日本全国に住んでいたアイヌ | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

アイヌと言いますとすぐに北海道を思い浮かべることでしょう。今年北海道の白老町に民族共生象徴空間=ウポポイが、アイヌ文化の復興と発展の拠点とする国立博物館が今月4月24日に開業する予定となっています。新型コロナウイルスの影響で延期となりそうですが。2年前から大々的な改修、オリンピックに向けて工事が続けられてきました。明治新政府による強制的な同化政策により、アイヌ人は伝統的な生活・習慣や文化が失われてきました。そんな中、2008年に先住民族としてやっと認められ、見直しが始まったのです。

 

遠い古代においては日本全国にアイヌ人が住んでいました。アイヌ語と日本語は異なりますが、アイヌ語も日本語と同じ、アイウエオの5音からできています。それを裏付けるようにアイヌ語の地名が日本全国に残っています。岩手県の中学校の教諭、教頭、校長を歴任、ご自身の足で全国を回って地名を調査された菅原進氏が書かれた「アイヌ語地名が語る日本史」を是非、ご参照ください。北海道や東北地方だけではなく全国にアイヌ語の地名が残っているのです。つまり、アイヌの人々が住んでいたのです。

 

例えば私が大好きな熊本県の色鮮やかな装飾古墳であるチプサン古墳ですが、「チプサン」は女性の乳房からつけられた名前と言われていますが、アイヌ語」には「チプサンケ」という言葉があります。「チプ」はアイヌ語で船、「サンケ」は降臨させるという意味があります。つまり船を降ろす儀式で、アイヌの人々が冬の間に陸にあげていた丸木船を春になると漁のために降ろす儀式が行われてきました。

 

そうチプサン古墳には宇宙船を迎える王冠を被った人々の姿が描かれているのです。古代においては異星体の人々とコンタクトしていたのだと思います。アイヌ人が日本全国に住んでいた時代から異星人の来訪があったのです。

 

アイヌの神話にはオキクルカムイという神が、カムイカラシンタ(神がつくったシンタという乗り物)に乗って、アイヌモシリ(神)の国からアイヌモシリ(人間)に天下って、アツシ=織物やチセ=家などいろいろなものを作ったというお話があります。

 

なぜアイヌ人が日本の北方以外の地域からいなくなってしまったのか。全土にいたアイヌの人々が天変地変で列島を離れたのが原因ではないかと。朝鮮半島からロシア大陸を移動し、北方よりオホーツク人として再び渡来し、縄文人と交流して北海道のアイヌ人となっていったのではないかと私は推測しています。