古の東北の旅を終えて | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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三和 導代 です。

 

3日間の東北の旅から戻りました。東北歴史博物館の蝦夷展、宮城の土偶展はおまけのプレゼントでした。多賀城にあるこの博物館はいつ行っても静かで心豊かになれる環境の中にある、それていて駅からは徒歩2分、仙台駅からも20分というアクセスの良さです。常設展におおきましても旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代・・・・と展示されていますが、とても分かりやすい解説と余裕のある展示です。

 

そして蝦夷展、蝦夷(えみし)は本州の東部とそれ以北に居住し、政治的・文化的に、大和朝廷やその支配下んい入った地域への帰属や同化を拒否していた集団で統一した政治勢力はなく、しかし次第に影響力を増大させていく大和朝廷により、征服され吸収されていきました。約1,300年した現在、この蝦夷の存在が調査によって明らかになってきました。

 

日本書紀に書かれていたような野蛮で肉ばかりを食べてる人々とはことなり、お米、アワ、ヒエ、大豆、大麦なの穀物も食べていた人々であったことが考古学調査でもわかってきました。食事の際には食器もきちんと使用していました。

 

今回の神人さんとの旅の中で訪れました秋田県大仙市払田柵跡は平安時代の初めに中央国家がこの地を統一するために作った役所と軍事儀式の役割を持っていた遺跡です。多賀城跡のように現在はもう建物は残っていませんが、周囲約3.6kmの木材塀で囲まれた柵跡の敷き地は濃い霧に包まれ、真っ赤は太陽が沈む光景は誠に幻想でした。この地での中央政権の進出、そして蝦夷の人々との競り合いが想像されます。

 

この地から発掘される縄文時代の土器などを見ますと、蝦夷といわれる時代の前の縄文時代にもずっとこの地で生活を営んでいる人々が数多くいたことが証明されています。この物静かなこれらの遺跡には為政者により同化、または追いやられた人々の深い想いがまだまだ残っている気がしてなりません。それは現世におきましては古い過去ではありますが、この時つまり過去、現在、未来というときの流れがあるのは現世のみであり、次元が異なった空間では、つまり私たちが過去思うことも実は現在でも同時に存在しているからでしょう。

 

神人さんのサニワによればさらにさらにずっと前、それは縄文時代より前、転変地変が起こるより前の2万年までに祭祀場として宇宙の人々と交信していた場所であった青龍大権現の場所。ここ秋田県仙北市田沢湖にある青龍大権現には龍のようなくねった山の尾根はまるで龍の長い胴体のような形で、頭は巨大なイワクラがひっそりと残っています。この一帯は宇宙船の発着地であったようです。

 

また阿武隈川沿いの神宮寺岳の2万3千年前のピラミッドは当時この周辺に大きな文明が栄えていとことを物語っているそうです。川とピラビッド、つまりエジプトもギザのピラミッドはかつてはナイル川に傍に建てられました。宇宙と交信ができる異次元の空間であったようです。つまり古代におきましては私たちの先祖である異星人とのコンタクトは必要不可欠なものであったことでしょう。

 

私たちの本当の歴史は隠されてきましたが、今後は徐々に解明され、理解できる人々もどんどん増えていくことになるでしょう。今は東京日本の首都であり栄えている町ですが、東北地方にも、北陸地方にも、日本の中心地として栄えていた時代があるようです。竹内文書にもその痕跡が残っています。それはそれは昔、神武天皇よりずっと以前の歴史となります。