三和 導代 です。
日本に帰国しました。今日は、竹内文書2(徳間書店刊)にもありますが、世界中の地名は超古代の日本からの派遣され任命された派遣者、あるいは統治者の名前が由来していることをお伝えします。
この竹内文書が公開されたのは明治時代です。今でしたらネットにて世界中の地図や地名を検索できますが、この時代に遠い中近東やアフリカの地名をどのように竹内巨麿氏は調べることができたでしょうか。私は現代のプロ中のプロの海外渡航者ですのでこの地名が存在することを90%理解できます。が、明治時代にこの地名を竹内巨麿氏が偽造するということは不可能なのです。おそらく皆さんが知っているニューヨークとか一般的な地名は理解できても、細かい地名が本当に存在することはされていないかと思います。
私は竹内文書に出ている地名を訪ねて旅をしました。というより回らされたのです。例えば今回はアラビア半島のサウジアラビアを訪問しましたが、アラビア半島のほぼ中央にハイールという町があります。ここは2015年に世界遺産となった場所ですが、1万2千年前の素晴らしい岩絵が今でも無数に残っているのです。それもはっきりと。今回サウジアラビアで目にして驚嘆の一言、それも古代文字もです。おそらくこれは最後の氷河期が終わった後の時代かと思われますが、巨大な人物がそれも5本指のしなやかなラインまででているのです。これは地球人か異星人かはわかりませんが。頭にはヘルメットらしきものを被っているのです。
竹内文書にはこの地名をアラビアハイル氏と記しています。この現代の地名ハイールの地の統治者の名前でした。どうしてこの地名を明治時代にこの地名となった名前を知ることができますか?偽装できるはずがないのです。竹内巨麿氏は宗教家でしたが、地理学者でも学者でもありませんでした。
竹内文書に残っている世界中の地名は聖地、また歴史に残る古い遺跡が残る所ばかりです。多少の音の誤差はあっても理解できる範囲の違いです。嘘だと思われるようでしたが是非、竹内文書2(徳間書店刊)の中の地図を見て調べてください。この中のほぼ80%の地を私は実際にです。それは机上のプランではなく、実際に私の目で確かめたのですから。
竹内文書にはあえてフェイクを入れていますが、神人さんが高坂を通じて調べた結果80%は事実のようです。少しずづ伝えさせていただきます。