9月12日(土)JFC日本会議
日本でJFC会議が9月21日から行われる。日本で育ったJFCとフィリピンで育ったJFCが会う。本質的には全く同じ人間。しかし言葉が全く違う。タガログ語と日本語、英語が共通会話語となりうるだろうが、半分ずつ血が混ざっているのだ、自分のルーツを求めるためにもなるし、将来の仕事や活動、趣味にも生きるであろう。ぜひとも言葉は学んでほしい。
そういった志の基、会議にむけ2つの仕事を任された。
1、 JFC参加者10数人に事前オリエンテーションで1時間のレッスンをし、日本語会話の基礎を習得させる。
2、 JFC参加者の一人、ケン(30歳男性)に10日で日本語である程度意思疎通を図れるようにする。
どちらも難題である。しかしとりあえずやる、これだけは避けたい。両国の友好のために厳しく指導したい。
やさしくしすぎて駄目になった例は多いが、厳しくしすぎて駄目になった例はすくない。
9月13日(日)マニラ市内観光
Even inside of
マニラ市内はさまざまな文化が混ざり合ったサラダボウル状態と化している。そんな中3地域をメトロでぐるっと回ってきた。
1、 高級住宅街:マカティ。 マニラの他の地域と違い、閑散としていて、緑にあふれ、高層ビル、高級ホテル、ショッピングモールが立ち並ぶ。
2、 混沌大都市:ケソン。フィリピンの旧首都、区画された街並みと片道6車線が走る大型幹線があり、排気ガスとクラクションの騒音にあふれる。庶民の生活がそこにはあった。インドのデリーを思わせる町だ。
3、 華僑の町:チャイナタウン。スペイン人たちがかつて華僑を支配するために、1か所に移り住ませた。都会の中、不気味な赤い漢字が書かれた看板が広がる。懐かしい感じもしたが、やはりどちらかと言うと不気味な雰囲気があった。
9月17日(木)ロビンソン(メガモール)の映画について
フィリピンは映画が300円で見られる。これまで3本の映画を見てきた。英語の勉強にもなりついつい足を運んでしまう。
1、 The gamer
近未来のアメリカ、ITの仮想現実世界でロマンスや殺人ゲームが繰り広げられる。
2、 I love you Beth Cooper
ラブコメディー、細かい爆笑ネタの連続に笑いが止まらない。学園青春モノ。
3、 Whiteout
南極で繰り広げられる極寒のホラーサスペンス。その冷たさに息が止まりそうになる。
9月18日(金)寮でフルーツパーティー
見たこともないフルーツが並ぶ。ドリアン、ジャックフルーツ、マンゴスチン、竜丸、ランブータン、アボガド、タマリンド、、、など。マンゴーやバナナと違って日本に輸入されていないそのわけは、調理が難しい、日本人に合わない、高い、など。
どれも確かに、という味であった。甘い、けど、変、なんとも表現しがたい。ぜひこちらに来て味を試していただきたい。
ちなみにバロット(孵化前のゆで卵)も試した。グロい、けど美味である。なんとも表現しがたいが、鶏と卵の間と考えれば悪くない。ただし、グロい。
9月20日(日)アイセックイベント→全フィリピンJFC代表者へ日本語教育
電車とジプニーを乗り継ぎイベントが開催されるMiriam collegeへ、大きい大学である。そして門番に止められる、アイセックであるといっても通じない。なんせ女子大に日本人の男2人が乗り込むんだから無理もない。(女性ボランティアのケンは体調不良)なんとか連絡を取ってもらい入場し、会場に入ると20人近くの女子大生にむかえられる。イベントは以下の通り、
1、 アイセックについてのプレゼン:アイセックは政治的宗教的に無関係であり国、性別、民族に差別されない。という理念を堂々と語っていたのが印象的であった。
2、 資金調達やインターン生受け入れ、受け入れ先企業探し、広告などグループごとに分かれてディスカッション。このような堅い会話になると英単語が半分以上混ざりタガログ語でも十分理解できる。ビジネス会話は日常会話よりも楽なのでは?私はフィリピン人の女性の地位の高さや自立と、英語能力の高さをアピールするようにと訴えた。
ミリアムカレッジの生徒たちは快く我々を受け入れてくれた。感謝である。
午後のフリータイムを前にして残念ながら退席、DAWNで仕事がありますから。。。
この日は明日から始まるJFC日本会議の事前オリエンテーションがあり、私は午後の日本語レッスンを担当していた。ミンダナオ、ビサヤ、ビコール、ルソンと全フィリピンのJFCの代表がここに集まった。みな表情は日本行きを前に輝いていた。
日本語のレッスンと言うよりかは、私は礼儀(挨拶)を身につけさせたかった。挨拶、礼儀、大きな声はビジネスの一番の基本であると日本の尊敬する方に教わった。まずこれさえできればいい。これができていない人が大多数の世の中だから。
そこでレジュメを渡し、さっそく全員を起立させ、45度の中礼を中心に挨拶をたたきこんだ。異様だと批判されるかと覚悟したが、皆笑って楽しんでお辞儀をしている、まあ結果オーライだ。
また連帯責任や集中力も教えたかった。自己紹介では全員がいえるようになるまでは次に進まなかったし、集中力が切れてタガログ語でおしゃべりを始めたら厳しく止めさせた。厳しいといわれても嫌われてもいい、教育を頼まれたからには全力を尽くしたかった。
全員が満足にすらすら言葉を出せるまでには2時間では至らなかった、しかし彼らは飛行機やホテルで復習することを約束してくれた。もちろん日本語がすべてではない。しかし重要なことは確かではある。言葉を甘く見てはならない、海外で英語だけに逃げてはならない、日本語も学び続けなければならないのだ。理由は考えればだれもがわかるはずだ。
夜は飲んだ。ボランティアのアキラの最後の夜だからだ。JFCのマイケル、ケンジ、ジャヌスもこれに付き合った。その中で父親に会いたい、JFCの映画を作りたい、自由が欲しいといった本音が飛び出した。また、ジャヌスは我々にこうも言った、「今回日本人ボランティアを初めて友達だと思えるようになった。」
日本人は日本人のために生きなさい。当然のことだ。ならばJFCのために尽くすことも当然ではないか。JFCは半分日本人、しかも日本の