網走でオホーツク人と | 竹内文書の世界を旅する三和導代のブログ

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竹内文書の研究家・高坂和導の遺志を継ぎ、三和導代が古代スメラミコトの足跡をたどり、世界を旅するブログ

三和 導代 です。

 

昨日より網走に来ています。女満別空港へのフライトはびっくりするほど満席でした。ちょうど一ヶ月前に思い立ちマイレージで残っていた唯一のフライトです。到着時の女満別空港は雨、15度でした。東京は蒸し暑く半袖のTシャツにリュックを背負いながらの私は思わず、リュックから傘と上着を取り出してきてしまいました。

 

ここから空港バスで30分ほどで網走市内です。あんなに飛行機に乗っていた方々は皆車利用なのでしょうか。バスは私を入れで5人だけで出発。網走駅下車、ここから徒歩5分のホテルにチェックインしました。

 

網走駅前には東横インが完成しにぎわっている様子です。通常は東横インをよく利用しますが、今回はパスしました。3連泊でしますので、朝食のみですから夕食をとらなくてはならないからです。正解です。駅前にもかかわらず外食店は某すき焼チェーンとステーキハウスの2軒のみでした。そして駅前近くのビジネスホテル2軒は営業をやめ真っ暗状態でした。

 

そして目的地のわがホテルに到着。いや2食付きにしていて本当によかったです。カニやイカなど地の食材を使用した美味しい料理、そして何と部屋の冷蔵庫にはビール2本、缶コーヒー1本、お茶1本が無料で飲み放題、部屋にはユニットバスはついていますが、温泉はまた別にあるよういうラッキーなサービスです。もう古いホテルですが、このようなサービスのためか、観光客というよりおそらく網走で働いている長期滞在のビジネスマンが利用しているようです。ですから2食付きでですが、破格値で、食事内容は温泉宿のようなものではありませんが、十分すぎるほどおいしいお料理です。朝食も北海道ならではのメニューが食べ放題です。

 

さて前置きが長くなりましたが、今回の目的は高坂和導が小学校1年から住んでした網走の地、彼に考古学への興味を育ててくれた網走のシュリーマンと呼ばれた米村喜男衛先生の発見されたオホーツク人(モヨロ人)の存在を確かめることでした。つまりアイヌの人々の祖先を辿っていくと辿り着く文化期です。

 

青森出身の米村喜男衛先生がアイヌの地である網走の調査で移住した地から日本の考古学会に大きな波紋をもたらしたモヨロ貝塚からのオホーツク人の存在の立証でした。理髪店を営む全く王道とは別社会で研究された米村先生の功績は多大なものでした。この方に高坂和導はかわいがっていただいたのです。そして彼の宇宙考古学者への道に進むきっかけはこの子供時代の経験からだったようです。

 

それはアカデミックな世界をぶち破るトンでも発想の生き方であります。今日の私の行動パターンは車のないこの北海道ではありえない、徒歩とバスの1日ですが、全く無駄がなくそして予定以上の行程を無事終え、沢山の学びを得ることができました。そして全ての場所は全て私1人の貸切りでありました。遺跡も博物館、神社等・・・・・それは直観を信じて疑わない私を応援してくれていただてくれる陰の存在???の援護のお陰だと思います。

 

この体験記は次回11月号の玉響での寄稿、10月23日の代官山セミナーでのお話しの中に入れさせていただきます。このきっかけをつくっていただいたのが8月8日の東京のアイヌ文化センター主催のセミナーでオホーツクミュージアムえさし館長から聞いたオホーツク人の存在です。その際にちょっとしたひとこと、それは米村先生の名前を聞いたことに始まったのです。この1か月分、待ちに待った今日でした。

 

私の人生は旅の連続。住む家は仮の宿で良いのです。これからも海外、国内の旅を続け発信していきたいと思います。