呉王朝の会を偲んで(玉響6月号) | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

週末に到着した月刊誌「玉響6月号」をじっくり読ませていただきました。私がこれまで関わってきた、しかし既に他界されたエドモンド・ロスチャイルドの異母兄弟である猪島リツさん、呉王朝96代目の呉仁耀(別名龍神玉龍)さんは闇の歴史に登場するお二人でした。猪島リツさんは、高坂和導より前に癌にて、そして龍神玉龍さん(この名前は高坂和導が命名、本名は内田勇さん)は昨年の10月にご自宅にて突然お亡くなりになりました。

 

猪島リツさんと高坂の関係は私が高坂と知り会う前からでした。まるで親子のようで、しばしば電話で話していました。そして口喧嘩も数限りなかったことをよく覚えています。喧嘩をしてやっと離れたと思っても、また付き合っているのです。私は超大金持ちのエドモンド・ロスチャイルドの妹であればお金持ちのはずなのに、高坂がいつも小遣いを渡していたのを知っていました。なぜと思いながら心地よくはありませんでしたが、私のお金ではないので口出しはしませんでした。リツさんは何回か我が家にも来ていました。今でも昔の米屋時代の自宅でのリツさんの写真が残っています。そして高坂との大きな世界平和の夢はかなわず、二人はあの世に旅立ちました。今まだリツさんが下さった黒いカシミヤのコートが残っています。黒ばかりお召しになっていた印象があります。

 

それから私の身に様々なことが出現するようになったのです。私が想いを寄せると、次々に資料、記録、写真などは数多くでてきました。そしてリツさんのパスポートまで。そしてリツさんの一人息子さんにもお会いすることになりました。リツさんは非常に激しい性格、そしてユダヤ人と日本人のハーフでしたので。目鼻立ちがすっきりはっきりした美しい女性でした。リツさんのご主人は日本人でしたが、やなり目鼻立ちがすっきりされたお方、非常に穏やかな方でした。子供の頃から秘密を持った事情の中で育ち、そして世界平和運動へと。家庭を見返ることはなかったでしょう。ご主人の方が早くお亡くなりになりました。お二人と北陸のお墓に眠っています。

 

そして龍神玉龍さんに関しましては、高坂と龍神さんは世界和平連合会の設立で一緒に活動していたかと思います。そして何と二人は竹内文書の軌跡を辿って全国各地を旅していました。ですから写真が沢山残っているのです。詳細は高坂が他界する前は全く知りませんでしたが、リツさんと同じように高坂他界後に、私が想いを寄せますと、資料や写真が山のように登場してきました。名刺や電話番号も。

 

そこで私は龍神さんに電話をかけてみることにしました。最初は本当に高坂さんの奥さんですか?から始まりまりました。最近は会っていなかかったので新しい本も出版されたので、今度会いましょうと、話していたばかりでした。どうしたのですか?

 

龍神さんは様々や裏世界の話をしてくれました。今では私に取りましては沢山の情報がありますので珍しくはありませんでしたが、人口削減政策、エイズ、津波、地震等も自由自在に世界中に起こすことが可能、それが現実世界です。奥さんはボランティアでアフリカに行ったり活動している、それはとても清いことです。このような現実をお話しはもしかすると知らないほうがほかったかもしれません。と言われました。

 

そして厚かましくもお会いできませんでしょうか?と申し上げますと、私は他の人には決して会わない。でも高坂さんとは会う約束をしていたので、大阪の自宅に来てくださいと言ってくださいました。そして近くのホテルまで準備してくださり、夕方から深夜遅くまで、ご自宅にご招待いただきました。毎日、自炊されているとくことで、素晴らしい食材(全て特注)をご用意してキッチンでお料理されている龍神さんといろいろお話をさせていただきました。お肉は一切口にせず(食肉禁止はずっとお話しされていました。)の方でした。

 

サプリメントに沢山ありました。そしてデザートは千鳥やの季節限定の大福だった気がします。ここだけが混ぜ物がなくて食べられるっておっしゃっていました。とにかく豪華はお食事を作っていただきました。そしてゆっくりと一緒に。。。。。。今となっては懐かしい思い出です。2003年のことです。深夜2時過ぎまでいろいろお話しをしました。そしてホテルまで送ってくださいました。非常に紳士はお方でした。そして別れ際にこれは新幹線代です。と言ってお金をくださいました。もちろん、私はこれまでのずっと働いてきましたのでお金はありますのでと辞退しましたが、これからも何かありましたら相談にのりますので、と紳士を絵にしたような方でした。

 

その後も何度かはお電話でお話しをさせていただきました。が、何といっても長い、1時間、2時間コースでした。そして私の知識も不足していたので、内容の半分も理解できなかったのです。そんなことで私から電話をすることはなくなりました。でもいつも電話代がかかるのでので、龍神さんが折り返し電話にしますからと言ってくださいました。今となっては懐かしい限りです。今は吉田日光猊下の元にお位牌が飾れています。猊下の真清浄寺には皇室ゆかりの表に出ることはなかった方々がお祀りされています。

 

一つの歴史が終わりました。新しい時代へ。