三和 導代 です。
竹内文書の中には現在、世界各国の地名に残る古代の人々の人名が沢山残っています。その中には現在一般に公開されている資料にはない地名が山のようにあるのです。この点が竹内文書が偽書と呼ばれる原因となっており、そんな現代の地名が書かれているなんておかしすぎるという発想です。
しかし私は世界各国を旅している人間ですが、私も全く知りえない、インターネットでの検索でも困難を要する地名がやはり現代でも存在しているのです。この竹内文書が一般に公開されたのは明治43年です。その時点でこの莫大な細かな地名を調べて資料に入れるのは、全く考えられない技であります。
例えば私は今年の2月にサウジアラビアに行ってきました。竹内文書の中には、アラビハイル氏、タイマー氏、ヘジャス、ヤンボー、メテナ、メッカ氏という名前が登場します。この中で一般に理解できるのはメテナ(メディナ)、メッカ氏(メッカ)でしょう。イスラム教徒にとっての聖地、異教徒が足を踏み入れることができない地であります。その他は全く耳にしたことのない地名かと思いますが、実際に都市名や地方名で現存しているのです。私ですら、サウジアラビアの地に足を運ぶまでにこれらがどんな地であるのか本当に存在するかなど考えたこともありませんでした。
そしてこれらの地は今でも聖地であるか、歴史的に大変古い遺跡や痕跡が残る、つまり古代において文明が栄えていたところなのです。そして日本と同じような太陽信仰、そして文字を使用していたのです。こんな砂漠の何もないところに文明がとは想像しにくい場所ではありますが。
ちなみに皇統(上古)第21代2世の伊邪那岐天皇と伊邪胡久美皇后はアジチ国ヘジャス、メッカ、メディナに葬ると記録されています。イスラム教の開祖ムマホメッドはこの地がどんなにか聖なる場所であるか当時、一番熟知していた宇宙からのメッセンジャーだったかと思います。おそらくこの御陵は現在のメッカとメディナのイスラム教徒が礼拝する場にあると私は推測しています。となりますと、イスラム教徒がこのお二人のスメラミコトを今でも形を変えて崇拝しているのかもしれませんね。
一つ補足しますと、このスメラミコトとは肉体を持っていますが、現在のスメラミコトとは異なり、異星人、地球人とのハイブリットと考えるべきだと思います。