三和 導代 です。
アラハバキ族、アラハバキの神って聞いたことがありますか。東北地方の歴史を辿っていきますと、この地域は大和朝廷からは勝手に蝦夷と呼ばれましたが、実は歴史から追いやられたアラハバキ族は東日流地方(青森県津軽半島中、岩木川が日本海にそそぐ大港湾、十三潟を中心とする六郡の総称)に住む人々で、もっと先を辿れば、原住民はアソベ族(阿蘇辺)、世が降りツボケ族(津保化)が大挙して津軽に移住した地でした。
そして神武東征に敗れた安日彦・長髄彦兄弟の一族大勢が移動してきて、大陸からの漂流民も永住して、つまり混血種族がアラハバキ族でした。しかし大和朝廷の策略によりこの地は、征夷大将軍・坂上田村麿などにより土地を奪われ、命も奪われる時代と変わっていきました。あの平和な縄文時代に終止が打たれたのです。
いまではこのアラハバキ族、アラハバキ族がの神のことはすっかり忘れさられたかのような時代となりました。しかし特に東日本にはこのアラハバキの神を祀る神社がひっそりと残っているのです。例えば、武蔵一宮・氷川神社の摂社・門客人神社として祀られています。でも一言もアラハバキとは書かれていません。
そして今日、アラハバキのことを調べているうちに私の地元にもアラハバキの神を祀っている神社があることを知って、行ってきました。この神社は羽盡神社 ( はぞろじんじゃ )です。1か月前に知り合った人から羽盡神社がどうしても気になるので行ってみたいと聞いた時、変わった名前だなと思っていました。まさかここにアラハバキの神が祀られているとは1か月前は思ってみませんでした。
そして摂社に、木の格子で囲まれ、外にもお宮にもお宮の名前も神様のお名前も何も書かれていないのです。しかし、内部をよく見ますと、荒波波喜様専用 屋根掃除専用 とはっきり書かれた箒がありましたので、間違いなくアラハバキの神であったかと思います。また神社の案内にも享保元年(1717年)境内に荒波波喜神社を造営したと書かれています。
さて中に入ることはできませんが、木の格子から覗いて写真を撮ることは可能です。カメラを向けたとこと、一斉に玉響が沢山登場、完全に曇った真っ白状態。何度シャッターを押しても、玉響の連続でした。境内の中は私一人でしたが、いままで封印されてきたアラハバキの神が喜んでくださったのかなと思いました。改めて、封印されてきた隠された歴史が世の中に出る時代になってきたことを心にしっかりと実感した体験でした。