亡き母への想い | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

今日は立春、新しい暦の始まりです。昨日は節分で豆まきをした方が多いかと思います。我が家では豆まきはしていません。もしするのでしたら豆まきは「鬼は内、福は内」でと言っています。決して「鬼は外」は言いません。国祖を追い出すための儀式でしたので。それが今でも続いているのです。国常立尊です。

 

恵方巻を食べる、恵方に向かってかぶりつく、いつから始まったのでしょうか。おそらくバレンタインデーのチョコレートと同じ、商業ベースからの発想かと思います。昨日は夕方にスーパーマーケットに立寄ったところ、いつも揚げ物コーナーの場所に恵方巻がずらり、主婦らしき人々のこぞって買っている姿を見ました。

 

その後息子夫婦の所に届け物の為に立寄ったところ、ママが子供たちに恵方巻を用意している最中でした。これから豆まき、恵方巻を食べるとのこと、一緒に食べて言ってと言われ、お言葉に甘えることに。昨日は私の亡き母の誕生日だったからです。子供たちは豆まきを楽しみにしていましたので、「鬼は外」はいけない、本当は鬼さんはいい人だったんだよと言いましたら、「鬼は内、福は内」と言って部屋の様々なとことに豆をまき、拾って食べていました。そしてテーブルに向かって恵方の北北西に向かってガブリ、とても太恵方巻でしたが、1本では足らずにママにもう1本と催促をしていました。子供にとっては楽しい行事となったようです。

 

2月3日は節分、昨年4月8日に旅立った母の数えで90才の誕生日でした。4月8日は花祭り、お釈迦様のお誕生日です。決して忘れぬお誕生日と命日です。そして父は2月11日の建国記念日に生れ、5月4日の憲法記念日が命日ですので、決して忘れません。記念日、それは私にとって感謝の日でもあります。両親が大切に子供を思い、慈しんで育ててくれたことへの感謝です。

 

子供を産んだ人はそれを同じように子供に、子供を産まない人は社会に還元する、これが私の考え方です。私は後者となりますので、常々そのような行動ができるように努力しています。

 

母とは女性同士でしたので、私は母に対してとても厳しい姿勢や考え方で接していたかと思います。それは母がまだ元気なころのことです。年老い、得意だった料理や旅行が出来なくなった母に対しては、その強い思いを捨てました。母へ厳しい態度を兄に叱責され、出入り禁止になった時期がありました。今考えますと兄の行動は正しかったと思い反省しています。その後は、年老いた母として優しく接することに心がけました。

 

母は常に私が外で働くことを手助けしてくれました。それは私の性格にあっていることをよく知っていたからです。母は自分自身の介護を私が仕事を辞めてすることは望みませんでした。妹に対してもです。自分のことは自分でする。子供の人生とは別だからというスタンスでした。そんな間柄の母子でした。

 

私も母と同じように年をとっていくことは避けることはできません。私も実は母と同じ考え方です。性格が実は似ているのかもしれません。昨日は朝方に母の嬉しそうは姿の夢を見てとてもうれしく思いました。母は信心深い人でした。元気な頃は菩提寺である日蓮宗の勉強会にもいつも参加してお経を唱えていました。私のスピ系の話しも年老いてからも興味深げに耳を傾けてくれました。死についても予備知識を話せておけたのはよかったかと思います。

 

死は誰でも避けては通れない道です。この点を自分の大切な両親に正面切ってお話しをしてあげることはとても重要なことかと思います。危篤状態となっても実はしっかり聞いてくれていることは私の体験からも明白です。でももっと早い時期にが望ましいですね。