑散としていて、緑にあふれ、高層ビル、高級ホテル、ショッピングモールが立ち並ぶ。

2、 混沌大都市:ケソン。フィリピンの旧首都、区画された街並みと片道6車線が走る大型幹線があり、排気ガスとクラクションの騒音にあふれる。庶民の生活がそこにはあった。インドのデリーを思わせる町だ。

3、 華僑の町:チャイナタウン。スペイン人たちがかつて華僑を支配するために、1か所に移り住ませた。都会の中、不気味な赤い漢字が書かれた看板が広がる。懐かしい感じもしたが、やはりどちらかと言うと不気味な雰囲気があった。


917日(木)ロビンソン(メガモール)の映画について

 フィリピンは映画が300円で見られる。これまで3本の映画を見てきた。英語の勉強にもなりついつい足を運んでしまう。

1、 The gamer

近未来のアメリカ、ITの仮想現実世界でロマンスや殺人ゲームが繰り広げられる。

2、 I love you Beth Cooper

ラブコメディー、細かい爆笑ネタの連続に笑いが止まらない。学園青春モノ。

3、 Whiteout

南極で繰り広げられる極寒のホラーサスペンス。その冷たさに息が止まりそうになる。

918日(金)寮でフルーツパーティー

見たこともないフルーツが並ぶ。ドリアン、ジャックフルーツ、マンゴスチン、竜丸、ランブータン、アボガド、タマリンド、、、など。マンゴーやバナナと違って日本に輸入されていないそのわけは、調理が難しい、日本人に合わない、高い、など。

 どれも確かに、という味であった。甘い、けど、変、なんとも表現しがたい。ぜひこちらに来て味を試していただきたい。

 ちなみにバロット(孵化前のゆで卵)も試した。グロい、けど美味である。なんとも表現しがたいが、鶏と卵の間と考えれば悪くない。ただし、グロい。


920日(日)アイセックイベント→全フィリピンJFC代表者へ日本語教育

 電車とジプニーを乗り継ぎイベントが開催されるMiriam collegeへ、大きい大学である。そして門番に止められる、アイセックであるといっても通じない。なんせ女子大に日本人の男2人が乗り込むんだから無理もない。(女性ボランティアのケンは体調不良)なんとか連絡を取ってもらい入場し、会場に入ると20人近くの女子大生にむかえられる。イベントは以下の通り、

1、 アイセックについてのプレゼン:アイセックは政治的宗教的に無関係であり国、性別、民族に差別されない。という理念を堂々と語っていたのが印象的であった。

2、 資金調達やインターン生受け入れ、受け入れ先企業探し、広告などグループごとに分かれてディスカッション。このような堅い会話になると英単語が半分以上混ざりタガログ語でも十分理解できる。ビジネス会話は日常会話よりも楽なのでは?私はフィリピン人の女性の地位の高さや自立と、英語能力の高さをアピールするようにと訴えた。

ミリアムカレッジの生徒たちは快く我々を受け入れてくれた。感謝である。

午後のフリータイムを前にして残念ながら退席、DAWNで仕事がありますから。。。

この日は明日から始まるJFC日本会議の事前オリエンテーションがあり、私は午後の日本語レッスンを担当していた。ミンダナオ、ビサヤ、ビコール、ルソンと全フィリピンのJFCの代表がここに集まった。みな表情は日本行きを前に輝いていた。

 日本語のレッスンと言うよりかは、私は礼儀(挨拶)を身につけさせたかった。挨拶、礼儀、大きな声はビジネスの一番の基本であると日本の尊敬する方に教わった。まずこれさえできればいい。これができていない人が大多数の世の中だから。

 そこでレジュメを渡し、さっそく全員を起立させ、45度の中礼を中心に挨拶をたたきこんだ。異様だと批判されるかと覚悟したが、皆笑って楽しんでお辞儀をしている、まあ結果オーライだ。

 また連帯責任や集中力も教えたかった。自己紹介では全員がいえるようになるまでは次に進まなかったし、集中力が切れてタガログ語でおしゃべりを始めたら厳しく止めさせた。厳しいといわれても嫌われてもいい、教育を頼まれたからには全力を尽くしたかった。

 全員が満足にすらすら言葉を出せるまでには2時間では至らなかった、しかし彼らは飛行機やホテルで復習することを約束してくれた。もちろん日本語がすべてではない。しかし重要なことは確かではある。言葉を甘く見てはならない、海外で英語だけに逃げてはならない、日本語も学び続けなければならないのだ。理由は考えればだれもがわかるはずだ。

 夜は飲んだ。ボランティアのアキラの最後の夜だからだ。JFCのマイケル、ケンジ、ジャヌスもこれに付き合った。その中で父親に会いたい、JFCの映画を作りたい、自由が欲しいといった本音が飛び出した。また、ジャヌスは我々にこうも言った、「今回日本人ボランティアを初めて友達だと思えるようになった。」

 日本人は日本人のために生きなさい。当然のことだ。ならばJFCのために尽くすことも当然ではないか。JFCは半分日本人、しかも日本の

93日(木)意識の高いスタディーツアーたち

 途上国などのスタディーツアーをしたいと思ったらまずどうするだろうか?普通はインターネットや電話で旅行会社や大学生協のツアーを探すであろう。

 ところが、今日の団体(大学生男女15人)は自分らでスタディーツアーを計画し、添乗員を雇って企画したという!メンバーはほとんど赤の他人同士、口コミと紹介で輪を広げていったという。なのにものすごく仲がいい。。。!彼らのスタディーツアーであったが、彼らから学ぶものも多かった。

 さて、プレゼンは今回私が務めた。驚いたのは、私が話し始めると、がやがやと学生同士のおしゃべりが消え、みんなが真剣な目つきで私の話を聞き、メモをひたすら取り続けている!自己紹介タイムに至っては、通常一人10秒もしゃべればいいほう、しかし彼らは一人一人前に出て来て、中には5分もかけて自分の夢やツアーの目的を語るではないか。

 頼もしい日本の若者がここにいた。本当に期待したい。

 質問も飛び交い、我々も一生懸命、人権や家族を大事にすること、政治や法について一人一人が真剣に考え取り組むことを伝えた。

 彼らはこの後はセブ島でバカンスに行くそうだ、まだ彼らも若い、思いっきりリゾートをエンジョイすることもしてほしい。


94日(金)ドネーションプロジェクト

 NGOは概して金がない!それはそうだ、利益を追求していないのに従業員の生活も考えなければいけないのだから。しかしながら、JFCにもっとよりよいサービスや教育を与えたい。CD付きの日本語の教科書でも買えれば、ぜんぜん違う!DAWNもここ何年かで急成長を遂げ、クライアントも激増している。

 そんな中スタディーツアー参加費は、同伴する教授やコンダクターの任意のカンパによってでしかまかなわれていない。我々はボランティアとして働いているが、スタディーツアーは我々が半日ガイドとして駆り出され、コーヒーや軽食も振る舞い、シクハイ(自立生計支援)の機織り体験も含まれる。相当量の参加を日本のお金のある学生からいただいてもいいはずだ。なのに代表からのカンパは任意でそこまで費用も多くない。もちろんうちの代表が利潤を目的としていないのもあるが、これは少し不公平か。

さあどうしよう。お金くださいと媚びたくもない。そこでできたのがドネーションプログラムである。

 JFCと折り紙できれいに飾った募金箱を作り、JFCの教育費とDAWNの運営費のために任意でスタディーツアー参加者からいくらかもらえればという話である。

 さあ、いくら入るか。。。合計1000円も入っていればいいかな。。。

まあ、いろいろトライしていこう。

96日(日)JFC(マイケル22歳)お宅訪問

 この日曜は子供との触れ合いの日であった。

朝はJFCジャヌス、ケンジ(16歳)、ボランティアのアキラとバスケットボールをする。フィリピンはアメリカNBAの影響もありバスケットボールは大人気だ。彼らはとにかく良く走る、飛ぶ、しかしミドルシュートは入らない。情熱的な国であるのがここでもうかがえる。

一試合終えたが、暑い、暑すぎる。マニラでバスケは蒸し風呂である。

takeo0812のブログ-baske

 さて、バスにのり1時間、マイケルの住むラスピニャスに行く。ラスピニャスは郊外の一軒家が立ち並ぶ住宅街。この日は雨が降ったため、街の中は川(プール?)のように洪水と化していた。

 マイケルの家はコンクリート製で小さくも家具が揃った中流階級的な家、2階建ての3Kくらいのところに8人くらいが住む。核家族といった概念はもはやない。多世帯が一緒に住む。次々と家には兄弟、いとこ、おじさんおばさん、友達が集まってきて一つの大家族を形成した。町を散歩しても次々とマイケルの知り合いにあい、あいさつを交わす。古き良きいなかの姿である。

 おいしい手作りの食事をごちそうしてしまい、その後カラオケ大会が始まった。ビートルズやバックストリートボーイズなどの英語の曲が共通点となった。私は1曲だけであったが、お気に入りのタガログ語の曲を披露できた。まさにタガログ語を学んでいる私としては念願の瞬間であった。

 帰りも家族たちは温かく送ってくれた。決して豊かとはいえないが、子供たちに囲まれているこの生活にどこか懐かしさを感じた。本当に感謝である。


98日(火)Moving onWoman: You can!! カンファレンスに参加

 女性の人権とJFC問題を訴えるがため、ここに5カ国100人以上の男女が終結した。

我々はDAWNのボランティア、またパーティーのスポンサーとして参加、7時から開始するパーティーのため、10時に会場入りした。

 大学教授、在マニラ日本大使、各人権擁護団体理事長、精神科医、そしてフィリピンの子供の奨学金の資金集めをする会社の財務取締役(日本人)など様々な方にお会いした。まさに一流の顔触れがそろっていた。

 そんななか我々DAWNは代表メルさんによるプレゼンとJFCと母親による劇を披露することで問題を共有できるように努めた。

 ほんの出来心でできてしまった子供を育てることを放棄した日本の男が万単位で存在する。勿論日本の男だけではないが、責任を放棄してはならないというのは万国に通用する常識である。むしろ責任を持って職務を全うするのがわが国民の誇りであったはずである。

小さな約束を破ることからこの問題は実はつながりうる。この問題は日本の倫理観の喪失の結果に他ならない。だれを責めるでもない。一人ひとりが責任を負うことが重要なのである。


takeo0812のブログ-jemina takeo0812のブログ-party