18年目の命日 | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

竹内文書の研究家・高坂和導の遺志を継ぎ、三和導代が古代スメラミコトの足跡をたどり、世界を旅するブログ

三和 導代 です。

 

2002年10月17日に高坂和導が他界してから丸18年となります。

本日は静岡県袋井市での神人さんの講演会に来ました。高坂が1999年から2000年にかけて得体の知れぬグループに狙われ身を隠まっていもらっていたのが袋井市に住む一家でした。私は当時、既にアフリカのガーナに旅立っていましたので詳細は不明ですが、様々な資料から探り出しました。そして2年前の2018年の高坂和導祭の時にその時にお世話になりましたご家族にご参加いただきました。初めてご挨拶をすることができました。この地が袋井市なのです。

 

今日の神人さんの講演会の主催者は神人さんの書籍を出版されている野草社の社長である石垣雅設さんです。新型コロナウイルス後初の開催となります。いつもはご自身の野草社での開催ですが、公共の広い場所では開催となりました。70年定員の50%の収容人数の開催ですぐに満席になってしまいましたが、最後に入れてもらいました。雨降りではありましたが、窓がいくつもある明るい会場でした。今回のテーマは「死」です。何度もこのテーマではお話を伺っていますが、毎回新しい内容のお話が聞けます。

 

今日はこれまで神人さんの講演会を主催してくださった方々等が既に多くの方が他界されています。がそんな中で実際に死後に神人さんにコンタクトされてこられた方々の実例です。皆さん、死に関しては恐れは全くなく、しかも死とはどんなことかはご存知の方ばかりです。生々しい死後の方々とからの神人さんを通しての体験談やメッセ―ジを聞かせていただきました。

 

そして最後に高坂和導です。神人さんと高坂は同じ青森県の同郷でしたが、面識はありませんでした。神人さんの叔父様が高坂の若き時代に面識はあったようです。神人さんは「竹内文書」はお読みになってはおられましたが、生前の面識はなかったのですが、死後に神人さんと高坂の対談が始まりました。ご縁は高坂和導が倒れましたお家の方が、神人さんの講演会を主催されていましたので、私も紹介されて木更津にライブを聞きに行きましたのが2008年だったと思います。今日の朝、別の写真を探していましたところ、たまたまその当時の神人さんが歌われている姿の写真がでてきました。

 

その後ずっと神人さんとお会いする機会はありませんでしたが、2015年に再会しましたのが、東京の国立の講演会でやはり10月17日でした。今日で5年となります。その後はライブや講演会、そしてずっと東北の縄文ツアーに参加させていただいております。今年もまた来週から参加します。そして今年2020年2月11日には名古屋で、神人さんと私のジョイントで有無の会の主催にて宇宙フォーラムが開催されました。

 

このご縁はダマヌールのファルコさんです。ファルコさんがお隠れになる前に既に肉体を離れている高坂和導宛に残られてたメッセージが2017年に私に届けられたことがきっかけで有無の会の赤塚聡子さんと知り合ったのです。そして今年の2月11日には私も想像もしていなかった高坂和導の参加の3人でのフォーラムとなりました。

 

高坂参加のメッセージは長いものです。彼の過去世においては民族というそれぞれの美しさを芸術的に表現し、その違いを評価しならが価値観の多様性を無限の喜びとして指導していた時代があったことを述べています。本日神人さんが読まれたその時の高坂和導のメッセージを一部だけ再度紹介させていただきます。詳細は2月のブログに残っているかと思います。

 

私たちはみな神の子であり、神の分身です。

それぞれ独自の働きが与えられており任務を為すことにより、世界はより良くなる仕組みなのです。

一部の者たちによる支配ではなく、多様性の素晴らしさが営む社会構造が、神の世界なのです。

すべては経験であり成長によって育まれ顕れてきます。

現在の社会はまだ発展途上途中にあり、必要な学びがされていません。

これから世界全体に、生きる上で何が大切なのか?という教育がされるべきでしょう。

課題は山済みですが、変化は喜びです。

ひとつひとつの進化を歩むだけなのです。

ここにお集まりの皆様は、必要なゆえに来られている方々ばかりです。

それぞれには、指導なされている御霊人方がおられ、日々御導きされておられます。

これから来る社会は、霊、人共に歩まなければならない、理解を深める時に入ります。

人間はどのようにして現在に至ったのか?

社会はどようになってゆくことが、本来喜びであるのか?

多重次元的認識を深めお互いに理解し合いながら行くことが望まれるのです。   

 

わたしは霊人として存在しています。

それは真実であり、現在人が理解出来なければならないことです。

わたしのような霊人は無数に存在しており、社会と深く関わっております。

人の意識に関わり共に社会を生み出し運営しているのです。

古代において、それは特別なことではなく、豊かさとしてありました。

生きているものの世界と死んだものの世界とは、密接に交わりながら存在し続けてきました。

ですから、死すことに対する恐れもなかったのです。

生きている間にすべきことを為すことが課題であり、生きる理由だったのです。

生と死に対する認識も、今と昔では大きく異なります。

基本的な教育のやり直しがなされることが求められています。

 

わたしは、高坂和導として生きました。

いずれはまた生まれ変わり別の生を生きることでしょう。

こうして霊人としてお伝えできることも、必要な経緯として与えられたのです。

皆様が、何を真として意識の要に置くのか?

それが最も重要な選択であると言えます。

御清聴下さりどうもありがとうございました。

皆様の御多幸を願い挨拶に返させて頂きます。

 

2002.2.6  高坂和導御霊より神人氏を通じてお伝えしました。

感謝申し上げます。