スリランカに残るアマテラスの御陵と神代文字 | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

スリランカから帰国しました。スリランカ航空はほとんどスリランカ人で満席です。まだ日本人のツアー客の姿はありません。今回のスリランカの旅はかなり濃密な収穫の多いものとなりました。アジアの中で一番のおススメの国と言えます。

 

竹内文書の上古22代9世のアマテラスの御陵がスリランカ南部の都市ゴール(ガル)にあるという記録が残っています。竹内文書の中にはアマテラスが作られた神代文字の55文字が残っています。この文字は第一印象がスリランカの文字であるシンハラ語に似ているなという印象を受けましたが、まさに同じ文字がシンハラ語に残っていました。

 

スリランカでは3つの文字が表記されています。一番上はシンハラ語、タミール語、英語です。タミール人は南インドやイギリスの植民地時代に紅茶栽培の為にインドから連れて来られた人です。その他アラビアからのイスラム教徒、そしてヨーロッパ人が住んでいます。現在ではシンハラ人は仏教徒(一部キリスト教徒)、タミール人はヒンドゥ教徒、そしてイスラム教徒です。スリランカの人々はとても穏やかな人々という印象を受けました。怒鳴ったりする姿は一度も見ることはありませんでした。

 

スリランカ(セイロン)に最初から住んでいたと言われるシンハラ人は現在は人口の76%です。シンハラ語が使われています。文字は別称くるくる文字(これは勝手に名づけました)です。現地ガイドによりますと、54文字で母音は5つ、語順も日本語と同じ、単語も日本語と似ているものが沢山あるそうです。

 

私はアマテラスの神代文字をシンハラ人のガイドに見てもらいました。その中で一文字は全く同じ形の文字です。シンハラ語と同じです。シンハラ語の起源はサンスクリット語であると言われていますが、日本語との関係性も新たに発見することができました。

 

さて御陵の場所はどこか?これは竹内文書には記録されていません。また現地に行っても超古代の時代の出来事ですので、何の資料もありません。しかしこれまでの調査では現在でも歴史上の聖なる場所、高台が御陵として選ばれています。特定はできませんが、ゴールの旧市街の植民地時代にオランダが建造した一番古い教会ではないかという私見です。

 

入口内部の右門に飾られた窓は16方位に分かれたデザイン、そして敷地内には地下に潜る2つの空間があります。教会の人の話ではここはかつての牢獄であったという話で鉄柵が張られていますので、内部は暗く誰も入れない状態です。教会内の一番大切な敷地にどうして牢獄を作るなんて考えられません。人避けの物語かと思います。

 

誇大妄想に掻き立てられながら旧市街の大聖堂を後にしました。ここがスリランカ最終の訪問地となりました。ゴールからコロンボの空港まで車で2時間半、途中は土砂降りの雨でした。恵みの雨でした。スリランカの主食はお米ですので、お米を栽培するための大きな人工湖が作られています。樹々と水がとても豊かな国です。今回もスーツケースに雨具の傘とレインコートを要ししていましたが、一度も雨に降られずにミッションを終了できました。

 

スリランカ、再訪したい国の一つとなりました。