ラムセス2世の葬祭殿に想像を超えるレリーフ群 | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

今回はエジプトの途中で持参したPCが故障し、アメブロをupできずに失礼いたしました。徐々にupしていきます。

 

毎回エジプトを訪れる旅に新しい遺跡や博物館、町を織り込む普通のツアーでは体験できないエジプト、今回も新しい場所を沢山盛り込みました。今日はルクソール西岸にありますラムセス2世の葬祭殿「ラムセウム」について書きたいと思います。

 

ルクソールの西岸は死者の町、ファラオ、王妃、貴族の墓、ハトシェプス女王葬祭神殿などがある砂漠一色の場所です。王家の谷(ファラオの墓)はナイル川の氾濫を堰き止める山々の反対側にありますので、長い歴史において死者の町は守られてきました。

 

ルクソールは一大観光地ではありますが、失われた黄金の町と言われたアメンホテップ3世や4世の時代も町も昨年見つかり、現在でも発掘作業が進んでいます。墓泥棒の一家が代々住みつくのがこのルクソールの西岸です。

 

そんな中でルクソール西岸地域で初めて訪れたのがラムセス2世神殿です。ラムセル2世と言えはアブシンベルに移築された巨大なラムセス2世のアブリンベル神殿はあまりにも有名ですが、ラムセス2世はエジプトのファラオの中で一番の英雄といわれるファラオでした。90才までの人生で66年間ファラオとして活躍、ネフェルタリを初めとした沢山の王妃、200人ほどの子供たちを残した精力的なファラオ、そして知恵のある戦略家のファラオでした。

 

その葬祭神殿がルクソール西岸にありますが、王家の谷(ファラオの墓)は観光客でにぎわっていますが、今回私が訪れたラムセス2世の葬祭殿は全く観光客の姿がありません。お陰様で十分に楽しむことができました。

 

ロゼッタ・ストーンからヒエログリフを解読しエジプト学のシャンポリオンが、テーベ(ルクソール)で最も高貴な建物と呼んだのがこの葬祭殿です。エジプトではファラオの宮殿は残っていません。生きている時には非常に質素な空間で過ごしていましたのが理由です。神に捧げる神殿の他に、大切なのは来世に行くための神官が司る葬式、葬祭殿が重要なのです。

 

ここでは、ラムセス2世の偉業が書かれたレリーフが非常に保存状態が驚くほど良いのです。カディシュの戦いは有名ですが。第2塔門裏にあるカデシュの戦いのレリーフで、ファラオが、アジアの強国ヒッタイトに対し矢を放っている場面などが事細かくが描かれています。

 

葬祭殿そのものはラムセス3世の葬祭殿などに比べて建物全体の損傷が激しいのは、ナイル川が近くて、以前は毎年のように洪水の被害にあってたのが原因だそうです。また興味深いことにこの葬祭神殿の周囲には当時仕えていた人々の共住空間がの残っていることです。

 

この葬祭殿には鳩の巣となっています。葬祭殿の監視役の人々も多くいるのですが、とても暇そうです。他の観光地では多くの観光客であふれていますが、ここは別空間です。ラムセル2世ファンには欠かせない場所であると私は思うのですが。旅行会社は半日で西岸地区の観光を終わらせようとした場合には忘れられてしまう存在となっているようです。