新潟県角田山沖の日本海の海底から見つかった縄文土器とUFO | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

金曜日より新潟市にある角田山周辺の超古代の歴史の謎解きの旅続編の旅となりました。詳しくは前回の10月8日と9日のブログをご参照くだい。

 

前回の旅の後に竹内文書に基づき残昭和55年に角田山と弥彦山で現地を調査された景山浮舟さんが高坂和導宛にの手紙がまた新たに出てきましたした。この旅はまだ終焉となっていませんでした。今回はこの景山さんの住所を手掛かりに現地に入りました。

 

もう40年以上も前の手紙ですので、残念ながら新潟市内野にお住まいであった景山浮舟さんの家はもう取り壊され他の方の新しい家をなっていました。景山浮舟さんは既に他界されていらっしゃいました。ご近所の方のお話しによりますと今から15年ほど前のことのようです。しかし、景山さんが調査された遺跡の地図は和紙に書かれていましたので、ついこの間書かれたかのような鮮明な美しい地図です。

 

角田山の最寄り駅である巻にあります郷土資料館、角田山FM放送を訪れ、当時のことを探りましたが、この地が超古代の歴史の舞台であったことなど誰も知りません。また遺跡があったこともです。当然のことかもしれません。

 

そして今日の午前中に新潟市の文化財センターに行ってきました。昭和55年当時は角田山は西蒲郡でしたが現在は新潟市となっていますので、角田山近辺で発掘された縄文遺跡は新潟市文化センターが管理しています。そのには何と2013年に角田山沖合15㎞の日本海の海底150mから170mから発掘された縄文土器が展示されていたのです。これまでも日本海の海底から遺跡が発見されたというニュースは聞きますが、それを目にすることができませんでした。

 

文化財センターのお話しによりますと、海中の遺跡を発見される方はほとんどが漁師の方で、発見されたものは個人所用となっているそうです。ここに展示されている縄文遺跡は発見さてた漁師さんが寄贈してくださったものだそうです。新潟県では唯一の海底から発見された縄文土器です。もう一つは佐渡で発見されているようですが、個人の所有ですので、一般の人々は見ることはできないそうです。全く予測せずの海底縄文土器に驚きを隠せませんでした。それも角田山の沖合15kmです。土器は縄文中期のものです。

 

角田山周辺では既に縄文遺跡が発掘されていますので、古代においてこのあたりが人々が住んでいたことは間違いありません。しかし残念なことに角田山の斜面は今となっては既に土が掘り起こされ、昭和55年に景山浮舟さんが遺跡を調査された時代の様子とは変わってしまったようです。しかし、複数の現地の方々にこの地図を見ていただき、場所もほぼ特定することができました。地図には神社も書かれていますが、今でも残っているそうです。おそらく超古代よりこの地が大切な場所でお祭りをしていたことと思います。ここには神殿、神篭石、石舞台、太陽石があったのです。

 

間違いなく古代におきましてはこの地でスメラミコト(おそらくハイブリット)が宇宙とのコンタクトがおこなわれていたかと思います。ここで高坂和導が昭和56年に東京の調布のUFOサークルの子供たちを連れてお祭りをし、数日後にこれに参加された地元の母娘さんは宇宙人と遭遇し、景山さんも大きなUFOを目撃したという手紙の内容も非常に興味深いものがあります。今年は3回新潟に行きましたが、また来年この地を訪れることになりそうです。