5月5日には茅まき(ちかやまき) | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

5月の新緑の季節となりました。今日は父の命日、自転車で家族でお墓参りに行ってきました。2月11日の建国日がお誕生日で5月3日の憲法記念日が命日という日本の祝日に生れ、亡くなった父でした。相談をしたわけではありませんでしたが、妹夫妻にお墓にばったり会いました。地元ですので、お天気が良いので全員自転車でした。

 

終始ミツバチがお墓の周辺を最初から最後まで飛んでいました。外から甘い緑の葉を運んでいる様子でした。墓石の周囲の石の間に巣を作っている様子です。皆でこんなこんな光景は初めて見るねと言って和やかなお墓参りでした。おそらく、父が喜んで迎えてくれたのだと思います。父は姉妹仲良くと言ってマンションの同じフロアに部屋を私たち姉妹に残してくれました。その父への想いは私たちの中にずっと忘れずに残っています。

 

5月5日は端午の節句で空を泳ぐ五色の吹き流しは、本来は五色人のお祀りであったことを今に伝えるものです。神社仏閣のお祭りにも五色の幕が用いられているのもその証拠です。人類が過去の歴史を忘れないように、遺伝子には残っているとは思いますが、今一度そのルーツを考える日です。今でも親が子供の成長を願うように、かつての創造者である神々も地球人の成長を願っていたのです。

 

子供の成長を願って子供の日とされたこの日の習慣には今では粽(ちまき)を食べる習慣があります。竹内文書には1年の中で毎月1日を国民の祭日としていた記録があります。2月2日、3月3日、4月4日、5月5日というようにぞろ目の日です。その中に5月5日には茅の尾垂餅(ちかやのおたりもち)を奉納した記録があります。

 

サナヘ月立5日、菖蒲の門代に、茅の尾垂餅(ちかやのおたりもち)つきて、神祇を祭るセツク祭日

 

茅(カヤ)と呼ばれるイネ科の草本の総称で、ススキも茅の一種です。その中にチカヤと呼ばれる古代からの雑草があります。土手などによく白い穂をつけて咲いているイネでです。かつては食用とされていた時代がありました。サトウキビのように根茎や茎などに糖分を蓄え甘味があり、昔は子供のおやつにもなっていたそうです。万葉集にも記述が残っています。ですから5月5には笹でなく茅に巻かれたお餅を神々に奉納していたことでしょう。