戻ってきたsuica カード | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

日本の治安の良さは以前から定評がありますが、私の場合はとてもラッキーであるのかもしれませんが、またまたミラクルことが起きました。2月14日から15日に岡山から大阪に向かい、15日は天王寺付近の四天王寺、一心寺を付近を友人の案内で観光していた際にsuicaを道端で落としました。いつもポケットに入れる癖があり、この日もコートのポケットに入れて朝、四天王寺で下車した際には使用しました。

 

しかし、午後に市電に乗ろうとし際にポケットにはないのです。それから勘違いかと思い、洋服やカバン等を隈なく調べましたが見つかりません。残高は3000円以下だったと思いますので、仕方がないかと思いつつも、気分はすぐれませんでした。もう一枚のsuica カードを使って住吉大社、そして関西空港までだどり着くことができました。

 

そして数日後、天王寺警察署からの電話が私のスマフォに掛かってきました。天王寺と聞いてすぐにわかりました。何と私のスイカカードは道端に落ちていたのを通りがかりの人が拾って警察に届けてくださったのです。そう私はコートのポケットに入れていましたが、そこに一緒に入れていたスマフォを出して一心寺の写真を撮った記憶がありますので、その際にスマフォと同時にスイカカートが落ちたのでした。

 

日本でしかありえない出来事です。道端に落ちていたカードをわざわざ拾って警察に届けてくれるなんて。私たち日本人は人様の者に手を出してはいけない(つまり泥棒)ということは家庭でも学校でも教育されてきましたが、それが今でも根強く守られているのです。私は外国の滞在が多いので安心しきっている私自身にも問題がありますが、私はこれまでも実は同じような体験が何度もあるのです。

 

クレジットカード、スイカカードを落としたり、空港のトイレや新幹線、スカイライナーの中などに財布やカードを忘れるという失態です。しかし幸運なことに全て私の手元に戻りました。ミラクルです。日本は。日本人の右に倣えの姿勢に腹立つことが往々にありますが、いつも落し物をした時に、ああ日本で良かったと痛感するのです。たまたま運がよかったのよと言われますが、そうではないかと思います。

 

生まれた時は神道、教育は儒教、死ぬ時は仏教と日本人は聖徳太子が教えたように全ての宗教を網羅して受け入れる体制があるのです。これは一神教とは大きな違いだと思います。イスラム教徒でしたらもしスイカカードが落ちていたら、神からの恵みとしてありがたく受け取るかもしれません。それは決して罪なことではありません。困っている時に与えられる恩恵なのですから。そのように考えますと多種多様な文化というのは大変興味深いものがあります。つまり日本人の常識は世界の常識ではないのです。