諏訪大社上社前宮と神長官守矢資料館にて | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

一昨日は縄文時代の遺跡が多く残る茅野市に行ってきました。当初は茅野市ともう一カ所縄文遺跡が発掘されている富士見市に行く予定でしたが、突然気になりましたのが、諏訪大社上社前宮でした。諏訪大社は上社、下社とあり、さらに上社前宮、上社本宮、下社春宮、下社秋宮と4カ所に分かれています。

 

新宿からの電車の中で、インターネットで茅野を調べていく上に目についたのが諏訪大社上社前宮でした。もう大分前に諏訪大社を訪れましたが、写真や説明を見ていたら、ここは訪れた記憶がなく、ここにどうしても行きたい衝動に駆られました。また地図を見ますと上社前宮の後ろが守矢山というの気になる原因でした。モリヤ?どこかで聞いた地名ですね。そう聖書にも登場しますが、イスラエルのエルサレムのソロモン神殿が建てらてたといわれているのがモリヤです。

 

よくよく調べますと、諏訪大社上社前宮が一番古くからのものであったようです。そのためか巨木や古木が多く残り歴史の証言者に守られた場所かと思われます。茅野駅からは公共機関はなくタクシー利用となりましたが、タクシーの運転者さんは私に御柱祭のお話しをし初めました。この上社では7年に一回4月2,3,4日、そして5月2日、3日、4日の御柱祭では市民を上げて参加、この時期は町中からお祭りの準備のために町中から人がいなくなるそうです。

 

前宮と本宮の2カ所がありますので、計8本の御柱を運ぶことになります。1本を1,000人位の人が引き、その上には30人位の人が乗って移動します。柱は丸いですので、途中落ちたり、下敷きになる可能性は大きいですね。タクシーの運転手さんはその柱に乗っていた人の一人で柱の間に挟まれその中から引くずり出されたそうです。命は助かりましたが、負傷したわけです。もっと重症患者がいたようですから、そちらの人が優先治療、この運転者さんは急ぐ治療であったのか麻酔なく口に猿ぐつわをはめさせられ周囲の男性軍に押さえられながら手から足までメスが入ったそうです。非常に男っ気がある方でした。毎回、人が亡くなったり重症を負う人がでる御柱祭です。

 

しかしそれでも伝統は続きます。今では女性も参加します。人でが足らないことでしょうから。1年前からの準備で、来年が御柱の年で今からソワソワしている方も多いようです。伝統ってすごいですね。これだけのエネルギーを受容できる神様はさぞ幸せかと思います。上社前宮のみが本殿を持っています。周囲4角には前回の御柱祭の柱が立っています。

 

以前には行っているかもしれませんが、ここから20分位歩いたところが上社本宮ですので、電車の時間までに多少時間がありましたので、参拝することにしました。ところが歩き始めて、ちょうど中間のあたりに神長官守矢資料館の文字が目に入りました。守矢???守矢家は古くから上社の神宮長を務めて生きた一族でした。

 

資料館に入ると展示室にはにまず驚くことに剥製の鹿の頭が沢山飾られていました。これらは4月15日に行われている神事「御頭祭」に供えられた鹿の頭でした。その他野生動物の剥製もありました。奥には守矢家が保存してきました古文書、特殊な祭器などが展示されています。

 

さらに敷地の奥には守矢家の氏神様であるミシャグジ社があります。漢字以前の縄文時代からの神様のようです。この神様が諏訪神社の神様にもなっています。しかし未だにミシャグジとはどんな神様であったのかは解明されていません。御柱も立っています。右側には小さい稲荷神社と天神神社が鎮座していますが、やはり4本の御柱です。そしてさらに奥には神長官裏古墳があります。諏訪大社以前の歴史の一部が残る、ミステリアスな異空間であります。誰も私以外の見学者はいませんでした。

 

そんなことをしているうちに上社本宮を参拝は時間切れとなっていましました。守矢という名前に最後は引き留められた茅野での滞在でした。もう少しミシャグジ社のルーツを探っていきたい衝動にかられています。